第2話 承

 『家を捨てる』と、脅しめいた事まで持ち出してしまったのは反省点だが、紗羅にカミングアウトした美嘉が、風呂から上がって寛いでいると、来客を報せる呼び鈴が鳴った。

 21時を回っていた。

 小高い山の天辺てっぺんにある檜隈家の屋敷で働く者達は、屋敷の門と入山口を結ぶ道沿いにある寮か、それぞれの家に帰っており、屋敷の中には4人の女しかいなかった。

 奈帆は、発作持ちであった紗敏の世話をする為に取得した準看護師の資格も活かしながら紗羅について世話をしており、茅利は茅利で、洗い物の後、布団を敷いたり、明日の法事で着る喪服類の準備等と細々と動いていたのと、その前に、少しばかりショッキングな話を聞かせたので、茅利の手を煩わせないよう、機嫌の良さも手伝って、美嘉が出向く事にした。

 誰が来るかは、解っていた。

 翔に引き続き、美嘉の見合い相手を見繕っていた奈一だ。

 恐らく彼は、見合い写真を両手に抱えている筈だ。と、思いながら、美嘉が、廊下と上り框あがりかまちを間仕切る木枠に擦りガラスが嵌め込まれた襖戸を開けると、六畳程の三和土たたきには、背広姿の奈一の他に、スーツを着た五人の青年が、それぞれの手に紙袋を持って立っていた。

「よぉ。美嘉ちゃん。お帰り」

 一時前の美嘉に劣らず上機嫌の奈一に反し、美嘉は、ギョッとして眉間に皺を寄せた。というのも、美嘉は、タンクトップにTシャツ、そしてステテコという姿であった。

 美嘉は、自分の身体にコンプレックスがあった。胸が小さいのだ。思いっきり寄せてもAカップに届かず、パットが入っていなければ、パカパカして仕方が無い。茅利を愛撫する時も、決して自分の肌は見せなかった。見合いの席で常に着物を着ていたのも、その体形を隠す為であった。

 その姿で玄関に出たのは、奈一一人だと思っていたからだ。彼が泊まる場所は、寮の向かいにある、元は海人の妾宅であった別宅で、屋敷内には無い。見合い写真を、受け取るだけ受け取って、帰せば良いと思っていたのだ。

「叔父様。これは、どういう事ですか? このご時世に、五人もの男性を引き連れて来るなんて、その方々が、感染者でしたらどうします? お祖母様を殺すおつもりなんですか?」

「阿保な事言わんのよ。美嘉ちゃん。そんな事より、紗羅様と姉さんを呼んで。善は急げ。今日中に婿となる相手を決めとけば、明日の海人様の法事で、良い報告ができるやろ」

 そう言いながら、上がり框に腰を下ろし、靴を脱ぎ始めた奈一に、美嘉もそこに跪座きざして、

「ちょっ。叔父様。そんな勝手な…」

 と、奈一をどうにか帰らそうと悶着していると、奈帆に付き添われて、浴衣に羽織を羽織った紗羅が奥から出てきて、

「美嘉。ええから。奈一とその後ろの人らぁを座敷に通し」

 と、言った。


 廊下は、屋敷の輪郭に沿うように伸びている。畳で繋がる部屋同士を横切れば早いが、紗羅は、客人達がそうする事を許さなかった。

 美嘉が先導した廊下の終着点。中庭に面した座敷とを隔てている場所には、五つの座布団が引かれていた。開け放たれた座敷は八畳の大きさで、仏間とを間仕切る襖戸の前の上座には、沙羅と美嘉が座り、一段下がった場所の紗良の横には奈帆が、美嘉の横には茅利が座り、奈一は、廊下と座敷を間仕切る襖戸の傍の下座に座らされた。

 茅利は、美嘉が座布団に座る前に、薄手の長袖のカーディガンを手渡した。

 青年達は、顔を引き攣らせながらも、渋々座り、それぞれが持つ紙袋の中から、美嘉への贈り物を差し出した。


 黒楽茶碗。

 銀製の大玉真珠を金細工で縫い留めた簪。

 ロシアンセーブルの襟巻。

 美嘉が辰年生まれという事でダイヤモンドの珠を持つ龍を意匠とした重たげなペンダントトップのネックレス。

 燕の卵程もある鼈甲にカメオの様に細工を施したブローチ。


 美嘉の為というより、紗羅を意識した贈り物であったが、どれもこれも、なかなかに値のはる一品に見えた。

「「「「「どうぞ、お納め下さいませ」」」」」

 五人は、それぞれの贈り物を、ずいっと畳の上で滑らせた。

 奈一は固唾を呑み、目の前に並ぶ品と、美嘉を交互に見やった。この五人の青年達の内、誰かを檜隈家の婿として迎える事を紗羅は承知していた。“これ”と決めず選択肢を設けていたのが、祖母としての愛であった。

 美嘉は、紗羅にちらと視線を移した。

 それを受け、紗羅が口を開く。

「あんたら。それは持ってお帰り」

 美嘉がどの品を取りに来るかを、今や遅しと待ち構えていた奈一は、身を捩って紗羅に身体を向けた。

「……紗羅…様。…それは…、どうゆう……」

 瞬きも忘れた奈一に、

「すまんな。奈一。頼んどいて悪いが、美嘉の婿は、もう、いらんのよ」

 と、あっけらかんに答える。

「あんな。紗羅は、婿なんかいらん。言うんよ。ほやけんね、紗敏の精子をな、茅利に使つこうてええかぁ、いうて聞いたら、それならええって言うけん、じゃあ、そうしよ、いう事になったんよ」

 つまり、茅利の肉体を使って、紗敏の子供を人工授精させ、その子供を美嘉の子供として育て、家を継がせよう。と、いう事だ。五人の青年は全員、今は離散した檜隈家の、より本家に近い血筋の者達であった。紗羅にとっては、檜隈の家の存続というより、自分と海人の血──紗敏の血の永続こそが望みであったから、美嘉が婿を取って子を産むよりも、茅利が紗敏の精子を使って男の子を産む方が、より、彼女の望む通りであったのだ。

「さ、沙羅…様?」

 喉を詰まらせながらも、そう声を発したのは、奈帆であった。


 奈帆は16歳で紗敏に嫁いだ。海人と奈帆達の父の空也くうやは、疎遠であったが、バブルが弾け空也が借金を背負い、檜隈家を訪ねたのだ。しかし、その三年前に海人は鬼籍に入っており、紗羅が檜隈家を仕切っていた。紗羅は、空也の借金の肩代わりと、その後の生活の援助と引き換えに、乳母日傘おんばひがさで育てざるをえなかった紗敏の妻に、奈帆を要求したのだ。

 愛も無く紗敏に抱かれ、直輝の事件も有って、女盛りを紗羅と紗敏、それから翔に仕えてきた奈帆にとって、それでも紗敏の子を産んだ檜隈家の嫁である事が、唯一の心の支えであったのだが、それさえも、今、崩壊したのだ。


「奈一。あんたも、もう。嫁を貰ぉてええよ。会社もやるわ。なんせ美嘉は、翔と違ぉて、充分、株で儲けとるけんね。ほや。なんやったら、奈帆と直輝も、もういらんけん、そっちで面倒みんか?」


 紗敏の死後、社長に就任した奈一に出された条件は、独身である事だった。奈一に、それをする度胸があったかどうかは置いておくが、紗羅は、高敏が継ぐべき会社を奈一にまかせるのはいいが、彼が、自分の家族可愛さに、会社を乗っ取るのではないか。と、いう事を危惧し、一歯車であり続けさせたのだ。

 奈一は、社長の器では無かった。業績は右肩下がりで落ち、赤字分は、紗羅の個人資金の補填で賄っていた。そんな会社を貰って放り出されても、すぐに立ち行かなくなるのは目に見えていた。


「奈一さん。これ、どういう事ですか?」

 青年の一人が、奈一に向かって口を開いたのを皮切りに、婿候補達は、「話が違う」だの「騙された」だのと、一斉に、奈一を責めた。

 彼等の両親もまた、空也程では無いにしても、バブルの煽りを食らっていた。それでも、どうにか一般家庭並には持ち直していたのだが、奈一から唆されて、それぞれ借金をして、件の贈り物を用意していたのだ。


「美嘉と茅利を孕ませればいいのよ」


 ぽそりと呟いたのは、奈帆だった。奈帆も自分が何を口走ったのかを、理解していなかったのかもしれない。だが、

『美嘉の子が生まれれば、自分は檜隈家の嫁であり続けられる』

『茅利の子宮に異物があれば、紗敏の精子を使用されない』

 そういう考えが、彼女の脳裏で渦巻いていた。


 そして、それが合図であったかのように、奈一と青年達は、二つの標的に、鈍い目を向けた。

「ははっ。そうだよ。っちまえばいいんじゃんか。それで、子供が出来れば、自動的に婿様だ」

 そう言いつつ、五人の青年達は、茅利に向かった。どうせなら、ショートカットで少年じみた美嘉より、梅の花のように手弱かで、匂いたつような色香の漂う茅利に食指が動いてしまうのも、無理からぬ事であった。

「茅利っ!」

 美嘉は直ぐに立ち上がり、茅利へと手を伸ばした。しかし、茅利の身体は、そこここから伸びる十本の腕に捕まり、美嘉の腕は、奈一に掴まれた。奈一は、美嘉の腕からカーディガンの袖を抜きながら

「美嘉ちゃん。美嘉ちゃんがレズだったなんて、叔父さん、知らなかったよ。大丈夫。一度、しちゃえば、絶対、男の方が良くなるから。ね。叔父さんの子を孕もうね」

 と、美嘉を、心底凍りつかせる、おどろおどろしい言葉を吐きながら、どこか焦点の合わぬ、狂人の顔をしていた。


「美嘉? 美嘉ぁ」

「うふふっ。紗羅様。いいじゃありませんか。美嘉は、この檜隈家の跡取りを、ちゃんと身籠ってくれますよ」

 美嘉の助けを呼ぼうと立ち上がろうとした紗羅を、奈帆は後ろから羽交い絞めにしていた。

 奈一が、襖戸を開けて、美嘉を仏間で押し倒し、パンティーごとステテコを剥ぎ取ろうとした瞬間、中庭から、サーチライトよりも眩しい光が差し込んだ。

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