おまけ:名探偵ことり

 とある土曜日の夜20時。

 いつも通り夕食と入浴を済ませた蓮は自室に戻り、突っ伏すようにベッドに顔を埋めた。

「……はぁ」

 そのままベッドの中に閉じ込めるように、大きめのため息を吐く。

 まだ乾いていない髪の毛が頬やおでこに張り付いて、少し気持ち悪い。

 かと言っていちいちドライヤーをかけるのも面倒くさい。何より、あの音が耳障りで嫌いなのだ。このまま放って置いても乾くし、別にこのままでいい。

 でもなんだか今日はいつもより気になって、あちこちがむず痒いような、どこか窮屈だ。

 面倒だし、このままでいいか。

 やっぱりドライヤーをかけようか。

 いちいちそんなことで頭を悩ませるのは、きっと一つの言い訳でもあるのだろう。

 

 ——小鳥は今頃、何をしているのだろう。


 一日中頭の中から消えてくれないその疑問に、敢えて蓋をして、見て見ぬフリをしたいのだろう。

 小鳥と出会ってから数週間。気づけば蓮の頭の中は小鳥のことでいっぱいだった。

 月曜から金曜までは蓮は学校があるので、いつも帰りにあの坂を登って、自宅の前で待っている小鳥と合流し、談笑しながら近くの公園まで散歩している。

 これは蓮にとって至福のひと時でもあるのだ。

 蓮からすればそれだけが楽しみで学校に通っていると言っても過言ではない。

 だからこうして土日を挟むと、小鳥に会えない1分1秒がやけに長く感じてしまい、そのもどかしさに胸の奥が締め付けられるようなのだ。

 前髪が少し乾き始め、時計の秒針がいつもより少しうるさいと思った、その時だった。


 『~♪』


 机の上に置かれたスマートフォンから、聞きなれないメロディーが流れ始めた。

 動画でも消し忘れただろうか。

 手に取って画面に目を降ろすと、電話の受話器のマークをスライドさせるような指示と、その上には人物名が表示されていて、蓮の鼓動がドキリと跳ねる。


「こ、小鳥さん⁉」


 メッセージアプリの着信音を聞いたのは、蓮にとってはこれが初めてだった。

 随分と軽快なメロディだな、と感じたのはほんの一瞬で、気付けば自分の心臓が馬鹿みたいにうるさくて、手まで震えている。

 その震える指先でそっと受話器のマークをスライドさせ、蓮はスマートフォンを耳に当てた。

 頬に熱を帯びているからなのか、スマートフォンの角がやけに冷たく感じて気持ち良い。


「——も、もしもし?」

『——もしもーし、あ、蓮君! 今、大丈夫?」

「だ、大丈夫ですけど! ど、どうかしましたか⁉」

『ふぇ? う、うーん。ちょっとお話、したかったからー、とか!」


 ——くすり。電話の向こうから、小さく笑う天使の囁きが聞こえた。


「え、そう、なんですか。それは、その……」


『……もしかして、迷惑だった? 切る?』


「いやいやいや! そうじゃなくて! えっと、なんていうか、その……俺もおんなじこと考えてたなーって」


『そ、そうなの?』


「……引いてます?」


『そんなことないよ! 嬉しい! よかった! ふふっ』


「なら、よかったです」


『蓮君さ、昨日から始まったドラマ見た? あの、弁護士のやつ!」


「あー、親が見てたので、なんとなーく俺も見てましたけど。……なんか歯切れの悪い終わり方でしたね」


『うんうん。蓮君はさ、あれどっちが嘘ついてると思う?』


「そうですね……。次回予告の雰囲気だと完全にBが嘘ついてる流れだったような……」


『あーそこで決めるのはなんかずるい気がするー』


「えぇ、す、すみません」


『ふふっ。なんか蓮君らしいけどね』


「お、俺らしいって……」


『なんかそういう、人間どらま? みたいなところには興味を示さなそうだもん』


「んー、興味ないってことは無いですけど、頭が良い方でもないので、基本的に難しい話は苦手かもしれないですね……」


『あーそれはわかる。私も難しい話は苦手かな、推理小説とか特に!』


「……推理小説、読んだことあるんですか?」


『蓮君、今ちょっと失礼なこと考えてなかった?』


「いや、そんなことないですよ! 全然! ただ意外だなぁ、というか」


『ふぅん。 読んだことあるよー私だって。えっと、探偵のやつ。なんだっけ、あの有名なの』


「シャーロックホームズ、とかですか?」


『そうそうそれそれ! よくわからなかったけど、いつも話の最後には感動してた気がするなぁ』


「あーわかります。最後まで読まないとわからないから、ついつい読んじゃうとかありますね」


『だよねー! 昨日のドラマとかも、もし探偵さんが見たらすぐにオチを見抜くのかなぁ』


「ど、どうでしょうね……。まぁでも、僕らよりは考えるんじゃないですかね」


『なんかかっこいい気がする……』


「……そうですか?」


『私もめちゃめちゃ頭良くなって、探偵になりたい』


「急に何を言い出すかと思えば……またそんな」


『そしてまずは、蓮君の心の中全てを暴いてみせようじゃないか!』


「——うぇえ⁉ こここ、困りますからぁ!」


『……冗談なのに、そんなに慌てなくても』


「えぇっと、はは、ははは」


『さては蓮君、何か私に言えないやましいこと考えてたな?』


「ゔぇえ!?」


『うむ、ますます怪しい』


「そんなの無いですから! 絶対無いですから! もう止めましょうこの話!」


『——明白な事実ほど誤解を招きやすいものはないのだよ』


「そんなシャーロックホームズは嫌だぁ!」








 

 

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