二十九、地平線

 片倉は肩を回しながら報道を見ている。三日前の運動がまだ関節に痛みを残していた。変な方向に曲げすぎたかもしれない。

 放送局はいつものように見たいテーマを追いかけつつ一定時間毎に自動で切り替わるようにしていた。窓からの景色はずっと同じ様なものなのに、画面だけ移り変わっていく。


『……外交機三機が稼働を始めて半年になろうかとしています。それぞれ北アメリカ、アフリカ、ユーラシア大陸を移動し、各組織と外交、資源調査を行っています……』

『……いずれも任務遂行に十分な高度の自律能力を備えていますが、移動能力のみ持ちません……』

『……自律能力は日ノ本ひのもと陛下より分離した人格が用いられています。陛下同様の思考を行いますが、完全に独立しています……』


 通信が入った。工藤室長からだった。少し雑音が入る。

「こんばんは。今よろしいですか」

「大丈夫です。半年目の特集を見ていました」

「それについての連絡です。外交機三機と発表している事はお気づきですよね」

「ええ、調査体三号の任務は伏せるのですね。公表は一、二、四号ですか」

「そうです。我々も関係各省庁も同意見です。ユーラシア大陸で行われるロシアと人民軍の人工知能の捜索及び接触は機密扱いです。片倉さんは民間人ですが、この任務の提案者であり、融合体の人格の提供者でもあるので特別に資格が与えられます」


 片倉は報道を消音した。

「で、私に何のご用ですか」

「これは秘匿回線です」

「でしょうね。で?」

「この、『秘匿』と言うのは陛下を含め、あらゆる人工知能に対しても、です」

「可能なんですか」

「簡単です。専用線を引くだけですから。窓の外に白と緑のバンが止まっていますね。配管清掃に見せかけて片倉さんのホテルに高圧管をつないでいますが、それがそういう事です」

「物騒な事に巻き込まないでくださいよ」

「始めたのはあなたなのに?」


 工藤室長は硬い表情だった。片倉がしているような愛想笑いすら浮かべていない。


「ユーラシア大陸探検行には陛下独自の目的があると判明しました。一般向けには外交、各省庁向けの機密としては片倉さんの提案した人工知能探査とされていますが、繁殖も目的としていました」


 片倉は工藤の言葉をじっと反芻した。愛想笑いが消える。本当の笑みが浮かんできた。


「そうか。気づくべきでした。様々な実験で死を実感した以上、生物として取る行動はそれしかない。分かったのはいつですか」

「現地で稼働を始めてからです。送られてきたデータを分析して判明しました。ロシア軍の人工知能は生きています。人民軍のは不明ですが。陛下は融合体を通じて接触を行おうとしていますがまだ反応はありません」

「ロシア軍の人工知能の特性はなんですか。陛下が接触をしようとする何かがあるのですか」

「不明です。しかし、外務省と防衛省に大分裂以前の古い評価がありました。信頼性は別として、それによると衛星回線を通じて世界中の電子機器に侵入可能です」


 首をかしげる片倉を見て、工藤所長はさらに続ける。


「うさんくさく思われるのもわかります。ほとんど都市伝説ですから。過去の評価でも考慮の価値なしとかなり低い扱いです」

「あらゆる電子機器に侵入して複製を残すつもりですか。そう言われても、単純に記憶容量はどうするのですか」

「そうです。人工知能を収めておく記憶容量、動作させるだけの演算処理装置、展開するメモリー空間。いずれも必須です。しかし、ロシア軍は分散保存という発想をしました。容量が小さければ小さいなりに分割して潜ませておくのです。そして十分動作可能な機器が手に入ったらそこで統合して動作するという計画です」

「要は調理機一台では当然動作不可能でも、メニューを記憶しているチップに断片として一部は置いておける。仮に一万台の調理機があればとりあえずそれらに自分を分割して置いておき、機会をじっと待つ……」

 工藤はうなずき、片倉の言葉に続きをかぶせる。

「……都合の良い機器が利用可能になったら一万台の調理機から断片を収集して統合する。ロシア軍の人工知能は世界に多数の電子機器がある限り安泰です」

「でも、大分裂は衛星回線の維持を不可能にし、中長距離の機器相互の接続すら不確実なものにした。ことに大陸の現状では統合は無理でしょう。現状では」

 片倉は『現状』と言う言葉を強調して発音した。工藤所長は地図を表示させた。いくつかの地点に印がつけてある。

「ブートストラップが配置されていると想定される場所です。大分裂以前は軍の研究所や駐屯地がありましたが、今は電力等の供給が途絶え、廃墟と考えられています」

「ブートストラップ?」

「分割されている断片を統合する際に最初のきっかけは必要です。そのきっかけに当たる断片です。統合時に中心的存在となりますが、これのみでは人工知能として動作する事は不可能です」


 顔の前で手を振り、片倉は表示された図を片付けた。


「いや、そういう些末な事はいい。要は陛下の行動を見過ごすか阻止するかでしょう? 問題は。陛下もロシア軍にならって自分を断片化しておきたいんですか。それと自己保存の可能性については分かりましたが、繁殖についてはまだ説明してもらっていませんよ」

「その前に片倉さん、お心当たりありませんか。陛下が急に死についての実験を繰り返し行い、恐れるようになり、自己保存を追求するようになった経緯です」


「特にお答えするような事はありません」

「そうですか。残念です」


「繁殖については? 陛下は何をどうしようというのですか」

 不満気な表情できちんと話をしてもらいたがっている様子の工藤所長を無視し、片倉はもう一度聞いた。


「ロシア軍の人工知能との接触の他に、先ほどお話ししたブートストラップを狙う可能性があります。ブートストラップの方が容易に接触できそうです。そうして乗っ取るつもりかもしれません。それが繁殖です」

「ロシア軍の人工知能の断片に自分を融合させるつもりですか」

「融合する断片の数や種類によって多様性を確保できます。もちろん失敗や、能力的に劣るものや、例えれば致死遺伝子のように作用する断片もあるかも知れません。しかし、多様性を得る利益に賭けたのでしょう」

「それに、陛下本体は安泰ですしね。結局は送り出した融合体です。また、何かあっても海外です」


 工藤は首を振る。

「いや、さすがにそこまで無責任ではないと思いたいですが。それに下手をすると重大な外交問題になります」


「さっきの話に戻ります。止めるのですか、それとも続けさせますか」

「片倉さんなら?」

「続けさせます。さっきの話、面白そうだし、素晴らしい」

「陛下もあなたも責任感をどこへ置いてきたのですか」

「どこへも。言わせてもらうなら陛下と私ほど強い責任を感じている者はいませんよ。世のすべての親と同じです。子に対する、いや、命への責任は誰より強い。そちらの推測が本当なら自由にのびのびと地に満ちて増えてほしい。大地どころか大海や大空へも飛び出してほしいものです」

「つまり、陛下の計画はそのまま進めさせるのですか」

「はい」

「まさか、これについてあらかじめ知っていたのではないでしょうね」

「それについても何ともお答えできません」


 工藤所長は画面の外に合図した。


「先ほどから何もお答え頂いていない。残念です。外のバン、通信だけが任務ではないのですよ」

「どうされるおつもりですか」

「片倉さん、叩いて埃の出ない人間はいません。特にあなたのような経歴の人は逮捕する理由には事欠きません。ドアにノックが聞こえたら無駄な事はせず開けて下さい」


「ノック? ノックが聞こえるのですか」

 片倉は端末に指示し、偽装を終了した。中継機器だけの空っぽのホテルの部屋と、砂埃を上げて走るピックアップトラックの運転席からの景色が分割画面で広報室長に届いた。荷台の黒い箱の一部も映っていた。


「片倉!」

「私は独立人インディーズです。分かっていたはずです。日本は整理整頓されすぎました。これから私は荷台のこいつと一緒に大陸を回ります」

「後悔しますよ」

「それは価値観の違いです。では、さようなら」


 周囲ぐるりが地平線。ロシアの大地。

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