第2話

 変なメールが来たのは9月11日、そう。わたしの誕生日の真夜中のことだった。その日も出勤だというのに、1時過ぎまで何をしていたのかといえば、親友の早霧谷とラノベ談義をしていたのである。

「たんおめ~! 土曜日寿司を食べにいこう! おごるから!」

「ありがとう! ということはあんた、福井まで来てくれるんだね!」

「……Fukui? って何」

 早霧谷日陽奈は少々忘れっぽいところがある同級生だ。わたしとは20センチも身長が違うのにこいつのほうが胸が大きい。わたしは170もあるからむしろこっちがズレているのだけれど。元気いっぱいで流行りものが大好き。タピオカもこいつのおかげで初めて飲む羽目になったくらいだ。流行りの好みは読む本の傾向もそうで、早い段階からキンドルを持ち、ウェブ小説原作の作品をどんどん読み漁っている。でも、にわかではない。そこが、早霧谷のすごいところだ。わたしは紙の本にこだわってばかりいて、並ぶ背表紙や書店の帰りの重たい紙袋にエクスタシーを覚えるタイプ。コンビニのレジ袋は断るけれど、書店の紙袋は5円でももらっちゃうんだよね。

「チラムネの舞台で出てきたでしょ」

「ああ、ヨーロッパ軒の」

「そう、8番ラーメンの」

「でもどうしてちぃは福井にいるの?」

 転勤だよ! ということをぐだぐだと話している間に届いたメールが、そのライトノベルがすげぇ2021からのものだったのである。

「ちょっとごめん、急用が」

「おけ。じゃあ、待ってるから」

 そう言って早霧谷は通話を切ったのだけれど、そのあとのことは先に書いたとおり、ムジカ・レトリックの園についてのちんぷんかんぷんな話になる。


 誕生日だというのに、仕事は忙しく、しかもわたしの仕事はテレワークが許されないものである。間取りのデザインなんて上司がいない方がゆったりと決められそうなものなのに。

 ともかく。

 一応定時に仕事を終えたわたしは、そこまで言うのなら読んでやろうとムジカ・レトリックの園をアマゾンで検索した。ヒット数、600件。

 制服姿の少年少女が背中合わせで、広い花園に佇んでいる。パステルチックながら、イラストの線は90年代の作品と間違うほど太い。デザインは、わかりやすいゼロ年代のものだ。ポチって読んでみるか、と思ったが、しかし。

「そもそも、わたしこの本を読んだって事になっているんだよな……」

 本棚の前に立つと、一段の半分ほどが空になっている。わたしはレーベルだけでなく作品の背表紙の色でグラデーションを作りたがりなので、とらドラ!の右側にはリベリオ・マキナが並んでいるし、左側にはエロマンガ先生を並べているオタクであるが、キノの旅ととある魔術の禁書目録のあいだに本を抜き取った形跡がある。ちょうど、十五冊くらいだ。福井に赴任してきたこの4月からおよそ五ヶ月。詰めはしても、本棚から抜き取った記憶などない。また、ブルーレイを並べている棚からも、ボックス一つ4クール分くらいがぽっかりと抜けていた。

「ムジカ・レトリックの園、なのか……」

 わたしは、本当にムジカ・レトリックの園を読んでいた、あるいはアニメを見ていたのかもしれない。そう思い、再び早霧谷に電話をする。


「ムジカレならお盆に貸してくれたんじゃん」

「は?」

回答はあっけなかった。わたしは確かにお盆に帰省して早霧谷とうなぎを食べにいったが、その時本を……貸したな。ジュンク堂の不織布袋ひとつ。ちょうどラノベのシリーズひとつ分。

「あの時、さんざん罵倒したよねあんた」

「そう……だっけ」

「そうだよ。

 は? ヒビナあんた、ラノベ読みのくせにムジカレ読んでいないの? ムジカ・レトリックの園、笑、焔、瞳、星、鈴、春、箱、旗、鍵、夜、睡、梢、琴、夢、織を読んでいないってマジ? わたしと同い年って本当に? 今までなにしていたの? 何を読んでいたの? 2000冊読んでいるのに? 書店に何度足を運んだ? アニメどれだけ見た? 何より何度もわたしとラノベを語らったよね? ムジカレの発売日のときの、わたしの浮足立った姿を見て恋人に会うのか、なんてからかったよね? そしてわたし言ったよね。慕っている人たちに会いに行くのだからそうだよ、って。発売から完結までの期間わたしずっと熱狂していてそのたびにそのうち、そのうちってごまかしていてようやく読むってどういうことなの。11月に六年ぶりの新刊が出るから? 読んでおこうかって?

 ふざけるな。そんな理由でムジカレに出会っちゃだめなんだ。表紙を、タイトルを見て心が踊るやつしか手にとっちゃ駄目なんだ。ヒビナがやまぶきとくれないの書かれている表紙を見てそう感じたんだったらいいよ。でも、話題作りで、にわかで、話を合わそうとする目的で、ムジカレに近づかれたくない。

 読んでほしくないわけじゃない。読むなら紙の本で読んで。キンドルで安いからって、しっかりと紙で読んで。中間で効果的に配置されるイラスト、しかもカラーページもあるんだよ。ムジカ「レトリック」のレトリック、一巻ごとにわかっていくんだよ、っていうか辺見先生ははじめから16冊で収まる平方セカイを考えていたことにしびれろ。16冊を4×4に並べて宇宙に投げ出されろ。電子書籍でやるならあと15個キンドルを買え……。いや、紙の本で読んで。いいから、わたしが今言った情報、知っていたところで感動は全然減らないから。なんなら貸すよ。いや、あげる。ゼロ年代って勢いが抑えめで描写が面倒だからはじめは読みにくいと思うよ最近の特にノベルは読みやすさ口語体だからねでもムジカレは一人称三人称だけじゃなく二人称も混じっているからこれは実験的だと思うんだけどその違和感に読者を酔わせるトリックでアニメではここだけは映像化不可能なんだだって視聴者と映像の双方通話って不可能じゃないPSVRでやろうとして結局発売中止になっているしでもそれは紙の本であれば体験できるから鍵だよ鍵鍵で出てくるのわたしそこではじめてムジカレみたいなすごい小説書きたいって思ったそれまではただの本読みだからねだいたいムジカレ最初はアニメ化決定の広告を見て読み始めたのだからわたしのムジカレって全部初版ってわけじゃないんだよねそうだよわたしだってはじめはにわかだったでも完結する前の次のムジカレはいつかっていう熱病を味わったムジカレ難民の一人だったんだそれは誇りでね新参者を遠ざけるって思うけどヒビナもあるでしょそういう自分が育てた生半可な気持ちで近寄ってほしくない作品ってほらそうでしょウェブ時代からのソードアート読んでいたんだもんねわかるよスタンスは違うけどさということで家まで届けるからムジカレわたしのブルーレイボックスも一緒にムジカレの4クールあって鍵以外全部アニメになっているんだよ声がねやまぶきの声がもう癖になっちゃってアニメ化はよくないって常日頃言っているけど解釈的には原典を一番忠実に、はああああああっ、一番忠実に映像に落とし込んでるの! 見て! っていうか読め!

 て」

 早霧谷は、なんだか自分に自信をもっていることを勘違いした高慢でテンションの高い早口女オタクっぽい喋り方で、というかわたしの真似でムジカレの激推しをした。確かにわたしが言いそうな内容だけど。

「それで持ってきたんじゃん。ムジカレ16冊とブルーレイボックスと主題歌CD集とぽつねん先生画集」

 CDと画集まで貸したのかわたしは!

「それで、どうだったの?」

「ちぃの言う通りだったよ。って、会った3日後に伝えたよね」

 早霧谷は、どうやら16冊を3日で読破したらしい。さすが、わたしの友達ができるラノベ読みだ。読み始めると倒れるまで止まらないタイプ。

「だから、ムジカレとの出会いを感謝してお寿司を奢ろうと思ったんだけど、ちぃ、まさか福井にいるなんて」

 早霧谷の住んでいるのは保土ヶ谷だ。神奈川県である。時間は現在、9月11日金曜日の23時過ぎ。

「でも福井はそんなに遠くないよね。明日の朝9時、うちに迎えにきてよ」

 ぐーたらな、いや、わたしもぐーたらだが、早霧谷はわたしがその時間に迎えにいってようやく一緒にランチにいける人間だ。約束の時間まで、およそ10時間。しかし、もう新幹線に乗るには間に合わない。朝イチの列車に乗れば行けるのか……?

 わたしは、ここで早霧谷に会わないとムジカ・レトリックの園と永遠に再会できないような気がして、かばんに着替え二日分を放り込む。

 荷造りに、5分。冷蔵庫で冷やしていたアイスコーヒーをコップに注いで一気に飲み干した。

「行くわ。待っていて、ムジカレ」

 そろそろ眠りの時間。だが、意識は冴え切っている。ETCカードとキーを握り、ガレージに停めている愛車へと向かった。保土ヶ谷まで約400キロ、高速で行けば5時間ほど、か。

 今でかけるとサービスエリアで仮眠。かといって今寝れば普通に8時とかになってしまう。

 少しのためらいがあった。だが、ムジカレへの思いがわたしを突き動かす。イグニッション、オン。丸っこいわたしの愛車が、行こうよ、と急かすようにエンジンを唸らせている。初い奴め。ドライブ用のぺたんこ靴に履き替えると、一路。ムジカレに向けて走り出す。

 こうして、わたしの誕生日はムジカレ一色で終わっていくのだった。

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