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「なかなか戻って来ないね」


 と。なぜか教室まで着いてきた無鳥なとりはそう言ったけれど、しかしそれは、無鳥が僕の斜め前の席に座っているからで、つまり教室の出入り口に背を向けているからであり、僕の位置からは——教室の出入り口を向いている僕からは——、丸見えだった。


 無鳥には見えていない。


 もうかれこれ、五分以上前から、教室の出入り口に居る存在で——扉の陰からひょこっと頭が見える銀髪の存在。メガネを頭に掛けて、ジー、っとこちらを観察しているように見ている銀髪少女の存在に、出入り口に背を向ける無鳥は気づいていない。


「そうだな」


 とりあえずそんな風に無鳥に言葉を返しながら、扉の方をチラッと見る。僕が見ると陰に引っ込む、銀髪。


 なにあのすごく可愛い生物。すごく欲しい。


 ちなみに無鳥が着いてきた理由を原因不明みたいに言ってしまったが、無鳥が着いてきた理由は単純に、フウチを見てみたいというだけである。


 そしてフウチは人見知りである。


 人見知り。トイレでのことを考えると、無鳥はちょっとした恩人みたいなものなのだが、どうやらそれはそれ。これはこれらしい。


 なので人見知りフウチは、知らない人である無鳥が居る教室になかなか入ってこれずに、さっきからずっと——扉の陰でひょこっとしているのだった。


 でも、いつまで経ってもこの状況というのは、さすがにあれなので、僕は覚えたてのラインを使い、フウチに、


『バレてるからな?』


 って送ってみた。


『あうあうあー』


 返信が可愛い。慌てかたが可愛い。僕に返信するときは、扉の陰に引っ込むのも可愛い。


『無鳥は無害だと思うから入って来ても平気だよ』


『無鳥って、なんて読むの?』


『なとり』


『無鳥さん。無害?』


『僕が話せるくらいだしな』


『詩色くんは?』


『ナイスガイ』


『あうあうあー』


『突っ込んでくれ。慌ててないで突っ込んでくれないと、僕が馬鹿みたいじゃねえか』


『ぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺち!』


『そんなに叩くの!?』


『はいふぁーいぶ!』


『急に!?』


 やべえ。楽しい。


 ライン。楽しい。


 なんて素晴らしいコンテンツなんだ、ライン。これを知らずに生きていくなんて、もったいないと言わざるを得ないな。僕は今まで、ものすごく損をしていたようだ。


「?」


 と。スマホに夢中になっていた僕は気づかなかったし、扉の陰に引っ込んでいたフウチも気づかなかったが、僕がスマホをいじっていることに疑問を抱いた無鳥は、こっそりと扉に向かっていたようで……、


「いたあ!」


 フウチが見つかってしまった。


『あうあうあーあうあうあー! あうあうあうあうあうあうあうあうあうあうあうあうあー!』


 めっちゃあうあうあーしてるようで、無鳥がフウチを発見した瞬間——フウチが無鳥に発見された瞬間に、僕に届いたラインである。ノールックフリック入力ってすごい。


「二人でラインしてたな……、あたしも混ぜろし」


 フウチの首根っこを掴んだ無鳥は、バタバタとリアルあうあうあーする銀髪の可愛い生物を生捕りにして、扉の方から戻って来てからあうあうあーするフウチを席に座らせ、そう言った。


「あたしにもライン教えてよ、フーちゃん」


 馴れ馴れしい奴め。フーちゃん? よくもまあ、いきなりそんなネーミングで呼べるものだ。あとそういう感じの会話の流れで、さらっと聞いていいものだったのか……ラインって。


 その無鳥からの要望にフウチは、机に置きっぱなしだったタブレット端末を使って、


『……フーちゃん?』


 と。書いていた。


「フウチちゃんだとなんか語呂悪いし、フーちゃんの方が呼びやすいし、なんか可愛いじゃん? だからフーちゃんで良いよね?」


『フーちゃん…………。私、あだ名で呼ばれるの初めてだあっ!』


「あたしにもあだ名つけてくれて良いよー?」


『……うーん。三日頂戴……?』


「そんなガチで考えてくれるの……フーちゃん。あんた良い子……」


『て、照れるなあ……』


 照れてるなあ。存分に照れてるな。思いっきり下向いて、めちゃくちゃ赤面して照れるなあ。


 そんなやり取りをして、無鳥とフウチはラインを交換していた。なんだろうな。僕がラインを交換するまでに使った時間、なんだったんだろうな、ってむなしくなるくらい、気軽に交換しやがって。


 しばらく、僕抜きでフウチと無鳥のラインのやり取りがおこなわれた。二人でのやり取りなので、一体どんな内容なのか僕にはわからないが、無鳥がニヤニヤしながら送って、それを見たフウチが驚いてから、チラチラと僕の方を気にしている様子が、しばらく続いた。


「いや無鳥。お前、フウチになに言ったんだよ……」


「なにも? あたしは本当のこと言ってるだけだし。ねー? フーちゃん」


「フウチ……、無鳥になに言われても信じるなよ」


「そんなこと言って、詩色。あたしが真実しか言ってなかったらあんたが自動的に嘘つきになるけど良いの?」


「どうせろくでもねえことしか言ってないんだろう?」


「じゃあフーちゃん。聞いてご覧?」


 と。無鳥の言葉に、フウチはタブレット端末に、


『び、びーえる、持ち歩いてるの……?』


 って書いた。


「ほら! ろくでもねえ! それの所有者は僕じゃなくて妹だよ」


『妹さん……のを、詩色くん、か、借りたの? それとも持ち出したの……?』


「まず僕が愛読している前提で質問するのをやめてくれない?」


『……趣味は、人それぞれだよっ!』


「違うから! 僕読んでないから!」


 本当にろくでもねえことしか言ってねえじゃねえか、無鳥。笑ってるし(ふざけんな)。


『ど、どんなびーえる……?』


「ん? 興味あるのか?」


『違う! 私はびーえるに興味があるんじゃなくて、どんなびーえる本なのかなあ、って! 詩色くんはどんなびーえるを好むのかなあ、って。そう思ったから……だよ?』


「ひとつだけ訂正させてもらうけれど、僕がBLを心から好んでる、って勘違いそろそろやめてほしいからな?」


『大丈夫! どんな趣味だとしても、私はお友達だよっ!』


 誤解が解けねえつらい。


 その誤解、本当になんか精神的につらい。


 まあ、この誤解はそのうち解けることを願いつつ、僕は鞄にしまっていたBL本——無鳥がしぃるからレンタルしたBL本を取り出して、フウチに渡した。


「これだってよ」


『二十三巻だ…………』


「二十三巻だな……」


 二十三巻だった。表紙にデカデカと書いてあるけど言われて気づいたが、まさかそんなにシリーズが続いている本だとは思わなかった。タイトルは、『俺とお前だけのとうげんきょう』。妹は帯も保存するタイプらしく、その帯には『お前の心をこの舌で潤したい』——って書いてあった。


『ぷしゅー…………ぷす、ぷす……』


 ちょっと開いて、フウチはオーバーヒートしたようだ。僕は中身を知らないが、一体どんな中身だったのか……。


「フウチ、BL好きなのか?」


『ぷすぷすぷす…………』


 あー、ダメだぶっ壊れた。ぷすぷす書いてるし、ぷすぷすしている。


「詩色。あんたにはわからないだろうけど、今や腐ってない女は存在しないと思うよ」


「夢がないこと言うなあ……、無鳥お前」


「勝手に夢を見られても、女子は困るし」


「てか……そんなに過激な本なのか? フウチがぶっ壊れるほどに過激なの?」


「この『桃源郷』シリーズの神巻だよ。幼馴染の男の子同士が、紆余うよきょくせつありながらも、ようやくお互いに気持ちをぶつけ合う、シリーズ第一部完の節目の巻」


「第一部? 第何部まであるんだよ」


「今、第三部まであるよ。最新シリーズ《契り編》は、そりゃあもう! わちゃわちゃしてる!」


「わちゃわちゃしてるのか……」


「ちなみに今のところシリーズ全部で六十二巻ある」


「めっちゃ人気シリーズじゃねえか!」


 それ、小説だろ? そんな続くって、どれほどの人気を博しているんだよ。作者の人、第一部を良くそのワンエピソードだけで、たとえ紆余曲折あったとしても二十三巻とか引っ張れたな(たぶん天才だ)。


「アニメ化されないかなあ。さすがに過激過ぎるのかなあ」


「…………知らねえよ」


 どうでもいいかもしれないが、うちの妹はそんな過激なシリーズを集めていたのか、ってことになんかショックだった。うちの妹は腐っていたのか。知らぬうちに、大人になったんだな、しぃる……。お兄ちゃんはなんか切ないぞ。


『ぷすぷす……ぷすしゅう…………』


 あと、そんなぶっ壊れてオーバーヒートしても、結構読み続けてるのな、フウチ。


 顔の色、絵の具の赤みたいになってるけど平気か?


「ほう。なかなかいい読みっぷりだねー、フーちゃん。なんなら今度、あたしオススメの本を貸してあげよう」


「どんな本を貸すつもりだ……無鳥お前」


「あたしの愛読書『走り出した俺たちの果てなき劣情バーニング列車トレイン——ロストターミナル』という乙女の嗜み」


「それ、年齢指定されてねえか? タイトル的に」


「失礼な! 全年齢対象の健全な本だし!」


 そのタイトルで全年齢対象なのか。


 でもそのタイトル、たぶん言葉遊びをしていて、ターミナルの駅と液を掛けてるぞ? それがロストしてるって、結構な言葉を隠してるからな? しかも終着駅ターミナルがロストしてたら、止まれないし止まるつもりがないじゃねえか。暴走列車じゃねえか(深読みし過ぎ?)。


 果たして健全ってなんなんだろうか。


 そう思った放課後のひとときだった。

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