8


「ということで、文化祭おつかれーい!」


 一夜明け、翌日。七月六日の月曜日。


 振り替え休日なので、平日だが学校は休み。


 その夕方に僕んちで文化祭の打ち上げが開催されることになったのだ。


「おつかれっすー!」


『おつかれさまー!』


 と。無鳥なとりの乾杯の音頭に、フウチとおもてがグラスを持ち、応える。もちろん僕も。


「で? 詩色。肝心の売り上げはどうだった? 十万いったー!?」


「……いくかよ。六万とちょっとだよ。ここから、九旗くばた先生に材料費を返すから、だいたい五万とちょっとだな」


「えー! 案外少ないなあ!」


 たしかに疲労感と比べると少なく感じるかもしれないが、それはお前の客の回転が悪過ぎたからだろ。


 無鳥の客は、常に満席だったが、しかし回転効率は悪かった。長居する客が多過ぎたのだ。


「まあ、これでもかなり上出来だろ。材料費が一万くらいなのに、ここまで儲けが出ると、なんか申し訳ねえよ」


「詩色先輩の素人の鉄板焼きにしては、よく頑張ったほうじゃねえっすか? ご苦労様っすよ」


 なんで後輩がこんなに偉そうなのだろう。ご苦労様、という言葉は、正しくは目上の人が言うのにふさわしい言葉で、言うならば上司が頑張った部下に掛ける言葉であり、決して後輩が先輩に言う言葉ではない。誤用である。知らずに使用されることが多いけれど、マナーにうるさい先輩なら、ブチ切れてもおかしくねえぞ。


 まあまあ。僕は器が巨大なのでブチ切れたりはしないけれども。ちょっとイラッとするくらいだぜ。なにせ器が巨大だからな。それに、売り上げの貢献度では、実は矢面、無鳥よりちょっと多い。マニアックな客が何度も来たから、矢面の売り上げは無鳥よりちょっと多かった。


「ところで詩色先輩……あの女は今日は居ねえんですか……?」


 あの女——矢面が言うあの女とは、僕の妹しぃるである。どうやら矢面は、残念ながら接点を持ってしまったしぃると、これ以上関わりを持ちたくないようだ。と言っても、きっと矢面の願いは叶うまい。


「今はまだ学校だよ。そのうち帰ってくるだろ」


 そのうち。あるいはすぐに。僕の妹は人が嫌がることにはすぐに駆けつけるからな。人が嫌がることに率先して行動するわけじゃなく、人を嫌がらせることに率先して駆けつけるのだ(最低じゃねえか)。


「あといい加減、僕の妹を『あの女』って言うのやめろよ。この打ち上げの料理とお菓子を作り置いてくれたのは、しぃるなんだぜ?」


「人間誰しも特技はある、って言いますけど、あの性格でお菓子作りが得意ってことに対しては、文句を言わざるを得ねえっすよ」


「きみが言うなよ」


 その性格で、部員全員の衣装をハンドメイドしたきみには、その文句を言う資格がねえよ。しぃるもしぃるだが、矢面も矢面だ。どっちも性格と特技のバランスが悪過ぎるだろ……。


 まあ、僕の衣装も作ってくれたし、フウチの和メイドは僕のツボを何度も刺激したから、文句は言わないでおくけれど。


 そんなことを思いながら、正面に座るフウチの方を向く。


『もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ』


 ハムスターみたいに頬を膨らませて、唐揚げを頬張っている。ちょー可愛い。口に頬張ってから、わざわざタブレット端末をテーブルに立てて、『もぐもぐ』が見えるようにしているのは、言ってしまえばただの奇行なのだが、ひたすらに可愛く見えてしまう。


 僕が奇行にときめくという、もはやこっちも奇行状態でいると、もぐもぐフウチと目が合った。


 だけど恥ずかしそうに下を向いたフウチ。


 まあ、僕も照れて視線を外したが。


 すると僕のスマホがポケットで震えたので、取り出し確認。


『なに見てるんだあ!』


 というフウチからのライン。対面して座っているのに、この距離でライン。こっそりと。


 こっそり——というワードで、僕はテンションが上がった。


『いや美味そうに食べるなあ、って思って』


『…………えっち』


 えっち——というワードには、テンションが大きく上昇した。僕のどこらへんがえっちだったのか全くわからないけれど、わからないまま、テンションは上昇してしまったぜ。


『僕のなにが、えっちだと言うんだ?』


 わからないので聞くことにした。僕からのちょっとしたからかいの気持ちを送信。


『き、昨日……頭の動きを封じられた!』


 昨日の頭部ハグ。あのあとなあなあで、顔を真っ赤にしながら写メを撮影して、そのことには触れなかったけれど、まさかここで話題にしてくるとは。


 思い出すと、僕のくせに良くそんなことが出来たな——と、自分でも自分の行動に驚いてしまう。雰囲気に流されることを嫌がったくせに、雰囲気に流されてしまった自分が、情けない。けれど、よく頑張った僕! と、自己評価を下してしまう。


『ごめんな……どうかしてたよ。昨日僕』


 しかし自己評価でいくら自分を褒める快挙だろうとしても、フウチに迷惑をかけてしまったのなら、しっかりと謝るべきだ。そう思い、謝罪文を送信した。


『うしっ』


 なんだこの返信? うしっ? 


 なんだそれ、うしっ? 誤字ったのか?


 それとも急に僕は、牛認定されたのか?


 僕が戸惑とまどいを感じていると、続けて、


『前向いて?』


 というメッセージが届いた。


 その言葉に、顔を上げて正面を向く。対面して座るフウチの方を向く。


 テーブルに立てられたタブレットを見る。


『れかた!』


 正面のタブレットには、そう書かれていた。


 わからないわからない。意図が全くわからない。


 首を傾げながら、僕はフウチにメッセージを送る。


『れかた! ってどんな意図があるんだ?』


 さすがに全くわからないから、質問せざるを得ない。


『たし算……言葉のたし算』


 返ってきたメッセージでそう言われたので、僕は暗算で『うしっ』と、『れかた!』をたし算。


 少し時間を使ったけれど、僕は答えにたどり着いた。たどり着いて、顔面がものすごく熱くなった。顔から火が出そうなほどに。


 たし算——『うしっ』と『れかた!』のたし算。それは、『うしっ』に、『れかた!』を正しい位置に追加すれば、ひとつの言葉になるからだ。


 わかりやすくするなら、『う◯し◯っ◯◯』である。◯の部分に『れかた!』を順番に足すと、つまりつまり——『うれしかった!』になる。


『答え合わせは……しないもん……』


 答えを送信しようとしたら、先に送られてしまった。そう言われては、答えを聞くのも野暮ってもんだろう。


 聞かずとも、わかるしな。


 顔を真っ赤に染め上げて、誤魔化すように唐揚げを頬張るフウチを見れば、答えなど言わずもがな、だろう。聞かずもがな、というべきか。


 僕の顔面も灼熱だし。一気に汗かいたぜ。


「みなさーん! お外にしゅーごー! しぃるちゃんからのお願いだよー?」


 と。僕が顔面の熱さを感じていると、玄関からしぃるの声がした。どうやら学校から帰宅した妹は、リビングに居る僕ら全員を呼び出しているらしい。ただいますら言わずに、いきなり唐突に、集合の合図を掛けるとは、さすが僕の妹。行動が読めないぜ。


 まあ、クールダウンには丁度いいけど。


 ということで、リビングに居た僕たちは、全員で外——さして広くもない我が家の庭に集まった。


「……お前、こんなのどこで拾ってきた……?」


 庭に、やたらと長い竹があった。長いけれど太さは普通。だが長さが三メートルくらいある長竹が、庭に立っていた。庭の隅にあった穴あきブロックを数個並べ横にして、そこに突き刺してあった。


「拾ったんじゃないよ、お兄ちゃん。もらったんだよー。商店街のおじちゃんがくれたんだよー」


「もらえる物はなんでももらってくるスタンスなのか? お前の生き様は」


「ふふん。明日は七夕だから、丁度良いでしょー。お兄ちゃんはお友達と七夕なんてしたことないことを知っているから、わたしが気を利かせたんだよー? 感謝して!」


「……必要か? 感謝?」


「当たり前でしょ! 早くありがとうって百回言って! 百回とも心を込めて言って!」


「難しい注文だな……。あとでアイス奢ってやるからそれで勘弁しろよ」


「二個ね? それで手を打つよ?」


「はいはい……」


 僕が頼んだわけじゃあないのに、なぜか感謝の品物を贈呈することになってしまった。しかも二個。


「てかしぃる。まさか短冊に願いを書いて、吊るすつもりか……?」


「当然でしょー! 短冊も買ってきたんだから! お兄ちゃんのお小遣いを減らす覚悟で買ってきたんだから!」


「僕のお小遣いを減らす覚悟をして良いのは僕だけだ! お前の立ち入って良い領域じゃねえよ!」


「うるさいお兄ちゃんは、ほっておいて、お願いを書こーう!」


 僕の言葉を無視して、全員に短冊を配るしぃる。


 短冊の値段、一枚で三百円か。じゃあ僕のお小遣いから、千五百円が引かれるのか。


「出来る妹のわたしは、しっかり用意して来たので、じゃーん! きちんと予備もありまーす!」


 おい。僕のお小遣いを減らすどころか、無くなるんじゃねえのか? 月三千円のお小遣いだから、三百円の短冊を十枚用意されたら、僕のお小遣いは……ゼロじゃねえか!


 まあ、欲しいものがないから良いけどさ。


 欲しいものがあるなら、おねだりするし。


 ということで、一日早いけれど、僕んちの庭で唐突に七夕が始まった。


 渡された短冊に僕も願いを書く。


 だが、願いって、なにを願えば良いのだろう。


 僕の願い——なんだ?


 そりゃあ、真っ先に願いたいことならある。フウチとの関係を願いたい気持ちはもちろん存在する。


 が、それを願うと、短冊に書かねばならないし、そんなのを書いたら、永遠に妹にいじられる人生待ったなしだろうし、フウチに僕の気持ちを告白するようなものじゃねえか。


 さすがに無理だ。その言葉を短冊に書く勇気は、僕にはない。


 じゃあどうしよう。うーん。


「フウチはなにを書くんだ?」


 そばで短冊を書いていたので、フウチに質問した。


『な、内緒だよっ!』


「内緒かー」


 でもそれ、吊るすからバレるぜ?


 すぐバレるぜ? たぶん僕の妹、みんなの願いを掌握することで優位に立とうとする性格しているから、すぐ読むぜ? しぃる。


「あれ? 二枚書くのか?」


 ふとフウチの手元を見ると、何やら短冊を二枚所持していた。


『こ、これは……誤字ったの……』


「フウチでも誤字ることがあるんだな」


『えへへ』


 可愛い。可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い。


 夕焼けに染まる頬がめちゃくちゃ可愛い。


 僕がそんなことを考えていると、フウチは誤字った方の短冊をポケットにしまって、書き終えた短冊を吊るしに向かった。なんて書いたのか気になるけど、それはプライバシーを考慮して、見るのはよそう。


 僕も短冊に願いを書いて吊るすことにした。


 なにも思い浮かばなかったので、とりあえず『筆談部永遠に』という、ある意味恥ずかしい願いを吊るす僕。


 そして日が暮れるまで、庭でわいわいしたのち、みんなが帰宅した。


 帰り際、フウチがなにか僕に言いたそうだったけれど、そのまま帰ってしまった。思えば、昨日。僕が勇気を出す前も、何か言いたそうにしていた。


 なにを言いたかったのだろう?


 それはわからないけれど、いつでも聞けるだろうし、いつかは言ってくれるだろう。


 そう思って見送った。


 そう思ったことが、後悔することになる——とも知らずに。


 9


 後悔になるとも知らずに——後悔した。


 その後のフウチは、学校でもそわそわしていて、なにか焦っているように感じた。


 だが、僕はなにも聞かなかった。


 なにに焦っているのか、それを聞かなかった。


 聞けばなにか変わったのか? そう問われると、答えにはきゅうする。でも、心の準備は出来たのではないだろうか。


 心の準備。スタンバイ。気持ちのスタンバイ。


 それくらいは出来たのではなかろうか。


 フウチは翌日、七月七日、火曜日からも様子がおかしく、翌週の月曜には早退した。


 そして火曜日から学校を休み、夏休み目前の本日まで、ついに学校に姿を見せなかった。


 心配になった僕は、何度も何度もラインを送った——けれど、既読は付いても、返信はない。


 なにがあった? わからない。


 僕はなにかしてしまったのだろうか?


 不安がよぎる。不安しか感じない。


 ついに夏休み目前で、その不安が蓄積された僕は、生まれて初めて、学校を休んだ。


 物心がついてから初めて、熱が出たのだ。病院に行っても風邪と診断されず、解熱剤だけを頂戴した。


 知恵熱——というやつだ。


 深く考え過ぎて、僕は熱を出してしまったのだ。


 夏休み目前——夏休み二日前。


 寝込む僕のもとに、来訪者の姿があった。


 その来訪者のひとりは、親友の無鳥。


 そしてもうひとりは、顧問の九旗先生。


「どうしたんですか……? 九旗先生まで」


 僕は、自室のベッドから体を起こし、二名の来訪者に声を出した。二人の雰囲気が、いささか重い。


「詩色……あたしから言う勇気がないから……、九旗先生にも来てもらった……」


 無鳥は言った。珍しく、声が湿っている。涙を堪えている。


 嫌な予感が——予感でなくなる。


葉沼はぬま。無鳥を責めるなよ。顧問として、いや、教員として——私がお前に、そのまま伝えてやる」


「……なにを……ですか……?」


晴後はれのちフウチから私に退学届が提出された」


「嘘だっ!!!」


 嘘だ。そう叫んだ自分が一番嘘をついている感覚になった。フウチがなにか言いたそうにしていたことを、いつか言ってくれる——と。後回しにした自分が許せない。


 後悔。しても遅いから、後悔というのに。


 する頃には、遅い。手遅れだから、後悔——と。そう書くのに。


「嘘ではない。葉沼。現実を受け入れる強さを持て」


「……………………」


「すまないな。私にはこうして、現実を突きつけることしかできないんだよ。申し訳ない」


「詩色…………」


「ごめん。ごめんなさい、先生。悪い、無鳥。ひとりにしてくれ……」


「わかった。帰るぞ無鳥」


「…………はい……」


 僕の言葉に、ふたりは帰った。


 退学届。なぜ? どうして?


 なにがあった? なぜそうなった?


 どうしてどうしてなんでなんでなぜなぜ。


 わからない。わかるはずがない。聞かなかったのは、僕なのだから。


「ああ……あああ…………あああああ……」


 声にならない声を漏らし、ただひたすらに後悔の涙を流す——そんな女々しい僕は、しかしなにもすることが出来ずに。


 聞かなかった僕が悪い。言わばチキンの代償。


 ただ、後悔の海で溺れるだけのチキン。


 あるいは燃え尽きたチキン——ただの焼き鳥だ。

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