5


「お兄ちゃーん! お兄ちゃーん?」


「ぽへー」


「これは深刻だあ。ピポパ、っと」


「ぽへー」


「あ、もしもしるうる先輩。ちょっとお兄ちゃんの様子がいつもよりおかしいんですけど、何か知ってますー? え? 思春期だからそっとしておけ、ですか? なるほどです。わかりましたー。るうる先輩がそう言うなら、わたしはお兄ちゃんをそっとしておきますー。ありがとーございます。はいー、また遊びに来てくださーい」


「ぽへー」


「さてと。おいお兄ちゃんなにがあった早く言えよ話進まねえだろいい加減にしろ」


「おい。そっとしておく考えを捨てるスピードどうなってんだお前!」


「おお、喋った……。お兄ちゃんが喋ったあ!」


「どこに感動してんだ!」


「いや、だってお兄ちゃん。帰ってからずっと、『ぽへー』って言いながら気絶してたよ? 我が兄ながら、この兄はやばいって。妹ながらに戦慄したよ?」


「え? 僕そんな風に気絶してたの? 覚えてないんだけど……」


 ぽへー、って言ってたの? 帰ってからずっと? マジで? レアリー?


 まさかそんな馬鹿な……。あとどうでもいいかもしれないが、しぃるが戦慄という言葉を、きちんと使用していることにも少しびっくりしてしまった。


「お兄ちゃんがずっと『ぽへー』って言ってるから、わたしはてっきり、ホラー映画を美少女と観賞して、ちょっと怖がる様子でも楽しもうとしたら、あらら思いのほか美少女が怖がってあれあれ? 予想だにしてなかったくらい怖がっちゃって、あれよあれよと流されるまま、なんかものすごく美味しい思いをしたラノベ主人公みたいなエピソードでもあったのかな? って。そんな深読みまでしちゃったよお。えへへ」


「どんな読解力だお前っ! それもう深読みどころか、数時間前の僕のあらすじじゃねえか!」


 僕の『ぽへー』から、どれだけ正確な情報を読み取ってんだ。


 驚異的な驚愕の異能力級の読解力じゃねえか。そこまで読まれたら、戦慄するのはお前じゃなくて僕の方だ。怖いわ! 妹が紛れもなく天才だという驚きを禁じ得ねえよ!


「そっかー。お兄ちゃんはいつの間にか、ラノベ主人公になったのかー。じゃあ妹のわたしは身の危険を感じるべきなのかな……。同じ屋根の下にいる、可愛い可愛いこんなにも可愛い妹というわたしが、お兄ちゃんのターゲットにされないはずないもんなあー。困ったなー」


「身の危険を感じるなよ。それを言うなら案じろよ……って案じる必要はないけどなっ!? あと僕、ラノベ主人公になってねえよ? てかさ、普通に疑問なんだけど、そもそも実の妹にターゲットを絞るラノベ主人公、って、居るの?」


「世の中にどれだけのライトノベルがあると思ってるの、お兄ちゃん! 実の妹だけを狙う主人公は絶対いるでしょ!」


 絶対いるのか。マジか。しかも実の妹だけを狙うのか。妹オンリーで他候補すらないのか。


 いや、僕あまりラノベを読まないから知らないけど、兄としての立場で言わせてもらうと、じゃあその主人公もののふだな。


「まあ、そんな主人公が居たとしても、僕は妹をロックオンするような兄じゃねえよ」


「んー。そうかなあ。小さい頃、お兄ちゃんとわたし、実を言うと何回もくちびるを重ねたしなあ。わたしのくちびるは、本当は何回もお兄ちゃんに奪われているしなあ。説得力ないなあー」


「お前それ、兄妹あるあるというか、兄妹が協力して秘めるべき黒歴史だろ! 裏切るなよ!」


「あんなに情熱的に舌をねじ込んで来たお兄ちゃんだからなあ」


「そんなお兄ちゃん僕知らねえよ! 黒歴史に嘘を追加してさらに黒くして誰が得するんだ!」


「損得じゃあ、兄妹は語れないよ。お兄ちゃん」


「兄を諭すな。どんな妹だお前!」


「こんな妹がわたし!」


 閑話休題。というかただの休題。


 あるいは、単なる休憩である。


「で? お兄ちゃんはフウチ先輩にぎゅー、ってされて、押し倒してバッドエンドになって『ぽへー』ってしたの?」


「いや、押し倒してねえよ。普通にそのまま帰宅したよ」


 しばらくぎゅー、ってされて、そのまま帰宅したのだ。でも、互いになーんか気まずい雰囲気で、校門のリムジンまで僕もフウチも会話はなかった。


 フウチからすれば、怖い映画を観たテンションで、怖さを引きずったから僕に抱きついただけだろうし。無鳥なとりのドアを開けるタイミングが良すぎた感も否めないし。


 僕は僕で、そう思いながらもドキドキしてしまったから恥ずかしさを隠せなかったのだ。


「なんだよお兄ちゃん。押し倒してみれば良かったのにー。チキーン! チキンチキンチキンチキンチキンチキンチキンチキンチキンチキン」


「言っておくがな、しぃる。チキンと言われても僕はなんとも思わない兄だからな。常に周囲を警戒している僕にとって、なんならチキンは褒め言葉だ」


「骨なしチキン!」


「はっはっはー!」


「うわー、笑ってるよ」


 笑ってやったぜ。いやまあ、本音を言うと、妹にチキンと言われて(骨なしチキンとまで言われて)、内心ちょっと切ない気持ちはあるけども。


「でも、押し倒してないにしてもさ、お兄ちゃん?」


「ん? なんだ? 押し倒してないもとい、押し倒すなんて選択肢も度胸もなかった僕になんの質問だ?」


「それ、明日とか気まずくない?」


「……………………」


「お兄ちゃんの話を聞くと、二人ともなーんか、とりあえずテンションで——言っちゃえば、その場の雰囲気に流されて、抱きついたり抱きつかれたりした感じみたいだけど、それって互いに明日気まずくならない?」


「だよなあ!」


 だよなあ! だよなだよなあ!?


 その通りなんだよ。その通りでしかないんだよ。


 しぃるの言う通り、本当になんか視聴覚室の雰囲気——つまりホラームービーに加えて、部屋の暗さ、というオプションもあったから(追加したのは完全に僕だけれど)、なんだかフウチも甘えて(?)しまったのだろうし、僕は僕で、その甘えて来た(?)フウチに舞い上がっちゃったわけだし(すごく良い匂いしたし)。


「……僕、明日学校休もうかな」


「ダメだよ! ずる休みは風紀委員のしぃるちゃんが許さないよ!」


「違う学校なんだから見逃せよ! いや、そもそもちょっと待って……お前、風紀委員なんてやってたの? お兄ちゃん初耳なんだけど?」


 むしろお前の性格では、風紀を乱す方が向いていると思うぞ? 乱すというか、風紀を破壊する感じか。風紀クラッシャーの方が向いてるだろ。兄のお墨付きだ。


「ふふん。風紀委員からスカウトされたんだよー」


「なぜお前をスカウトしたんだ……」


 そのスカウトした風紀委員、見る目がなさ過ぎるだろ。しぃると僕は違う学校だけれど、そっちの学校の風紀委員、爆弾抱えてるぞ。兄が妹を爆弾とか言うのも違うかもしれないが、兄が言うのだから間違いない。


「わたしはね、お兄ちゃん。風紀を乱している人を見ると、自分の方が乱せるなあ、って常日頃から思っていたの。制服を着崩す? ぬるいぬるい。そんなちょびっと着崩すなら、もっといっそのこと雪崩なだれくらいまでやれ! むしろ脱いでしまえ! って。わざわざ朝化粧して、一時間ごとにトイレの鏡をずーっと眺めながら化粧崩れを気にするなら、最初から崩れてるスッピンで来い! あなたの顔を見てるのは、あなただけだってどうしてわからないのかなー? にぶいのかなー? って。そうやって言ってたら、不思議なことにみんな制服をきちんと着るようになって、濃い化粧する子も減ったんだよねー。だから風紀委員がわたしを欲しがっちゃったの! これってやっぱり才能なのかなー?」


「それは間違いなく才能だな」


 たぶん、あ、こいつやばい奴だ、って引かれてるのかもしれないが。


 てか、かなり酷いことズバズバ言ってるんだな。最初から崩れてるスッピンで来い、って。それを言えるとか才能だろ。なんの才能なのかわからないけど。


 あなたの顔を見てるのはあなただけとか、言われた生徒どんな顔してそれ聞いていたのだろうか。泣いてもおかしくねえだろ。てか泣くだろ。泣いて化粧が崩れるだろ。


 一年生でそれを言える僕の妹、カリスマ過ぎるだろ。きっとこいつ、上級生にも言ってるだろうし。恐れ知らず、って怖いな。


「そんな才能でスカウトされちゃったわたしのお兄ちゃんが、ずる休みするのを見逃せるはずないでしょ! ずる休みなんかして、わたしの顔に泥を塗らないで! 塗るなら保湿クリームとかにして!」


 言いながら僕に保湿クリームを手渡してきた。


 仕方ないから手にとって、しぃるの顔面に塗りたぐってみた。


 妹がモチモチ肌になっただけだった。


「でもしぃる。明日僕が、風邪を引く可能性だってあるだろ? その場合は普通に見逃してくれるんだよな?」


「お兄ちゃんが風邪を引いたら、わたしが休んで看病だよ。ご飯の用意からトイレまで看病コースだよ」


「じゃあ、風邪を引けないな」


 だってそれもう、看病じゃなくて介護じゃん。


 やだよ。トイレに妹が付き添ってくるとか、絶対嫌だよ! そして冗談じゃなくて本気でやると思えるから、風邪を引けない……。今日は暖かくして寝よう……。


 明日のことは、明日考えよう……。


 でもやっぱり、気まずくなっちゃうよなあ。


 気まずくなるのやだなあ……。自業自得なんだろうけれど、気まずくなるの嫌だなあ……。


 そんなことを思いながら、僕は部屋に向かってベッドにダイブした。


 だがまあ言わずもがな。全然寝れない。


 気まずくなるのが嫌で、明日になるのが怖い——という理由も、もちろんある。


「くううう…………っ!」


 だけれど、それ以上に僕は、本日初めて知った、抱きつかれることによる暖かさを思い出して、なかなか眠ることができないのである。


 簡単に言うと、舞い上がっちゃった僕は、寝る時間になってもまだ、舞い上がっているのだった。

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