第15話 自分語り下手くそか

 学校の屋上とは、古来からリア充が集う憩いの場だと娯楽に富んだ書物に記されていることがある。

 昨今の学校では屋上への立ち入りが出来ないことも多く、その機会は世界から失われつつあるのだ。

 そんな情勢に反し、俺は昼間の屋上で気を紛らわすように風を浴びていた。


「いい風ね」


 勿論、静香さんから鍵を借り受けた有栖川と共に、である。


 ゆらゆらとなびく銀髪を片手で押さえながら、心地良さに目を細めていた。

 陽光に当てられた銀髪は眩い煌めきを帯びている。


 俺は逃げるように日陰へ腰を下ろして座り、ぼんやりと空を眺める。


「俺は正直、楽しむ余裕もない」

「感性が死んでしまっているのでしょう。実になげかわしいですね」

「失礼な。死んでるのは目だけで十分だっての」


 満足したらしい有栖川が俺の隣、日向に座って手に提げていたバックから昼食を取り出す。

 俺も愛妹弁当の蓋を開け、手を合わせた。


「今日も美桜ちゃんが作ってくれているの?」

「まあ、な。よく出来た妹だよ、ほんとに」

「貴方には勿体ないと常々思っているわ」

「素直に褒め言葉と受け取っておく。誰がなんと言おうがうちの美桜は最高の妹だし」


 この世に絶対普遍のものがあるとすれば、それは美桜が世界一の妹という事実だろう。

 異論反論その他諸々は受け付けない。


 そんな妹が作りたもうた弁当ぞ?

 最高に美味いのは当然だ。

 何か言いたげな有栖川の視線をものともせず、俺は弁当を食べ始める。

 この時間だけは絶対に邪魔させてなるものか。


 黙々と食べ進め完食した所で隣を見れば、有栖川は弁当に一切手をつけていなかった。


「調子でも悪いのか?」

「そんなところね」


 有栖川は珍しく、歯切れの悪い言葉を返す。

 物憂げな眼差しがコンクリートの床へ向いていた。

 気遣う言葉など浮かぶ訳もなく、俺に被害が及ばないのなら干渉する必要も無い。


 再び落ちた沈黙。


 風がひゅう、と間を抜けて。


「――聞かないのですね、何も」


 ぽつりと、静かに呟いた。


「はて、思い当たる節がないな」

「惚けている……ようには見えませんね。素ですか、そうですか」

「悪かったな。自分に都合が悪いことは記憶が失われるんだ」

「控えめに言ってクズですね、軽蔑します」

「やめろ俺にそういう趣味はない」


 有栖川のジト目が突き刺さる。

 勝手に俺をドMの変態にしないでくれ。


 猛抗議をしたい欲求を抱えながらも冷たい視線に尻込みしていると、


「……あの日、私は私にあるまじき無様な姿を晒しました。その理由を聞かなくていいのですか……と聞いているのです」

「あの日? ああ、暴走した男のことか。確かに有栖川の様子はおかしかったけど……なんか踏み込んで欲しくなさそうな気配を感じたし。俺は紳士だからな」

「私に気取られないよう写真や動画を取って脅迫の種にしようとしているかも知れませんし。それに、紳士ではなくヘタレでは?」

「ほっとけ」

「まあ、いいです。重要なのは仮にも私が貴方の手を煩わせたという事実。であれば、事情を話すのがフェアというもの。聞いて頂けますか?」


 どうやら、有栖川の中では俺に迷惑をかけたのが余程悔しいらしい。

 しかもそれを吹聴するとでも思われているのか?

 俺がそんなことを言いふらしたとして、一体何人が信じるだろう。

 信用度的な問題もあるし、完璧超人ぶりを遺憾なく発揮する有栖川のそんな姿など想像だにしない。


 積み重ねって大事だよね。


 それはいいとしても、だ。


「別に興味なんてねえよ。話したいなら勝手に独り言でも言っといてくれ。俺は美桜特製弁当の余韻に浸るのに忙しいんだ」

「です、か……ふふっ」

「何かおかしいこと言ったか?」

「いえ。普段通りのシスコンですよ。単に、自分の浅はかさを笑っていただけで。誰も彼も私に注目するのは当たり前……そんな自意識過剰な精神がまだ残っていたのだと」

「大体間違ってはいないだろ」


 学院内に留まらず、外でも有栖川は何かと人々の注目を集める。

 誰もが有栖川という人間の行動に、言葉に感化されてしまう。

 天性のカリスマだな。


「でも、貴方は。貴方だけは私を特別だとは思わない。違いますか?」

「あー、確かに特別とは思ったことないな。いいとこのお嬢様で頼れ……仕事の同僚で、平穏な生活を引っ掻き回す理不尽って感じだ」

「……色々と言いたいことはありますが、いいです。今は私が無理を言っている自覚があるので。――ですが、だからこそ貴方といる時間は気が楽なんですよ」


 ふわり。

 銀髪が風に流され、緩やかになびく。


 有栖川の横顔は髪に隠れて見えなくなる。


「ここからは独り言です。まさか盗み聞きするような輩はいないとは思いますが、念の為警告だけしておきます」

「随分と不自然な独り言だな」

「少しは空気を読んだらどうなんですか、引っぱたきますよ」

「首もげるからやめようね??」


 冗談めかして返すと、「どうしましょうか」と顎に指先を当てて思案する。

 とはいえ、やる気がないのは明白で。


 俺はただ、伝えた通りに弁当の余韻に浸る。


 これは独り言。

 俺は偶然、たまたま、屋上でぼーっとしていたら耳に入ってきただけで。


「――多大な私財を抱える財閥として名を馳せる家に、私は当主と愛人の子として生を受けました。ちまたの創作物のような正妻との確執はありませんでしたし、裕福で幸せな生活と言えたでしょう。物には不自由せず、上等な教育を受けて、私は育ちました」


 淡々とした口調の独り言。

 ぼんやりと耳に入ってくるそれらを流しつつ、空を悠々と流れる雲を追う。


 玉子焼き、美味しかったな。


「そんなある日のことです。出かけた先ではぐれてしまった私はとある男に誘拐されてしまいました。有栖川家の関係者なら人質に取れば莫大な身代金が請求出来るとでも考えたのでしょう。それが、私を大きく歪めました。幼い私は当然のように恐怖し、犯人の濁った目に宿る欲望に触れた」

「…………」

「案の定、有栖川家は身代金を用意しました。ですが、届く前に男は私へ手を出そうとしたのです。乱暴に服を脱がされ、舐めるような下卑た視線が肢体を襲いました。そうして手を出される寸前、私を救出しに来た警察の部隊が廃工場に突入して来ました。当然、犯人の望むところではない。私は首筋にナイフのきっさきを突きつけられ、人質としての役割を果たします」


 あ、やば。

 あんまりに丁度いい気温過ぎて眠くなってきた。


「そうして生まれた膠着こうちゃく状態。早く身代金を置いて去れという要求が通らないことに苛立った犯人は、遂に私の脇腹へナイフを突き刺しました。幼い私は耐え難い激痛に情けなく叫び――異能を覚醒させてしまった。制御の効かない私の異能は犯人の身体を無惨に切り刻み、出血多量によって処置の余地すらなく死にました。……いいえ、違いますね。私が殺したんです、この手で。以来、似たような事があると情けない話ですが脚が竦みます」


 ほーん、へー、ふーん。


「端的に言って、私は男性と関わるのを避けている節があります。思い出して相手に不快な思いをさせないとも限りませんから。――って、貴方聞いていますか?」

「ん? ああ、聞いてる聞いてる。ちゃんと聞き耳立てて一言一句逃さず聞いてた。大丈夫、寝てないって」

「なんで聞いているんですか」

「それは理不尽というものでは?」


 後出しジャンケンは卑怯だろ。

 聞いてたけどさ。

 聞こえてしまったのだから仕方ない。


「やはり貴方といると気は楽ですが、無駄に疲れますね。そろそろ休憩も終わるので私はこれで。鍵は静香さんに返しておいて下さい」


 はあ、と軽くため息をついて、有栖川は俺へ屋上の鍵を託して帰っていく。


 一人になった屋上は存外に広く感じられて。


「やっぱり、特別なんかじゃないだろ。どこにでもいる、普通の人間だよ」


 自分にも言い聞かせるように、呟く。


 それは俺も通った道だった。

 人を簡単に殺せる異能。

 経緯はどうであれ、実際に人をこの手で殺したことがある人間としては――他人事と思えないのも確かで。


 胸を締め付けられ息が詰まり、幻聴が響いてくる感覚を乗り越えるのは容易ではない。

 死ぬほど悩んで、自分なりの答えを出して、真正面から向き合って初めて前に進めるんだ。


 忘却は許されず、死ぬまで死者の影は付き纏う。

 罪悪感だけに囚われることがあってはならない。


 結局のところ、自分の人生が最優先という自分勝手極まる結論へ行き着いた。


 一人で立てないなら周りの誰かを頼ればいい。

 助けを求めて支えられ、時に支えて再び前に歩けばいい。


 コミュ障陰キャでもわかることなのに、どうして。


「自分語り下手くそか」


 勝手極まる同僚へ文句を吐くのだった。

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