文化祭。七夕チキン。

 1


 文化祭前日。僕たち筆談部のメンバーは、文化祭の準備に追われていた。


 と言っても、特に忙しいわけでもなく、視聴覚室の床がカーペットなので、鉄板を設置するスペースにブルーシートを敷き、その上に鉄板をセッティングするだけである。鉄板を運ぶのは、僕と無鳥なとりで運び込んだので、あとはガスを繋ぐだけ——である。


 部屋の飾り付けは、矢面やおもてとフウチが担当していて、前日から準備しようとも全然間に合うし、なんならもう終わっている。やたらと矢面とフウチのセンスが良いおかげか、殺風景だった視聴覚室が華やかに飾り付けされている。


「んじゃ、あたしは九旗くばた先生に、用具室の鍵を返してくるよ」


 と。僕と一緒に鉄板運びを終えた無鳥がそう言った。


「頼むよ……。僕はもう、膝は笑ってるし、腰とかしんどい……」


 日頃の運動不足で、外にある用具室から、二階の視聴覚室まで運ぶだけで、僕の足腰は悲鳴を上げている。産まれたばかりのヤギのようになっている僕だった。ガクガクだ。


「情けなー。あたしピンピンしてるのに」


「お前は僕と違って、中学時代に運動をしていただろ……。バスケクラブにかよっていただろ……」


「でもあたし、その後一年は帰宅部でのブランクがあるんだけど?」


「構造が違うんだよ……僕と無鳥では、人体構造が全く違うんだ」


「構造って。あんた自身の運動不足を人体構造のせいにするな小僧」


「流れでの言いやすさを優先するだけのために、僕を小僧と呼ぶな」


ひざ小僧」


 そんな風に言った無鳥は、膝が揺れている僕に膝かっくんをしてから、職員室に向かった。無鳥と一緒にフウチも職員室にセロハンテープを返しに行くとかで、無鳥について行った。膝かっくんされた僕は、無情にもそのまま、普通に膝をついてしまった……。なんだかとても情けなかったので、あたかも膝をついたのは、膝かっくんをされたからではなく、鉄板の下を覗き込むため——みたいにとっにフォローしたが、むなしいだけだった(くそう……)。


「なにしてんすか? 馬鹿なんすか?」


 こいつと二人きりか……。


「はあ…………」


「露骨にため息つくのやめてもらっていいっすか?」


「露骨にため息をつかせたのはきみだけどな?」


 馬鹿なんすか、って。なかなか先輩に言えないだろ普通。どんな勇気なんだよ。あるいは僕は、どんだけ矢面から低く見られているんだよ。


 これでも先輩だし、部長だぞ。


 まあ、部長と言っても、これといって大したことしてないんだけれども。でも年上はうやまえよ。少しくらいは尊敬しろよ。


「果たしてきみは、社会でやっていけるのか?」


「いや、詩色先輩にだけは言われたくねえっすよ。先輩こそ、でしょう」


「僕のなにを知ってるんだよ、きみは」


「部活でしか会わなくても、見てりゃコミュ症ってことはわかりますけど」


「なんだ? きみは僕のことを見ていたのか?」


「厳密に言うと、視界に入っちまうんです。残念っす」


「やかましいわっ!」


 残念と言いたいのは、僕の方だ。


 ツインテールの後輩——というだけで、萌えそうで良さそうなイメージをとことん悪くしやがって。そのヘアスタイルで、そこまでツンツンしているなら、少しぐらいデレて僕を萌えさせてみろ。とがり過ぎたエッジを丸くしろ。もはや貴様は、ツインテール業界全体のイメージを暴落させているからな? ツインテールを断髪して、謝罪会見でも開け!


 なんでその性格で手芸が得意なんだよ。


 意味わかんねえよ。本当に。


「ところで、手芸以外には得意なことあるのか?」


「なんで先輩に教えなきゃならないんすか? ぼくの個人情報を」


「その悪態も立派な特技だな。今更だが、きみは僕との戦争を望んでいるのか?」


「噂の『ダイヤモンドアッパーカット』を出すつもりっすか? うわあ怖い怖い。女の子相手にムキにならないでくださいっすよ」


「その嫌な通り名まで知ってたのか…………」


 どこまで広まったんだよ、それ。風の噂にしちゃあ、轟き過ぎだろ。


 僕の完全なるマイナスイメージ。負の遺産。


「つーか、きみはきみで、実はすごいよな。その通り名を知っていて、僕のことを元ヤンだとか勘違いしていたくせに、初対面のときから一貫して、その態度だったんだもんな……」


 褒めてるわけじゃあないけど、僕ならそんな名前で呼ばれてる奴、何があっても無視するぞ。まあ、そんな名前で呼ばれていたのは僕なのだが。広めたつもりもなければ、広めたくもなかったんだけどなあ。


「そっすか? ぼくからすれば、先輩の方がすごいっすよ」


「なんだ? 珍しく僕を褒めるつもりか? どれ聞こうじゃないか」


「だってそんな通り名で呼ばれていて、ヤンキーから恐れられてるし、普通の生徒にも恐れられているのに、どうしてそこまでヘタレなんすか? 凄すぎますって。尊敬しないなあ」


「きみは僕と敵対するためだけに生まれて来たのか? この世に生を受けた宿命のように僕をけなして来るけど、そういうデスティニーを背負っているのか?」


「やだなあ、そんなことないに決まってんじゃないっすか。背負ってるのは先輩の方じゃないっすか。へへっ。まあ、先輩が背負っているのは運命じゃなくてごうでしょうけどね。ウケんすけど」


「ウケんなよ」


 あとウケるって言うなら、少しぐらい笑えよ。へへって、鼻でのみ笑いやがって。


 なんだその無表情は。僕と話すときだけ無表情だし、ほとんど棒読みだし。心どこにリリースしたんだよ。むしろこっちが笑えてくるわ。


 いっそのこと爆笑でもしてやろうか——と、僕が考えていると、矢面は、


「つーか先輩って、フー先輩とできてんすか?」


 と、言った。相変わらず抑揚よくようのない棒読みで、もはや僕のほうを見ずに。見向きもせずに、淡々とそう言った。


「な、ななななんだよ急に……」


「いやそれこっちの台詞せりふなんすけど。急に慌て過ぎでしょ」


 なんか恥ずかしくなったので、慌ててしまった。慌てたことにも恥ずかしくなったので——こほん、と。ひとまず咳払いをしてから、僕は、


「どうしてそう思ったんだ……?」


 と、訊く。普段の部活では、僕はそれなりにビシッと仕切っているはずなのだが、なぜそう思われたのだろう。てかなぜ僕は動揺したのだろう。きっとその手の話題に免疫力がなさ過ぎるからだろうな、と。そう自己分析をするのには、時間は必要ないくらい、一瞬で分析が終わった。


「だって先輩、フー先輩と話してる時の顔、ヤバイっすよ? どんだけゆるむんすか、って言いたくなるくらい、溶けてますし。はは、まあ元から溶けてるみてえな顔なのかもしれませんけど」


「今きみは、普通に僕を馬鹿にしたよな? 呼吸をするように、さも当然の如く馬鹿にして来たよな?」


「さーせんしたー」


 軽い謝罪だなあ。なんかもう、ムカつきを通り越してムカつかなくなって来たよ。これも人類の適応力なのだろうか。通り越すというか、コースアウトみたいな気分だが。


 でも僕、そんなにフウチと話す時の顔はヤバイのだろうか……。たしかに気持ち的には溶けることもあるが(多々あるが)、顔面まで溶けてたのだろうか……。


「そんなに僕、顔に出るのか……?」


「鏡見たことねえんすか? あー、鏡って言うのは、光を反射する道具のことなんすけど」


「知ってるよ! 鏡くらい知ってるわ! 僕を原始人とでも思っているのか?」


 スマホだってタブレット端末だって持ってるんだからな、僕は。ラインだってやってるし。


 どっからどう見ても現代人じゃねえか。


「まあ鏡の件は冗談なんすけど」


「じゃあ鏡以外は冗談じゃなかったんだな」


 だとしたら本当に失礼な後輩だぜ。やれやれ。


 もう呆れて、呆れ過ぎて、呆れ果て過ぎて、やれやれ、くらいしか言葉が見つからないぜ。


「つかぼく、これでも結構気を遣ってんすよ?」


「どこが?」


 そんな様子、一個もないけど、どこが?


 気を遣うって言葉をきちんと使えてる?


 使用方法、間違ってない? 誤用じゃない?


「どこがと言われたら、じゃあ言いますけど」


「言ってみろ。誤用だったら御用だからな?」


「詩色先輩とフー先輩って、だいたい部活来るの一番じゃないっすか?」


「まあ、クラスが一緒だし、どの部員よりもこの視聴覚室が近い教室から来てるからな」


「んで、基本的にぼくが三番目に来るじゃねえですか?」


「普通科の無鳥よりも、学年こそ違えど進学クラスのきみの方が視聴覚室に近い教室だから、そりゃあそうだな」


「詩色先輩とフー先輩。視聴覚室で頭撫でたり見つめ合ってニヤニヤしたりしてるじゃねえですか」


「……………………」


「外からチラッと確認して、入るタイミングめちゃくちゃ気を遣ってんすよ、ぼく。めちゃくちゃ空気読んでんすよ?」


 くっそ恥ずいっ!


 てかなに見られてたの!?


 ウッソだろマジかよ! 二人きりのとき、頭を撫で撫でしてるところとか、フウチが人の目を見る練習に付き合って、僕がニヤニヤしている所とか全部見られてたの!?


「言えよー!?」


 めちゃくちゃ恥ずかしいじゃねえか!


 そして確かに気を遣ってるじゃねえか! それなら間違いなく、空気を読んでるよ貴様あ!


「だから今、言ったじゃねえっすか」


 んー。しかしこれはどう返せば良いんだろうか。僕とフウチはできてるわけじゃないし——恋人同士じゃあないし。いや、悩む必要ないか。


 素直に言えば良いだけか。


「僕とフウチは、付き合ってるわけじゃないよ」


「違ったんすか? へえ」


 どんだけ興味ねえんだよその返し。


 僕みたいな奴と誤解されたらフウチに悪いとしか思えないので、まあ誤解されなかったことは良かったけれど、でもせめてもう少しくらい関心を持てよ感は否めない。へえ、って言われるのはなんか切ない。


「でも付き合ってもねえくせに、よくもまあ、あんなに二人してイチャつけますね?」


「別にイチャついてるつもりはないけどな」


「ぶっちゃけ、フー先輩のこと好きなんでしょ?」


「…………まあ……たぶん」


「歯切れ悪いっすねー。好きなら好きで良いじゃねえですか」


「そうなのかもしれないけれど、なあ矢面。好きってなんだ?」


「は? 脳どっかに落としたんすか?」


「そんな落とし物できるかよ。あとこれでも僕、一応先輩なんだから『は?』とか言うなよ……」


 地味に傷つくんだよ、それ。こいつに言われるから傷つくのではなく、あくまでも後輩から言われていることに対して、傷つくんだよ。先輩として傷を負わざるを得ないんだよ……。


「好きってなんだと問われても挨拶に困りますけど、じゃあ先輩はフー先輩のことをどう思ってんすか? 普段の詩色先輩は、フー先輩をどういう目で見てんすか?」


「…………可愛い、かな?」


「それだけ、っすか?」


「話してて楽しいとか」


「キスしたいなあ、押し倒したいなあ、とか思わないんすか?」


「そ、そりゃあ…………」


 思わない、って言えば嘘になる。大嘘になる。僕も男子だし、興味がないと言えば詐欺になる。


「思ってんなら、もうそれは好意で良いじゃねえですか。キスしたいとかそういう行為を求めるなら好意で良いじゃねえですか」


「でもそれって……、なんというか、下心丸出しだろ。そんなの好意って言えるのか……?」


 だってそれってつまり、フウチが可愛いからそういうことがしたい、って。そういう意味だと僕は思うのだ。可愛いから——なら、たとえフウチじゃなくても可愛ければ、そう思ってしまうのではないだろうか。


 だから、それを好意——いわゆる世間一般で言う、恋愛感情と呼ぶのは違うのではないだろうか……。


「言えますよ。言えるに決まってるじゃねえですか」


 僕の疑問に矢面は、迷いなくそう言った。


 迷いは一点もないと言わんばかりに、言い切った。


「だって先輩、フー先輩と話してて楽しいんでしょ? 楽しくて可愛くてキスとかしたい、って。そう思ってるんでしょ?」


 それを恋と呼ばなくて何を恋と呼ぶんすか——と。矢面は、呆れたかのように、珍しく僕との会話で微笑しながら言った。


「……そうか。これは恋愛感情なのか」


「先輩、恋したことなかったんすか?」


「……まあ、うん」


「へえ。変わってますね」


 変わっている——のかな? 僕は。


 なにせ中学からこっち、その……、ずっとぼっちだったから、ほとんど人と関わりがなく過ごしていたし、唯一の関係と言えば無鳥としぃるくらいのもので、無鳥はずっとしぃるの友達だと思っていたし、しぃるは実妹だから当然そんな目で見たことないし。


 じゃあ僕は、やっぱりフウチに恋しているんだな。


 なんかスッキリした。思わぬところで、思わぬ相談相手(?)に話してしまったが、ずっと恋愛感情なのかよくわかっていないでモヤモヤしていたのが、一気に晴れた。


「なんかありがとうな、矢面」


「先輩がヘタレ過ぎるから口が滑っただけっすよ」


「案外、良い奴だよなきみ」


 でも申し訳ないけれど、きみがどうしても接点を持ちたがらない僕の妹を文化祭に招いてしまった。それは許せ。別に僕が呼ばなくてもどうせしぃるは勝手にやって来るつもりだったようだし、僕のせいじゃあないから黙っておこう。


「告らないんすか?」


「その勇気は、まだないな……」


「チキンっすねー」


「まあな。でもいつかは必ず伝えるよ。僕はフウチが好きだって。女子として大好きだって——僕の口から、僕の言葉で」


 なんだか後輩相手に話しているのも恥ずかしくなって来たけれど、たまには良いだろう。後輩とコミュニケーションを取るのもたまには悪くない。羞恥心なんかよりも、恋愛感情だと判明したことの方が、僕をスッキリさせてくれたことだし、多少の無礼には目を瞑って(多大なる無礼には目を瞑って)、良しとしよう。


「まあ、頑張ってくださいっすよ。応援は別にしないっすけど、ヘタレなりに、チキンなりに。先輩なりに。せいぜい頑張ってくださいっす」


「ありがとう。でも、ちょっと言い過ぎだからな?」


 チキンは自覚しているからスルーしてやるけど、ヘタレは余計だ。きみからの応援も別に欲しくはないけれど、社交辞令でするって言っとけよ。


 全く。生意気な後輩だぜ。この憎たらしいツインテール。


 でも、今日は文句は言わないでおこう。


 そんなことを思いながら、鉄板にガスを繋ぎ始めた僕だった。


 にしても、フウチと無鳥、戻るの遅いな。

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