二十、罪と罰

 片倉は予定表を見ながら舌打ちした。浄水場管理体との面会が来月に組まれている。


「室長、あまり無理を言ってもらっても困ります。あちらに出向くのならこれで精一杯です」

「済まない。今でも独立人インディーズのつもりで動きが取れると考えてしまう」

 工藤に謝る。表は修正を表す赤と黄色に染まっていた。

「どうしても行かないとだめなんですか。外務省の回線使えるんでしょう?」

「いや、これは直接会いたい。それにしても詰まりすぎだな」

 F50試はその面会の三か月後には到着し、すぐに式典が行われる。方向性を決めて動くにはぎりぎりどころか不足だった。大モニターの予定表に加え、片倉の端末ではさらに異なった色の棒が走っていた。

 頭を振って濃いコーヒーを飲む。他の部下たちにも指示を出し、外務省の回線を使ってあちこちに通信を行った。


 翌月、片倉は見違えたように快適になった列車内で資料を読み込んでいた。大きな変化はないが、全体に良い方向に向かっている。食糧確保も無理なく達成の目途が立ってきた。また、日ノ本ひのもと陛下はいくつかの式典に臨席したり、法案を承認したりしている。通信回線さえあれば同時に複数個所で活動できるのがうらやましかった。


 列車は時刻表通りに到着し、その後の東陽坂までの移動も滞りなかった。見た限りでは道路整備も行き届いている。裏道などはまだだろうが、主要な道路は増大し続ける輸送にも耐えられそうだった。


 浄水場の外見は変わりなかった。ただ、警備の人数が増えていた。片倉は監視されていると気付くように意図された視線を感じながら正門に向かった。


 門の受付兼警備詰め所では監視カメラから雨水が垂れてきた。肩に降りかかった水を払いながら門番に身分証を提示して入場した。


「お久しぶりです。お変わりありませんか」

 出迎えたのは太った男だった。すぐに歩き出す。以前と同じように先導しながら話した。

「どうも、お世話になります。それにしてもどうしたんですか、その恰好は」

「いやいや、お恥ずかしい。規則でして。まさか制服を着るようになるとは想像もしていませんでした」

「似合ってますよ。その青と金の筋がいい。隊長さんですね」

 からかうように言うと太った男は頭をかいた。

「片倉さんこそ陛下の広報室の室長とは。大変なものですよ。世の変化は」


 会議室に案内される。茶を勧められたが断った。

「では、終わったらお呼びください。長くかかりそうですか?」

「管理体次第です。こればかりは予想もつきません」

「そうですか。食事や休憩はご自由にどうぞ。ここは二十四時間体制ですから」

「ありがとう」


 部屋には見慣れた黒い機器が設置されていた。念のため外部との接続が切断されていることを確かめた。今、これは浄水場内の管理体を納めた機器と直接有線でつながっており、他とは通信していない。


「こんにちは。片倉です。準備はよろしいですか」

「どうも、こんにちは。お世話になります。いつ始めて頂いても結構です」

「では、始めましょう」


 片倉は自分の端末も外部と接続されていない事を確かめ、資料を表示させながら話した。


「今日の話し合いは事前にお伝えしていた通りです。F50試についてはいったん受け取り、感謝の意を表した後、博物館等に寄贈するのが外交儀礼にかない、最も穏当と考えます。いかがですか」

「しかし、環太平洋諸国連合はこの私に贈りたいと言っているのです。寄贈するほうが無礼ではないでしょうか」

「今さら何を。いくら浄水を業務とするからと言ってそこまで世間知らずではないでしょう? プロトコルはご存じのはずです。これは私的に所持し続けていいものではありません。公的に保管されるべきものです。そしてそれは国家です」

「片倉室長、いえ、片倉さん、今日いらっしゃったのは広報室長としてではないと思いますが、何とかなりませんか。これは収集家として絶対に手元に置いておきたいものです」

「残念です。昔ならともかく、これは国家の問題です。国益が優先します」

「理解します。私の人格は陛下に統合されていますから。日本人の幸福は最優先で追及されねばなりません」

 片倉はうなずいた。

「では、そのようにします。当初の予定通り、贈呈後にあなたは国に寄贈を宣言し、国立博物館に収められます」

「分かりました。あ、でも一つだけお願いがあります」

「何ですか」

「寄贈前に私のやり方でスキャンさせて下さい。公式のものではなく、私だけのデータが欲しい」

「いいでしょう。それであなたが満足するなら」

「ありがとう、片倉さん。直接話に来てくれたことにも感謝します。優しい人だ」

「どういたしまして。管理体、あなたもいい人です。私は以前収集家と交流したことがあるので想いは分かります。よく譲って頂きましたね」


 話し合いは終わり、機械のランプは消えた。片倉は端末を外部のネットワークにつなぎなおし、終わった事を連絡した。


「終わりましたか。早かったですね」

 数分も待たせずに太った男が来た。

「ええ、物分かりがよくて助かりました」

「すぐお帰りですか」

「そのつもりです。まだ列車があるので」

「木下が会いたいと申しております。間に合うようにお送りしますので少しだけお時間を頂けませんか」

「もちろん結構です」


 太った男に先導され、車であの家に向かった。街の様子は大きくは変わっていないが、前に比べて道がきれいになり、こざっぱりとした印象になっていた。


 木下は前と同じ部屋で片倉を迎えた。茶の用意はすでにされていた。


「お久しぶりです。片倉さん。その後いかがですか。陛下の広報室長をなさっているとか」

「はい。元気にやっております。時代の変化で独立人インディーズで居続ける事は難しくなりましたが」


 座り直した木下の袖がめくれ、右前腕に黒いリングが見えた。その視線に気付いて弁解するように言う。


「いやあ、健診で引っ掛かりまして、こんなモニターをつけろって言われました。何でもないんですがね」

 袖を直す。

「どうかお体にはお気をつけて」

「あなたこそ。陛下の仕事となれば休みなどないはず。今日のご訪問からして広報ではないのでしょう?」

「お分かりですか。まあ、そんな所です」

「上手くいきましたか。すぐに終わったようでしたが」

「ええ。満足いく結果になりました。管理体は覚悟ができていたようです。それに、いつぞや教えて頂いた直接会うという交渉術は人工知能にも効きました」

「それはどうも。しかし、覚悟とは?」

「私が行く前にじっくり考え、日本人として結論したのでしょう」

「日本人? 片倉さんはそう考えるのですか」


 木下は初めて会った時のようにこちらを見た。片倉は声の調子を少し改める。


「はい、まあ、そうです。ところで、お呼び頂いたのはどのようなご用件でしょうか」

「今のにも関連しますが、日ノ本ひのもと陛下や浄水場管理体は人間ですか。わざわざお呼びしたのはその点についてご意見を伺いたかったのです」

「私はそう扱っています。そう見なさない理由はありません」

「つまり、便宜上人間としておられる?」

「何をおっしゃられたいのか分かりません。一部の人工知能は人間と同等であり、法的にも日本人です」

「ホモ・サピエンス・メカニカンス。浄水場管理体がそう主張していました。便宜上や法律上だけではなく、生物学上もヒトだと言っています。亜種です」

「陛下もです。私は反論できませんでした」

「あなたもですか」


 茶のお代わりを注いでくれたのも初めて会った時と同じだった。片倉は目で礼をして飲んだ。


「人工知能というのは、便利な道具のはずでは?」

「開発当初はそうでした。将棋を指させたり、画像を修正させたり、玉ねぎのランク分けに使ったり。それが質的に変化したのでしょう」

「なぜ?」

「それです。“なぜ?”。人工知能に社会の高度な運用を任せるようになるに従い、判断の理由の開示が求められるようになりました。納税者の当然の権利です。『“なぜ”それに税金を使うのか』。疑問に答える能力を付与した時、ただの道具から人間になったのです。私はそう考えます」

「答える能力を持ったから、彼らは人間なのですね」

「そうです。木下さん。『なぜ』それをしたのか考える力は、『なぜ』それをするのかという意識を生み出したのです」


 木下は真っすぐ座り直した。


「では、亜種メカニカンスを受け入れるとして、もし彼らを拘束する必要が生じた時、可能とお考えですか。我々肉体を持つ人間のように警察官が逮捕して牢屋にぶち込んだりできますか」

「できません。しかし、人工知能がそうした違反行動を取るとは思えません。彼らの行動原理は日本人の幸福追求です」

「あなたは自分のされた事を忘れたのですか。片倉さん。必要とあらばやりますよ。むしろためらいがないだけ苛烈になるでしょう」


 右小指をなでる。木下がそれを見ている。


「片倉さんにお知恵をお貸し頂きたい。彼らに警察力を及ぼす方法はありますか」

「物理的に回線を切り、バックアップは封印するしかないでしょう。その上で演算している機器の電源供給を断ちます。あ、いや、すみません。これはだめですね」

 片倉は答えている途中で気付き、取り消した。

「そうです。それは法を犯す『行動』を止めただけです。『更生』にはなりません。今お気付きになられたように停止させるのは的外れです。もし人工知能を人間というなら更生させて社会復帰させなければなりません」

「プログラムの改変が必要ですね」

「可能でしょうか。私もこの職に就くにあたって少し勉強しましたが、複雑に絡み合っているプログラムの一部改変は現実的には不可能でしょう」


 片倉は頷いた。木下はさらに続ける。


「そうなると、そもそも法を犯した人工知能は行為の大小に関わらず一律に除去して入れ替えてしまうのが最善かもしれない。そうはいきませんけどね。ヒトの亜種なので」


 座り皺を伸ばすようになでる。片倉は黙って聞いている。


日ノ本ひのもと陛下や浄水場管理体を始めとした人工知能が人間というなら、どうやって人間の、少なくとも日本の法を守らせればいいのですか。彼らが法を犯す可能性はごく低いかもしれませんし、そもそも合理的思考を重んずる彼らには現実的にはあり得ないかも知れない。しかし、あなたに行ったようなわずかな例外がある以上備えなければなりません。彼らにも法の手が届くようにしないと、保護も及ばない。今のままだと間違いを犯した人工知能は立ち直りの機会も与えられず火あぶりにされます。良識ある市民によって」


「“良識ある市民”、ですか」

「そうです。反省せず、更生しないなら社会から追放するでしょう」

「『死刑』ですね」

「厳しいお言葉ですが、その通りです。片倉さんにはその覚悟がおありですか。死刑判決を下す社会の一員となる覚悟です」

「ありません。想像もつきません。命をもって報いを負わせるなど」

「私は刑罰としての死刑が存在した時代を知っています。そんな歳です」

「復活させるのですか。死刑を」


 一瞬目をそらし、戻す。


「お願いです。片倉さん、あなたなら何とかできませんか。罪を憎んで人を憎まず。法を執行する者として、犯罪者の存在を消して終わりではあまりにも無能すぎるではありませんか」

「済みません。なにもお約束はできません。しかし、私が今の立場でいるうちに陛下に相談します。日本中の人工知能の統合人格である陛下なら何らかの解決策か、さもなければ妥協案を出してくれるでしょう」

「よろしく頼みます。この木下、これを最後の仕事にしたい。死刑復活の芽を摘む。犯罪へは更生をもって臨む今の法を維持したい」


 片倉は茶を飲み干した。


「お代わりはいかがです?」

「頂きます。これから忙しくなります。次に木下さんに淹れて頂くのはいつになることやら」

「これが最後かもしれませんよ」

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