4.アンドロギュヌスなキミ


 ご予約の夏の日から四ヶ月後。


「たいへんお待たせ致しました。ご予約頂きましたトキメキ❤フルール・コレクション。いよいよ入荷しております。ご都合の良いお日にち、お時間に、お越しくださいませ。当店は年中無休です。営業時間は朝九時から夜九時まで。三箇日さんがにちは朝十時から夜八時の短縮営業となります。御来店ごらいてんお待ち致しております」


 別紙に記した、お決まりの台詞セリフです。ほとんどのお客様の端末が留守電ですので、私は機械的に読み上げるのみ。ご予約のお客様に順調な連絡が進む中、麗しのキミの端末だけが応答しません。留守電に切り替わることもありません。


「店員さん、何度もかけてね。つながらなくても諦めないで、何度もかけて」


 その台詞セリフを思い出して、何度もかけました。年末から年始に、シフトに入る前、休憩時間、シフトを終えた後、かけ続けて、ようやく。


此方こちら、タテバヤシ・ツキコの携帯です。私はツキコの母でございます。うちのツキコが、そんな予約を? 存じておりませんで……お知らせ頂き恐縮です。ツキコ、少しばかり体調を崩して、せっておりますの。代わりに私が伺いますわね」


 お母様は、麗しのキミの名を「ツキコ」と発音しました。

 月彦つきひこ。予約申し込み用紙に、そう記されたキミの本名が、「ツキコ」らしいと察した冬の日。




 一月初旬、マダムという形容が相応な品の良い女性が御来店ごらいてん


「タテバヤシ・ツキコの母でございます」


 キミの代理で、口紅とマニキュアをお買い上げ。


「ご予約の商品と、特典の化粧用コットンと、本年度のカレンダーです。あの、ツキ……コさんに、お大事に。お伝えください。お元気になられましたら、是非、また、お越しくださいませ」

 

 紙袋にそろえた一式をキミのお母様に預けます。


「ありがとう。優しい店員さん。櫻井さくらい日芽子ひめこさんね。確かに伝えます」


 快く伝言も預かってくださいました。




 二月十四日、バレンタインデーに、月彦つきひこが再び御来店ごらいてん


 その姿を「降臨」と呼びましょう。うっとり見蕩みとれてしまいます。お母様からせっていたと伺い心配しておりましたが、麗しのキミは、ほんの少しの脂肪をまとったように見えました。


「いらっしゃいませ。お久し振りです。お元気そうですね」


 悪意なく言いました。軽はずみな要素など無いはずでした。

 しかし、キミは気分を損ねます。赤い唇をとがらせます。


「お元気そうって、肥ったってことだよね?」


 咄嗟とっさに唇の色を褒めます。


「違うんです。口紅が、とてもお似合いで。唇の色が好もしくて、お元気そうという意味です」

「そういう意味か。ねぇ、僕、入院させられてね、三キロも肥らされちゃった。足が浮腫むくんで、恰好悪かっこうわるいんだ」


 電解質の異常で、一時的な浮腫むくみが発生している御様子ごようす。黒いロングスカートで足を隠しておられます。


「今日はスカートなんですね。美しいです。アンドロギュヌスのように」


 トキメキ❤フルール・コレクションのポスターの端に、天使が浮遊するイラストが描かれていました。アンドロギュヌス。性別を持たない天使を眺めて浮かんだ言葉でした。その言葉にキミは瞳を輝かせて、私の名札と顔を見詰めます。そして、何の前置きも無く告白するのです。


櫻井さくらい日芽子ひめこさん。あなたが好きです。僕と付き合ってください」




 突然の告白を受けた私は、お客様とデートを重ねて、トントン拍子に愛を育んでおりました。


 最初から分かっていたことです。

 彼が所謂いわゆる、性同一性障害というカテゴリーに属すること。

 だけど私は、そんな区分けも嫌いなら、その呼称も大嫌いです。

 だって、まったく障害じゃない。

 デリカシーに欠ける呼称で、正常な人間を分類しようとしないでください。




 重ねるデートの場は、騒がしくて入場料金の必要なアミューズメントパークやシアターではなく、無料施設ばかりでした。それは、彼が無職で私がアルバイトという懐具合ふところぐあいを考えた結果と言うよりは、ふたりして現世うつしよ静寂しじまを求めた結果です。


 晴れの日は児童公園、雨の日は図書館が定番です。

 或る休館日、待ち合わせた私たちに雨が降りました。傘を破るような驟雨にわかあめ

 雨宿りの場を探します。道すがら、ファミリーレストランやファーストフード店が軒を連ねていますが、アノレキシアの彼を誘うことは躊躇ためらわれます。そんな私をあっさりと誘うキミ。


「僕の部屋に、おいでよ」


 家に招き入れられました。彼のお母様に歓迎されました。

 数日後、法的な意味を持たない玩具の指環を交換して、

 麗しのキミと私の同棲生活が始まったのです。

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