その弐 日暮初 → 墓杜初

第十八話 墓杜家

 ふすまが勢いよく開かれて、不機嫌な足音が近づいてくる。

 逃げるようにして布団の奥へ潜り込んだけど、掛け布団がばさっと取られてしまった。

 胎児のように丸まっていたわたしを見下ろし、お母さんがいつものように、


「初、早く起きなさい。やるべきことがたくさんあるのよ、時間が勿体ないわ」

「…………はーい」


 起き上がってすぐに洗面台に向かって、顔を洗う。

 住み慣れ始めていたあの町の水道よりも、一際冷たい冷水に、一気に目が醒めた。

 髪を二つ束ねて、肩の前に出す。

 ひばりのツインテールとはまた違った髪型に整えて、洗面台から離れた。


 自室に戻ると朝食が用意されていた。

 わたしの分だけ……、


 家族で食卓を囲むことはなく、料理は常に作られていて、各自好きなタイミングで食べるみたい。

 わたしの場合はお母さんに管理されていて、いつ、なにを食べるのか、決められていた。


「……いただきます」


 お箸を取って、手をつける。

 ふと視線を上げても、目の前に彼の姿はなかった。


 ……一人でする食事は、美味しい料理のはずなのに、なにも味がしなかった。



 霊能力者一家として知られ、オカルトにおける名家である、墓杜家。

 わたしは一ヶ月に及んだ家出から帰ってきた――ことになっている。


 違和感を抱いた者はいない。

 だから、墓杜ひつぎのことを、お母さんを含めて、他の家族は覚えていないのだ。

 覚えていないというか、最初から存在しないことになっている。

 なぜなら、そこには今、わたしが収まっているのだから。



 墓杜家が所有する広大な敷地があり、平屋の屋敷の真裏には、大きな山があった。

 わたしがひつぎを助け、出会った場所だ。


 始まりの場所であり、思い出を積み重ねていった場所でもある。

 食事を終えたタイミングで、戸が叩かれ、返事の前に開かれた先にはお母さんがいた。


「今日の学校は休むわ。制服に着替えなくていいから、当主様の部屋にきなさい」


 お母さんは窮屈そうな着物を着ていて、廊下を歩く背中を見ていると、とても歩きにくそうに見えた。

 ……なんだか、服装だけではなくて、生きづらそうにも見えた。


 着替えないでいいなら、上下のジャージ姿のまま、お母さんの後を追う。

 食器は片付けず、そのまま置いておけば係の人が下げておいてくれる。


 墓杜家のルールがあって、だからこそ家族であるのにどこか余所余所しい。

 食卓を囲むことがなければ互いの呼び方もかしこまっている。

 立場が上の者から下の者へ接し方は家族らしさがほんの少しだけ残っているけど、逆となると家族らしさが一切なくなる。


 当主様、と呼ばれているのはお祖父ちゃんだ。

 お母さんに限らず、お祖母ちゃんも、叔父さんも叔母さんも、従姉妹だとしても全員が当主様と呼ばなければならない。


 全員が着物を着ているのも、急な来客にも対応できるから、らしいのだ。

 ただでさえ都市から離れた、周りにコンビニ一軒すらない田舎の屋敷に急な来客が現れるとも思えないけど――名家だけあって世間体をよく気にするみたい。


 なら、なんでわたしはジャージ姿でいいのか、と言うと、人様に見せるつもりがないからだった。

 素行の悪さや、素質はあっても能力がないと思われてるわたしは、色々な意味で隠しておきたい存在らしい。


 ……現時点においては、の話。

 ゆくゆくはわたしもお母さんと同じように着物を着て生活する日がくるはずだ。

 お祖父ちゃんは、わたしを当主にしたかったみたいだけど……。


 家族が納得のいく成長を、未だにわたしは見せられていなかった。


「お母さん、お祖父ちゃんはなんでわたしを――」

「母様、当主様と呼びなさいと何度も指導したはずよね? どうしてできないの?」


 足を止め、振り返らずに言葉だけをぶつけてくる。


「…………ごめんなさい、母様」

「……今日は、やけに素直ね」


 言って、お母さんが再び歩き出す。

 この様子だと、ひつぎはわざと言い間違いを続けていたみたいだ。

 分かりやすい反抗をして、訴えていたのだろうけど……聞いてくれなかったからこそ、家出を決めたのだと思う。


 ひつぎのことをずっと見ていたけど、さすがに心の中までは覗けない。

 彼がどういう思いでこの家で過ごしていたのかは、聞かされた愚痴の中から推測していくしかなかった。



「当主様、春日かすがです。初を連れて参りました」


 膝をついて、お母さんがふすまの前で声をかける。


 部屋の中から、

「入れ」

 とお祖父ちゃんから返事が届いた。


 ふすまを開け、お母さんがわたしを先に入れた。


「お入りください、初様」


 ――と、お母さんがわたしにそう言った。


 お母さんはわたしの指導者であるけど、当主であるお祖父ちゃんの前では、上下関係が逆転する。

 墓杜家の図で見るなら、わたしはなぜか、お母さんよりも立場が上なのだ。


「おう、よくきたな、初。さあ、座りなさい」


 猿を思わせる小柄な体と逆立った白髪に、袴姿のお祖父ちゃんが広々とした居間の最奥にあぐらをかいて座っていた。

 もちろん、相手がわたしだからであり、客人を招く時はそれ相応の対応をする。

 そうは言ってもオカルトに限れば名家の中でもトップに立つ墓杜家――その当主と言えば全ての長とも言える。

 誰が相手だろうとあぐらをかいた姿勢を変えることはなさそうだ。


「はい。……えっと、じゃあ――っ!?」


 机を挟むでもなく、座布団が置いてるわけでもないので、適切な距離感というのが分からず二の足を踏んでいたが、部屋に入って分かる、横に広がる視界に、見たことのある大男が座っていたことに気付いて、足が止まった。


「…………オウガ……」


 彼はまぶたを閉じ、わたしを見ようともしなかった。


「初、座りなさい。オウガのことも含めて、話がある」


 聞きたいことはあるものの、呼ばれた内容がオウガのことなら、聞かずともお祖父ちゃんが答えてくれるだろうと思い、おとなしく座る。

 適切かは分からないけど、オウガ、お祖父ちゃんと等間隔になる位置に座る。

 わたしが部屋の中心にいるけど……いいのかな、と心配になった。

 なにも言われなかったから、大丈夫だとは思うけど……。


「お前も入りなさい」


 お祖父ちゃんが視線をわたしの後ろに向けて、手で招く。


「かしこまりました」


 腰を低くして、お母さんが部屋に入る。

 けど、数歩で膝をつき、わたしたちからかなり離れた場所なのに、座ってしまう。

 ……同じ部屋にいるのに、これだと蚊帳の外だ。


 でも、お祖父ちゃんはなにも言わなかった。

 すると、隣の部屋に通じるふすまが開き、袴姿の男性が姿を見せた。


 オウガの斜め後ろに座り、わたしに厳しい目を向けている。

 わたしがなにをしたわけでもないのに、強い敵対心を持っている人だ。


 彼はわたしのお父さんの弟で……つまり、叔父さんになる。

 だから、敵対心の理由もなんとなく分かってしまうのだ。


 確かにわたしはなにもしていない……けど、ただわたしという存在が気に喰わないのだろう。

 順当にいけば彼が次期当主だったのに、わたしの体質(才能)に惚れ込んだお祖父ちゃんが、わたしを次期当主にしようと動いたことで、叔父さんの当主への道が消えてなくなったのだから。


 もしも、お父さんが生きていれば、叔父さんも期待しなくて済んだのだけど……。

 一度、次期当主に選ばれているため、尚更わたしが奪ったと思っているのだろう。


 お祖父ちゃんのせいとは言わないけど……やっぱりそれはそれで身勝手だ。

 反対して覆るなら、既にひつぎがやっていたはずだ――でも。


 現状、話が進んでしまっている以上、言っても聞いてくれなかった証明になる……。

 お祖父ちゃんは、わたしの体質(才能)に強く固執している。


 わたしを見ていても、外側に興味はなくて、わたしの中身にしか執着がない――。

 だから、人の感情を無視したセリフが言えるのよ……!


「お前たち二人に、子供を作ってもらおうと思っての」

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