灰色狼

 サフラを発ってから、三日。夕暮れ時の、そろそろ野宿をする場所を探そうかという時だった。

 前方から、四頭立ての馬車がやって来た。青と白に彩られた煌びやかな馬車だ。御者台に座る男も、青い長衣を身につけている。

 それを目にしたジェロームが、急に街道を外れ、森の中へ馬車を突入させた。

 かなりの早足だった。馬に全力疾走させている。

街道がどんどん遠くなって行く。

「おい、何のつもり────」

「黙りなさい!」

 御者台に向かいかけたセレネの腕を、ブリジットが掴んだ。目が血走り、額に皺が浮かんでいる。

「ジェローム様の決定に刃向かうつもりですか、身の程知らずが!」

「…………夜は魔物の時間だ。もうすぐ日が暮れる。すぐに街道に戻った方が良い」

「あなたの目は節穴ですか!」

 ブリジットの声は悲鳴のようだった。セレネの腕に、細い指が食いこんでいく。

「あの、青と白の馬車! 見たでしょう! 青の使者様の馬車ですよ!」

 神聖教会の使者には、位がある。一番下が黒、その上が灰色。最上位が白で、その下が青だ。

「あ、ああああ、青の使者様の目を汚すつもりですか! そもそも穢れた異形の忌み子などが、街道など利用してはいけなかったのです!」

「そんなこと言ってる場合じゃ」

「ジェローム様は正しい! ジェロームは正しいのです!」

(発狂してるんじゃないか、この女)

 ブリジットを振り払おうとした時、細く長い狼の遠吠えが聞こえた。低く、腹の底に響くような唸り声も聞こえたような気がした。

 ブリジットとセレネの脇をすり抜けるようにして、黒衣の少年が御者台に向かう。

「中に入れ。俺が代わる」

「も、戻らん。戻らんぞ! 私は正しい!」

「灰色狼だ! 囲まれてる! 食われたいのか!?」

 ジェロームが悲鳴を上げた。転がるように馬車の中へ戻る。御者台には、少年が残ったようだった。

 目を血走らせた中年男が、馬車の隅で頭を抱えるようにしてうずくまっていたアイシャに向かって突進した。少女の襟首を掴んで、怒鳴り声を上げる。

「お前のせいだ!」

 馬車が方向転換をした。街道へ戻ろうとしている。

「お前が、お前なんかがいるから! おぞましい忌み子に惹かれて狼が寄って来たんだ! お前のせいだ!」

「違う」

 ブリジットを振り払い、ジェロームとアイシャを引き離す。

 目に涙を浮かべたアイシャを背に庇って、セレネは中年男を睨みつけた。

「アイシャのせいじゃない。あんたのせいだよ、ジェローム」

「私は正しい!」

「正しくない」

 狼の唸り声が聞こえる。足音も。一匹や二匹ではない。群れに追われている。

「あんたが変な見栄を張ったからこうなったんだ。子供のせいにするんじゃないよ」

「何を偉そうに!」

 今度はブリジットだ。ジェロームと並んで、金切り声を上げる。

「大体、あなた、なに呑気にしていますの!? 護衛でしょう? さっさと仕事をしなさいよ!」

「…………それもそうだな」

 ため息をついて、セレネは馬車の後方へ向かった。

 剣の柄に手を掛ける。跳び降りようとした時に、小さな手がセレネの腕を掴んだ。

「セレネさん」

「大丈夫」

 今にも泣き出しそうな顔をしたアイシャの頭を軽く撫でる。少しでも安心してくれたら良いと思った。

「すぐに片付けて戻るよ。心配しないで」

 アイシャが小さく頷いたのを見てから、セレネは馬車を跳び降りた。空中で叫ぶ。

「戦女神よ、哀れな黒騎士に祝福を!」

 紅い光が、セレネの身体を彩った。

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