あやかし新聞社

浪速ゆう

狛ねずみ

ー壱ー

 ことの始まりはなんだったのだろうか。


 彼女はよく言っていたんだ。雅人さんは仕事の鬼だからと。忙しくしているのがかっこいいんだと。

 僕は確かに仕事が好きだった。彼女の言葉が僕をさらなる働き蜂にしたことは間違い無いだろう。


 結婚も考えていた。付き合って三年目。そろそろ結婚を考えてもおかしく無い。僕は彼女との関係を真剣に考えていた。そんな矢先だった——。


「雅人さん私、好きな人ができたの」


 ——信じられなかった。その後すぐに別れ話を切り出され、話は坂道を転がるようにどんどん進み、僕達の関係は終わりを告げた。



  ◇◇◇



 田舎の新鮮な空気を吸って、そこで心身ん共に療養しよう考えた僕は、一度も使用したことがなかった有給休暇を、ここぞとばかりに使用して、田舎の祖母の家に帰省していた。


「雅人くん、ちょっとこっちの電球付け替えてくれるかねぇ」

「ばーちゃん、わかったから座っててよ。っていうかばーちゃん、僕に頼むんなら椅子に乗らないでよ。危ないでしょ」


 ばーちゃんははいはい、なんて言いながら台所の小さな椅子から降りた。これはばーちゃんが台所で料理をする時に座る用の椅子だ。足腰がどんどん弱るばーちゃんが、長時間立つことが厳しくなったのを物語っていた。


「あれ、ばーちゃんこの電球、合ってないよ?」


 ばーちゃんに渡された電球は元々ついていたものとはサイズが異なっていた。するとばーちゃんは眉を八の字に変え、あらあらなんて言い始めた。


「他に買い置きはないの?」

「それしかなかったわー。困ったねぇ」


 困ったと言いながらも、長年この電球を変えてなかったのではないかと思う。なにせ今日は、ばーちゃんに今まで自分ではできなかったことをここぞとばかりに依頼されているからだ。

 たとえば立て付けの悪かった扉や、障子の張り替えなど。それらは長年放置されて埃が被り、痛んでいた様子は、その物たちから伺えた。


「じゃあちょっとそこまで電球買いに行ってくるよ」

「ああ、助かるよ。ありがとうね。ついでに切れてた醤油とみりんも買ってきてくれるかね?」


 容赦なくこき使う様子に、僕は思わず苦笑いをこぼした。


「わかったよ。じゃあ行ってくるね」

「ああ、ありがとうね。本当、雅人くんがいて助かるよ」


 そう言って手を振るばーちゃんは、前よりも腰が曲がり、痩せているように見えた。じーちゃんが亡くなって二年になるのだ。この田舎で一人暮らしのばーちゃんは、いくら元気とはいえ歳には勝てない。

 父さんと母さんはそんなばーちゃんが心配で東京へと呼び寄せたこともある。が、生まれ育ったこの土地を離れる気はないときっぱり断っていた。


「……ここ、どこだ?」


 新しい電球も買い、ついでに醤油とみりんも買った。あとは帰るだけというタイミングで、僕は帰り道には別のルートを選択した。


 ばーちゃんの家には滅多に来ることはない。子供の頃は正月や敬老の日に家族で顔を出す程度。だからいつも通る道はたいてい同じで、ほとんどが車移動だった。

 僕はなぜか昔から行きと帰り道を別のルートを選択することが多々ある。その方が新しい店やら新たな発見をすることがあるからだ。

 だがその結果、今回のように迷子という情けない結末を生んだのだが。

 そしてこの結末を迎えることも多々あるのだ。その割にそんな経験から学べていない自分が不甲斐ない。


「えーっと……多分方角的にはあっちのはずだ」


 買い物だけだと思ってスマホを持って出なかったのも僕の敗因と言えよう。

 ジーンズのポケットには財布以外何も入っていない。道はひとまず一本道、どこかで左折できる道を見つけて折れようと考えていたそんな時だった。



 ——何かで困った人はいませんか?



 そんな一文が目に飛び込んできた。それはちょうど緑の木々に覆われるようにひっそりとした場所に佇む掲示板。木でできたそれは、雨風に打ち付けられて古びている。

 そんな年月を感じさせる掲示板には白い紙に筆でこう書かれている。



——————————————————————

・何かで困った人はいませんか?


あやかし新聞社の

松の木の麓に便りを結んで下さい。

当神社で占い、調べます。

もしかしたら手助けできるかもしれません。

できなかったらごめんなさい。


・探し物はございませんか?


あやかし新聞社の

松の木の麓に便りを結んで下さい。

当神社で占い、調べます。

もしかしたら見つかるかもしれません。

見つからなければごめんなさい。

——————————————————————



 ……なんともインチキくさい。そもそも占い、調べるとはなんだ。その上できるかも、見つけられるかもわからないところがまた、胡散臭さがぷんぷんだと思った。


 そんなメモのような紙の隣には、『あやかし新聞』と書かれたタイトル。A4サイズの新聞が貼り付けられていた。

 新聞と呼ぶにはいささか子供じみて見えるそれは、小学生の頃にクラスにあった学級新聞に近いものを感じる。

 興味本位から、僕はその新聞の内容に目を凝らした。



・三丁目のトマさんの家の脱走猫、ミケランジェロは二丁目で迷子になっている模様。


・老眼鏡をいつも無くすイサムさんは犬小屋の中を探してみるといいらしい。犬が隠し持っている可能性◎


・隣町のコウジさんの持病のぎっくり腰に関しては、重いものを持とうとせず、毎日散歩を欠かさずにいると良いでしょう。これ以上悪くならないように当神社でも神様に祈りを捧げます。



 ……とまぁ、こんな内容がその新聞には書かれている。また、今月の吉凶や方角などについて占いのようなことを踏まえ、神社での催し物のスケジュールなも書かれていた。


 そして最後にはねずみのイラストが筆で描かれている。

 あれ? 今年の干支はねずみだったか……? いや、それは去年だ。神社ともあろう場所が、干支のイラストを描き間違えるなど、あってはならないのでは……なんて思いながら、僕は神社の鳥居を見上げる。急な傾斜の石畳。

 一体上まで、何段あるのだろう。


「ちょっと、寄り道してみるか」


 なんて言って、僕が階段を上り始めたその時だった。


「ちょっとそこのお兄さん。豊臣神社に行かれるの?」


 背後から声をかけられて振り返ると、そこには腰を曲げて優しい笑みを携えたおばあさん。


「豊臣神社……?」


 神社の鳥居の真ん中には表札のように神社の名前が刻まれているが、僕の位置から、僕の視力では読むことができない。


「えっと、この神社のことですかね? ちょっと覗きに行ってみようかと思っていますが……」

「あら、このあたりの方じゃないのね? 上まで覗きに行こうとしてるのなら、この手紙を松の木の麓にあるおみくじを結ぶところに結んできてくれないかしら?」


 そう言って差し出されたのは、おみくじの要領で縦長に折られた手紙だった。


「いいですよ、どうせついでですから」


 僕が手を伸ばしてそれを受け取ると、嬉しそうに笑っておばあさんはポケットから小銭入れを取り出した。


「ありがとうね。この急斜面の階段は腰にくるのよ。助かったわ」


 言いながらも小銭入れから50円玉を取り出し、それも僕に差し出している。

 お駄賃? それにしては今時こんな金額では子供だっておつかいを頼まれないんじゃないか……って一瞬思ったけれど、どうやら違うようだ。


「ついでにお賽銭もお願いね」

「ああ、わかりました」


 なんだそっちか。なんて思いながら僕は手紙とお賽銭を握りしめた。


「ちなみにこれって、あの新聞に書かれてる相談事ですよね?」


 おつかいついでにと思い、僕はあの掲示板に貼られたあやかし新聞社の紙を指差した。

 するとおばあさんは首を縦に何度も振りながら笑っている。


「そうそう。どうしても来月までに見つけないといけないんだけど、どこにやったか忘れちゃってね」


 歳をとるって嫌ねぇ、なんて言いながらおばあさんは空気を叩くように手を振った。


「ここの神様に助けてもらおうと神頼みに来たの。だから代わりにお願いね」


 神頼みに来た割に、あっさり他人の僕に手紙を預けるあたり、そこまで大した探し物ではないのだろうな。なんて不謹慎なことを思いながらも、僕は微笑みを返した。


「わかりました。しっかり僕が上まで届けます」

「ありがとうね」


 そう言って、僕とおばあさんはそこで別れた。僕は上に登る使命を感じながら意気揚々と階段を一歩一歩登っていく。

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