第二十九話 『疑惑』が呼ぶ『あの人』

「殺されてるなら死んでるじゃんって思ったけど、違うんだ。死に神がぼくたちを殺した場合は、鎖が破壊される――だから、死ぬわけじゃない」


 普通なら、誰にも見られず、同じく死に神と入れ替わった物同士でさえ認識できない。

 そんな、一人ぼっちで世界を彷徨い続ける状態を、生きていると言えるのであれば。

 そういう意味では、死んではいないのだろう。


 でも、ぼくたちは夏葉さんを認識できた。

 夏葉さんだけでなく、クロスロンドンに住んでいる、霊感を持つにしてもやけに多く見える住人たちを認識できたのは、町の中が濃い霊力で満たされていたからだ。


 幽霊たちと同じで、死に神と入れ替わった元人間たちも、実体化していたのだ。

 だから見えた、触れた、会話ができた。


 クロスロンドンは、オカルトを集めた幽霊たちの町でもあると同時、

 死に神に殺された、元人間たちの町でもあったのだ。


「手放してみて……って違うか、初が背負ってくれたんだよね」


 荷が軽くなったことで初めて分かる、自分の体質だったモノの異常さだ。

 クロスロンドンの外に出ても、ぼくがこうして実体化して、初に手を伸ばして、彼女の手を掴むことができるのも全部――、


「器に収まり切らない霊力が、漏れ出しているおかげだ」

「…………ひつ、ぎ……なの……?」


 初が泣いているところなんて、初めて見た。

 彼女が、「」なんて呟くところだって。


 ぼくの手を何度も触って、自分の頬を引っ張ってみて、都合のいい幻覚を見ていると思っているみたいだ。

 喜ぶ顔を見せたと思えば、疑ってその気持ちを押し殺し、表情を引き締め周囲を警戒し始めた。

 ころころと変わる表情を見て、思わずぼくが噴き出すと、


「…………なに」


 今度はむっとして頬を膨らませる。


「ぼくは、今の初の方が、好きだな」

「急に、ほんとになによ……」


 今度は俯いて、顔を隠す。

 たくさんの表情を見せてくれて、嬉しく感じると同時、許せなくもなる。


 初に、じゃない。我慢を強いていた、昔の自分にだ。


 そして。


 初の我慢は、誰にも崩せないほど、頑丈だった。

 ――なのに、


 決して弱音を吐かず、助けも求めず、涙を流さなかった初を、追い詰めた相手に。



 初が逃げた道筋を辿っていけば、元凶とぶつかるはずだ。

 霧が濃くて、先が見通せないが……誰がそこにいるのかは、予想できる。


「ひつぎ……いかないで――いっちゃダメ!!」


 初がぼくの手を掴んで必死に止めるのは、想像した彼に到底敵わないから、という意味だと思っていた。

 確かに今のぼくに、あいつを相手にして勝てるはずもない。

 初の助けての言葉に応えたいと言っても、今のぼくには実現できない夢物語だ。


 しかし、夢物語でなくする方法を、知っている。

 初が頷いてくれれば、すぐにでも――。


 だけど、初がぼくを止めた理由は、まったく別のことだった。

 今更だけど、逃げてきた初に、どうして彼が追いついてこないのか、考える。


 霧が濃いとは言っても視界に頼らなければ、音、匂い、気配などで逃げる初を見つけることができるだろう。

 もちろん、初が知恵と工夫で逃げ切った、もしくは相手に初を見つける技量がなかった……という推測もできるけど――、

 あいつに関してそれはないだろう。


 かつて死に神だったなら尚更、ぼくたち人間……いや元人間よりも、敏感なはずだ。


 なのに追ってこない理由……、

 遊んでいる? 

 遠回りするような性格じゃない。


 だとすれば、追ってこれない障害があった。

 地形的な問題でなければ――人か?


 足止めしている誰かがそこにいるとしたら?


「…………母さん?」


 あり得る。

 だって、母さんが抱えていたものを、今のぼくは知っているから。

 ぼくと入れ替わった初を想って、まずどんな行動をするかなんて、すぐに思い当たる。


「……いかないと……助けないと!!」


 だけど、初が腕を離してくれなかった。


「どうして!? 初!!」

「だって、もう……。もう――お母さんは…………」


 きっと、初はぼくに見てほしくなかったのだ。


「……お祖父ちゃんや、叔父さんみたいな姿になっているお母さんなんか、見たく――」

「それでも、本当にそれが母さんの最後なら、見ないわけにはいかないよ」


 ぼくの腕を掴む初の指を、ゆっくりとはずし、前を向く。

 濃い霧を、カーテンのように腕でかき分けるように進むと、前方から頬に当たるものがあった。

 濡れているせいか、肌に貼り付くそれを剥がしてみると、細長い、白紙だった。


 これは……、と考える暇もなく、前へ進むと次々と同じような白紙が顔に当たる。


「うわっ!?」


 向かい風でもないのにたくさんの白紙が飛んでくる中で、ぼくに突っ込んでくる人影が衝突する寸前で見えたが、距離が近過ぎて避けることも、衝撃をやわらげるように受け止めることもできなかった。


 ガンッ、とぶつかって互いに尻餅をつく。

 星が散った暗転から目を開けると、


「……母さん」


 ――良かった……、初の早とちりだったようだ。

 しかし、それも時間の問題だ。


 こんなところでぶつかっている暇なんてない。

 遅れて、目を開けた母さんがぼくを見て――、


「ごめんなさいっ!」


 距離がある話し方だった。


 ……それもそうだ。

 母さんにとって墓杜ひつぎは、だって、初なのだから。


 ぼくのことなど、覚えているはずもない。

 いや、忘れているわけじゃない。

 墓杜ひつぎの認識に、日暮初が重なっただけだ。


「女の子とすれ違いませんでしたか!?」


 ぼくの両肩を掴んで、必死な様子なのが見て分かる。

 たとえぼくが嘘を教えたとしても疑うことなく信じてしまうだろう。

 それくらい、切羽詰まっているように見えたし、探している女の子のことが大切なんだろうなって、思った。


 ……思い返してみれば、母さんが向ける愛情は、最初から変わっていなかった。


 変わったのはぼくだ、気付かなかっただけなのだ。

 やっと気付いた時には既に、ぼくの居場所はそこになかった。


 ……今まで、母さんを信じなかった罰なのだろう。


 もっと考えていれば――どうしてぼくに厳しくするのか、理由くらい分かりそうなものなのに……。

 そんなことを言っても、もう後の祭りだ。


 今のぼくが母さんにできることは、質問に答えることだけだ。


「……女の子なら、この先に」


 お礼を言って離れていく母さんの背中を、振り向いて見たりしない。

 ぼくが追うべきは、母さんじゃない。


「――え」


 進もうとしたら、腕が掴まれた。

 初に追いつかれたと思ったが、違う。

 だって、初は今頃、母さんと合流しているはずなのだから。


「どう、して……?」


 振り向くと、母さんがそこにいた。


「あなた、私の娘と同じくらいよね……? ここは危ないわ……一緒に逃げましょう」


 ――ああ、そうか。

 母さんは、別にぼくの正体に気付いたわけじゃない。


 ただ、危険な場所にいる子供を、放っておけなかっただけなのだ。


「いや……ぼくは、この先にいく……いきます」


 他人行儀な話し方で。


「だから母さ……あなたは、探している女の子の元へ」

「だったら尚更ね。この先になにをしにいくの? この先は、林道と、山へ繋がる道路しかないわ。しかも私有地ね。あなたが関係者とは思えない。まさかとは思うけど……ひとけのないところで大切な命を粗末にするつもりではないでしょうね?」


 母さんの手が離れず、さらに強く握ってくる。

 その感触に、初を思い出す……それは二人とも、やり方は違えどぼくに対する気持ちが同じだからか……?


「用事があっても、後にしなさい。今は危険なのよ。それに……今いけば、あの人の邪魔になる」

「…………あの人?」


 足下に散っていた白紙が引き寄せられるように前方へ移動する。

 ぼくが後方へ勢いよく移動するような錯覚と共に、白く染まっていた足下の地面が見えてくる。


「……戦ってくれてる、誰かがいる――」


 予感があった。

 母さんが呼んだ『あの人』という言葉には、親しみ以上のものが感じられたから。


 それに、クロスロンドンで再会した彼女からこうも挨拶をされていた。


『疑惑』……と、これは挨拶というか、挨拶代わりだ。

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