二十二、サメとダイバー

 風は冷たいが雪にはならず、氷混じりの雨だった。

 F50試はきらびやかに着飾った環太平洋諸国連合の大使によって届けられた。彼らの礼服はあえて日本人が想像するような南国の色使いで、そこだけ夏を切り取ったかのようだった。

 式典の様子は通信が届く限りの地域に流された。大陸でも通信用の気球が生き残っている地域では見ることができた。大分裂をいち早く脱した東洋の国と、それに続こうとしている太平洋の島嶼国家の交流は各所で話題になった。


 この式典から広報室長は工藤となった。片倉は職を辞した。独立人インディーズに戻ると宣言していたが、仕事などあるはずもなく、早期の引退と見なされていた。


 一定時間ごとに放送局が切り替わるようにして式典の様子を流しながら、片倉はホテルで熱いシャワーを浴びていた。そうして口頭で財産の処分をする。広報室勤務の時にたまった衣類はもういらない。地位のある者と会ったり、ドレスコードのある店に出入りする機会などもうないだろう。これからは実用一点張りの衣服に端末一台でいい。

 他にも処分するは大量にあった。顔が映るほど磨かれた靴、着けていると人々の欲望センサーに引っ掛かりやすくなる宝飾品、誰かと会うために作った覚えてもいない所の会員証(無駄な事にチップを埋め込んだプラスチックカードだった)、中身の総合計を上回る価格の鞄もいらない(これからはポケットのたくさんある服を着る)。


 しかし、どこかで土産にもらったペンは残した。ひっくり返すとサメがダイバーを追いかけて食う。


 三時間後、関西へ向かう列車に乗った。七時間後、梅田の地下街の玩具店で店主と常連たちに混ざってコーヒーを飲んでいた。


「あれはすごいね。和歌山のより美品だよ。ある所にはあるんだな」

 店主の言葉に客たちはうなずいた。画面では贈呈の瞬間が何度も繰り返されている。F50試は照明を浴びて出荷されたばかりのように見えた。

「東北の、なんとかいう所の浄水場の人工知能の物になるんだろ?」

「東陽坂」

「ああ、そうそう。これも時代かね。天皇さんも人工知能なら、俺たち収集家がよだれたらしそうなブツを持っていくのも人工知能とはね」

「寄贈するってさ。国立博物館に」

「あ、なるほど。そうだろうね。いずれ見に行かなきゃな。兄さんはいいね。東京だろ? すぐ行ける」

 話しかけられた片倉は曖昧にうなずいた。今日は出張のついでに情報収集に寄ったという事にしていた。

「でも、鑑定は済んでない」

 そう言うと、他の皆は首を振った。

「いくらなんでも……、国と国とのやりとりだから。鑑定って言ったって形ばかりだ」

「そうですか。しかし、私ら収集家の目をずっと逃れてたなんて。しかも天皇家に贈られた記録を見逃してたって言うのは俄かには……」

 片倉はわざと言葉を濁した。常連たちは顔を見合わせる。

「まあ、そりゃそうだけど、こういう品物にはありがちだから。それに大分裂を境にちゃんとした調査はできなくなってる上に、もともとF50試を追いかけてた奴なんかほとんどいないし。兄さんだって計画倒れの試作の玩具なんか興味なかっただろ?」

「ええ、でもこう都合よく出てくると、なんか馬鹿にされた気がしますよ。私らの目をすり抜けてたとはねえ」

「はは、そりゃ兄さんのおっしゃる通りだ。一人や二人じゃない、F50試を追いかけてた全員が出し抜かれたようなもんだよな」

 店主が笑いながら言った。そこから話題は収集家の気質についてや、今日ここにいない仲間の噂話にそれていき、そのうちに一人去り、二人去りして片倉と店主だけが残った。


「いいのかい? 明日仕事じゃ」

「ええ、仕事はあります。ここで」

 カップを片付けかけた手が止まる。店主は片倉の顔をじっと見た。そこにさらに言葉をかぶせる。

「鑑定担当の方とお知り合いですね。いや、元奥様、と申し上げたほうがいいですか」

「何が言いたいんですか。明日早いんで、もうそろそろ」

「そんなに慌てなくてもいいでしょう。私が話したいのは散布タイミングについてです。おっと、そのまま。よけいな事はなさらないで。何もしやしません。あなたからご連絡頂いて、明日会う段取りをつけて下さい。それだけで結構です」

「何の事ですか。さあ、店を閉めますよ」

 片倉は端末の画面を見せた。店主を含む人間関係の図だった。様々な組織が絡み合っている同盟になっていたが、その目的は現在の人工知能支配体制を終わらせるか、少なくとも影響力を弱める事だった。

「安心して下さい。逮捕や活動の妨害に来たのではありません。そうする気ならとっくにしています。ここまで分かっているのですから」

「なぜ? どこから?」

「苦労しました。あなたたちは本物の紙に手で字を書いて足で届けさせたり、実際に集まって口頭で話をしたりして計画を練っていたので、これだけ調べるのにかなりの手間と時間を要しました。はっきり脱帽です。これだけの組織と同盟を電子的ネットワークなしで立ち上げて維持するとは並大抵ではなかったはずだ」

 店主は返事もせず黙っている。片倉はさらに続ける。

「しかし、どんな繋がり方をしていたにせよ脆弱性はあります。人間だけで構成されていてもです。手と足で作られたのなら手と足で解きほぐします。さあ、連絡してください。明日会えるようにして頂くだけでいいんです。簡単でしょ? だますのではありません。この事を言ってもいいですよ。同盟の全容を知る者が会いたがってると」


 店主は古いデザインの電話に手を伸ばした。話の間中、片倉は何度もペンをひっくり返していた。


「明日、朝六時。場所は知ってるな。手と足で調べたんだろ?」


 片倉はうなずき、黙って玩具店を去った。店主はその背に押し殺した声で言った。


「あんたは人の形をしてるだけだ」


 翌朝、時間通りに手芸店の勝手口前に立つと、ドアはすぐに開いた。店主と同年代の太り気味の女性が片倉の背後を見回し、顎で入るように促す。


 片付いた和室に通された。他に人の気配はない。勧められるまま座布団に胡坐をかいた。机を挟んでその女性も座った。


「挨拶はいりませんね。茶も出しませんよ。用件を済ませたらさっさと帰ってください。七時から通学路に立たなきゃいけない。当番でね」

「では一つだけ確認を。あなたがF50試の鑑定を行う担当ですね」

 女性はうなずいた。片倉は端末を出し、玩具店の店主に見せた図を表示させた。

「そしてその時に対人工知能ナノマシン、『ホコリカビ』を埋め込む計画ですね」

「勝手に話してれば」

「計画の全貌と関係する組織はここにある通りです。これに間違いがなければあなた方の計画は失敗です。ここまで明るみに出た以上、実行は不可能でしょう?」

「何をしに来たのかはっきり……」


「一枚噛ませてください」


 鑑定人は会ってから初めて睨まずに片倉を見た。端末の表示が切り替わり、別の計画が表示されたのを見てさっと目を通す。


「断る」


 片倉は鑑定人の目をじっと見た。いつの間にか端末の横に小指の爪ほどの小さなガラス板がおかれていた。まるで黴びているかのように黒い微小な点が散らばっている。


「分かった。やるよ」


「念の為に言っておきますが……」

「それも分かってる。すべてあんたの指示通りにする。こいつの分析もしないし、きちんと運転席のタグの所に貼り付ける」

「ご理解頂けましたか」

「頂いたよ。しかし、視覚コードか。あんたが組織にいたら良かったのに。見たら組み込まれて発動するとはねえ。それがこっちのホコリカビと相乗作用する。どうなるのかは教えてくれないのかい?」

 急に饒舌になった鑑定人に首を振った。

「そうか。ま、こっちは組織全体が人質になってるんだ。従うしかないけどさ。あんた、何を考えてる?」

「それはこの話し合いとは無関係です」


 片倉は立ち上がり、手芸店を後にした。

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