第18話 ベーリング海を行く

「ベーリング海を行く」        

1987年6月 北海道を取り巻く隣国の漁業関連の取材でアラスカ州へ旅たった。

取材の大きな課題は、連日 ロシアをはじめアメリカも魚場であるベーリング海に於いての日本漁船の操業違反事件が頻発していた背景があつた。

この取材で20年余に及ぶ報道カメラマンとしての役割を終える心構えがあった。

相棒の記者は、ローカル局時代に二年程一緒に報道畑を歩んでいたO氏である。 四年後輩で物静かな学者タイプの男である。 このO氏とは、日本漁船の違反事件を調査報道として扱った事も多くある。 何時も事件の真相は闇の中であり当局(海保)の発表には納得する内容に対して消化不良状態であつた。 そこで、アメリカ側からその実態を報道しようと企画されたのが、今回のアラスカ取材である。

USAのコーストガード(沿岸警備隊)の警備艇に14日間同乗取材できないか、領事館を通して申し入れた。 1ヶ月程で「OK 」との回答を得た。 通訳兼助手としてC氏が同行した。C氏は外語大を卒業して入社一年目の新人である。 

アンカレッジから空路コディアック島に飛ぶ、六月末のアラスカは濃霧が発生して飛行機も飛ばない日が多い。 しかし、我々は運が良いのか無事に警備艇が待つ島に到着した。

白夜の季節で子供たちが真夜中までサッカー遊びをしている。

1944製(太平洋戦争中に建造)210トン余りの警備艇「乗組員26名」は、我々三人を歓迎してくれた。 テレビ界も報道取材には、フイルムからビデオ方式(通称ENG/エレックリック・ニューズ・ギヤザリング)に改革され小人数でのニュース取材が可能になった。

この警備艇のキャプテンは1944年生まれで私と同じ歳である。 この船には1944年産が三人(?)も、存在していると話が盛り上がった。 

全員が国務省の役人である。 船内には我々のために二段ベットが確保されていた。

船室は、内部から鍵が掛からない。外からしか鍵が掛からない方式である、理由を聞くと容疑者の保留室も兼ねているとの事。 この船、時々故障が起きる。 隊員たちは「おいぼればあさんが怒った」と言い機関長が走り回るのを笑っている。

士官はキャプテン・航海士・無線技師・機関長の四名で特別室を持っている。 隊員は四人一部屋で武器庫も兼ねた船室は少し狭い感じがした。

ベーリング海は、連日穏やかで違反漁船も見当たらない。 キャプテンは「彼方方が乗船してから名物の霧も消えたし、違反船も消えた。」と笑顔で言う。 しかし、我々は違反船の取締り状況を取材しに遠くから来たのでそれが映像化しない事には無意味になる。 “テレビの調査報道班が来たと神が漁船に伝えたのか”・・・連日・連夜 三人は疑心暗鬼に至る。

連日、隊員と士官との何気ない会話。 年金は20年間で支給されるとの事。船上二年・ワシントンDC二年と交互に勤務するシステムとの事である。キヤプテンは来年43歳で船を降りてアメリカ本土で牧場をやると意気込む。 10日は、瞬く間に過ぎる。 大型の日本漁船が操業しているとの情報。小型ボートにライフジャケットを着込んで大型船に向かう。

臨検の状況を取材する。 3500トンの日本籍母船は缶詰工場も兼ねた運搬船である。

大手漁業会社所属の蟹を主とした製品を生産している。 違反操業は画にならなかったが、一方では少し安堵した気持ちが強かった。

セントポール島に降ろされた。下船時にズタ袋一杯の隊員らの手紙を年長の私が預かりアンカレッジの郵便局で投函した。霧が島を覆い飛行機がアンカレから来ない日が四日も続いた。 この島を訪れていたヨーロッパからの観光客も足止めさせられていた。

島は、シーライオンの繁殖地であり又珍しい海鳥の生息地として有名である。 民宿を兼ねたストァーには17名もの旅人が宿泊していた。 海霧が滞在を伸ばしてくれたと彼らは喜んでいた。 しかし、我々は思い通りの取材が出来ずに落ち込んでいた。 ドイツツァーの添乗員が毎夜バイオリンを演奏してくれたのが、心の安らぎであった。


アンカレッジ市 南方のプリンス・ウイリアム湾に面した水産会社で日本とアラスカ合弁会社が操業している。サンドイッチ方式と呼ばれるスタッフ配置を行っていた。 所長は日本人 支配人はアメリカ人 作業班長日本人 作業員はアメリカ人 と要所に配慮したシステムである。海から陸地を見ると銀色に輝くハモニカーみたいな建物が並んでいる。 水産工場で働く従業員用のトレラーハウスである。 所長の説明によるとカルフォルニア州から出稼ぎに来ている家族用の住居である。 近くの港ではカラフルな漁船が湾内で操業している。漁船員も三十・四十代の働き盛りのアメリカ人である。 働くどの顔もエリート的な面持ちである。 色取り取りのカッパを身にまとっている。 どこから見ても芸術家が漁船に乗って遊んでいる様に見える。 この季節は、シルバー及びレッドサーモン漁の最盛期でありアラスカの代表的漁法のトロール捕獲が行われていた。

港で話を聞くと「漁師は全員カルフォルニァの公立学校の教師」と言う。 学校の先生が漁師とは・・・説明を詳しく聞く。 学校が夏休み期間中「二ヶ月余り」は、給料が出ないので毎年先生家族が移住して来るのだと。そして、奥さん方は水産工場で加工作業に従事しているとの説明。 日本では到底考えられない。納税者の利益を考慮したものと教師は付け加えた。 子供たちは奥さん達が、保育施設を設けて交代で行い分担金の中から賃金を払っているとの事。 加工所では日本向け用筋子が生産されていた。

素晴らしいシステムに胸を打たれた。

大型パラボラは東の空へ向けられ、連日 日本発の情報が入手可能である。 トレラーハウス村には、二十台余の車と人口50余人が生活している。 南の空に向けられた国内衛星放送がその村民の娯楽を支えている。 

水産加工場は、自家発電施設と水洗が完備され快適な生活が保障されていた。

会社の説明によるとこの方式は、北欧でもシシャモ漁を行っていると付け加えた。

そして、「マスコミさんが来たから(我々取材チーム)旨いビジネスではなくなった」と海を眺めた。筋子を見るとアラスカを思い出す。

そして、コーストガード警備艇の会計庶務係りは「安い料金での船舶ホテル。アメリカ国民からのプレゼントです」と笑顔で下船時言う。 何と一泊四食付一人1700円の清算である。

それも、ベーリング海上で個室を与えられ毎食後、新鮮な果物や冷菓が付いての破格値段であった。 納税者、優先政策に頭が下がった。役人は絶えず納税者を向いて業務遂行している姿に感動を覚えた旅であった。

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