十三、釣餌

 木下との契約は終了した。報酬は十分なものだった。荷物をまとめていると、管理体から呼び出しがあった。荷物を持ってあの部屋で受けた。


「拘束特約のみを結ぶのですか」

 片倉は聞き返した。

「そうです。五年。その間、建国に関わる調査及び直接的な行動は行なわない事。範囲の詳細は契約書にあります」

 端末に契約書が送られた。目を通しながら言う。

「長期ですね。それほど拘束されるのは前例がありません」

「日本−円で払います。今の価値は低いですが、建国後は上昇するはずです」

「すぐには返事できません」

「返事が遅れると支払いが減り、条件が厳しくなります」

「急がされるのであれば契約を拒否します」

「考え直して下さい。小指のためにも」

 声の発せられている機器を見た。

「なんのつもりですか」

「どうお取りになっても結構です。私は自分の持つ力を行使するまでです」

 右小指をなでた。

「分かりました。受けます」

 そう言って印を押した。即座に発効し、日本−円が振り込まれた。


 挨拶をして木下邸をでた。見送りは太った男だけだった。駅に向かって歩きながら契約の詳細分析を依頼する。相手は契約してからの分析に訝しげだったがなにも説明しなかった。

 資産運用担当からは多額の日本−円の振込みに対して問い合わせが来たが、そのまま置いておくようにと言っただけで、こちらも詳細な説明をしないままにした。


 東京方面の列車は遅れていた。一時間待ちになり、しかも特急が急行に変更されていた。着くのは明日の朝になるとの事だった。


 待っている間に契約分析の結果が届いた。極端に不利になるような条項はなかったが、抜け穴もなかった。組織同士の仲介や調整の仕事については制限されていなかった。ただ、公式に発表された情報を得る以上の行動は出来ない。違反すれば巨額の違約金と今まで積み上げてきた信用をすべて失う。

 その報告を読みながら右小指をなでた。


 列車は揺れ、点検のため途中駅で何度も止まった。それでもその列車に乗ったまま東京につく事ができた。寝台でもないただの座席で過ごした腰と背中を伸ばしながら構内を歩き、開いている店を見つけて朝食を取った。


 店内のモニターは報道一色だった。特別とか緊急といった文字が点滅している。客たちは自分の端末を見ながらモニターにも目をやり、そのついでに粥や麺をすすっていた。


 片倉の端末には仕事の依頼や打診がいくつか入ってきていた。すべて組織や組織集団の統合に関する仕事だった。仕分けは自動で行なわれ、報酬と条件が最も良いものがリストの一番上に来ていた。上から十番目くらいまでを確かめる。


 最上位に来ているのはやはり組織の統合に伴う調整の依頼だった。天皇帰還の事前準備を行う組織の統合を手助けする。各組織はハワイとの安定した通信、安全な移動手段、住居など受け入れ準備、特に警備体制の確立、そしてそれらにぶら下がる無数の細々とした仕事を行う。

 そのためにこれまでとは質も量も異なる大集団が必要となる。それは建国後には国家を運営する各省庁となる予定だった。

 片倉はこれまでの実績と経験を買われ、その調整を行うための組織を立ち上げ、長として指揮を取る事を要求されていた。


 二番目以降もほぼ同様の仕事だった。組織をまとめるための組織を作り、運営するといった内容ばかりが並んでいる。片倉はそういう依頼を弾いていった。


 結局受けたのはかなり下位の仕事だった。ある地区のごみ収集組織が処理場や車両の老朽化に伴い統合されるが、管理区域の拡大に処理能力が追いつかないと予想されていた。そこで区域内の各組織にごみの削減とこれまで以上に分別を強化するよう要請しなければならないが、よほど上手に告知しないと反発が明らかだった。


「そこで、広報と調整をお願いしたいのです」

 つなぎの制服を着た代表が壁に投影した管理区域の地図を指して言った。

「分かりました。ただ、これまでも区域内の各組織は規則を遵守していますね。それほど大きな揉め事にはならないと思いますが」

「我々としては小さな揉め事すら発生させたくありません。それに組織自体は統合で大きくなるのに能力は減る。各組織からすれば納得し難いだろうと思っています」

「処理能力の強化の予定は?」

「お恥ずかしい事ですが、無理です。技術者を集められません。これから先、建国までは我々のような小物はぎりぎりでしのいでいくのみです。建国後は予想もつきません」


「では、これは一時的な告知や要請ではなく、今後ずっと守らなければならない新しい規則ができるという事ですね。その場合は再契約してもらわなければまずいでしょう」

 片倉が腕を組んで言うと、相手は顔をしかめた。

「そこまでの話でしょうか。片倉さんには現実を納得させてほしいだけなのですが。能力的に出来ないものは出来ないのです」

「そちらの方針がそうであれば従いましょう。まずは能力の公表と、事実を確認させるための見学会を行います。それからあなたのおっしゃる『現実』に対応する手段としてごみ削減とより一層の分別の要請ですね」

「よろしくお願いします」


 片倉の広報が始まり、まずは処理能力が公表された。契約組織のほとんどが不満を表した。引き続く見学会の申込みはいっぱいになり、何組かに分けて行なわれた。

 車両の数は統合によって増えたが、整備を含めて回していくと不足は明らかだった。かといってごみ収集車のような特殊車両の入手は困難だった。

 また、焼却炉は仕様通りの燃焼温度の維持すら難しくなっており、センサーや壁面の汚損、排出される可能性のある有害物質削減のため、さらに分別の徹底が必要だった。


 契約組織の代表者たちはあきらめ顔だった。他の処理組織に乗り換えようにも、近隣地区はすでに統合済みで余力はなかった。


 ここで新たな削減目標と分別について説明し、これまでの規則を守れていたのであればさほど困難ではないという説明を行った。

「以上のように、新たな目標を定めました。今までと同様、こちらをお守り頂ければ衛生的な環境は正常に維持されるとお約束いたします」

 それでも皆の不満げな表情は和らがなかった。しかし、結果として離脱はなかった。


「ありがとうございます。片倉さん。助かりました」

 つなぎの代表はそう言いながら印を押した。

「いいえ。また何かありましたらどうぞ」


 三ヶ月の仕事の割には大した儲けではなかった。しかし、片倉はそれでも実務に当たれない依頼は受け付けないようにした。


 他の独立人インディーズの様子を探ってみると、調整組織の長として指揮命令業務を行う者が出始めており、各地で市町村が芽吹いていた。

 早くに自治体が成立した所ではすでに公共サービスを開始している。国家を知っている世代が多い所はさほどの混乱も発生していなかった。調整に活躍した結果、元独立人インディーズがそういった自治体の長に収まる事例もあった。


 依頼に対応するうちに、信用度と報酬格付けがわずかだが落ち始めた。分析するまでもなく、大きな仕事を全て拒否しているので相対的に低下しているのだった。


 その頃、ハワイとの通信がようやく安定し、天皇を迎える調整が始まったとの報道があった。


 周囲では市町村がさらに集合して過去の都道府県が復活を始めた。片倉は依頼に答え、小さな混乱や摩擦を処理した。仕事に失敗はないが、独立人インディーズとしての見かけの格付けはかなり下がっていた。


 天皇帰還と建国の日程が発表された。二年後に戻り、元の皇居に入る。その翌年の四月一日に建国を宣言、新憲法を施行し、祝日とする。同時に国から地方自治体に至るまで可能な限り速やかに選挙を行い、民主的に決められた議員による政治を開始する。特に通貨の統一と安定化を早急に行う。

 また、各地方自治体の長によって構成される建国準備委員会が発足した。

 なお、日程としてはまったく余裕がないが、各地の人工知能群が補佐するため市民の生活への悪影響はほとんどないとの事だった。


「結局、そういう事か」

 片倉はその発表を伝える報道を見ながら言った。ちょうど仕事が終わり、完了印をもらった所だった。

「そうですね。そういう事、としか言いようがないですね」

 目の前の依頼主はあきらめたような声で返事をした。

「『補佐』ねえ。これで人工知能による支配が決定したわけだ。天皇も、民主主義も釣餌。ひょっとしたらと思った私はまだまだ甘かったな」

「片倉さんだけじゃない。私だって人間の政府ができるって期待してました」


 報道が切り替わり、人工知能を政治的決定から切り離すべきだというデモ行進の様子を伝えた。また、一部では人工知能制御下の公共施設を破壊しようとする暴徒と、止めようとする者たちの衝突が発生し、多数の死傷者が出たとの事だった。

 これに対し人工知能群は、バックアップは複数あり、動作させる機器も十分な数の予備機を保有しているので、無駄で軽率な行為を行なわないよう警告した。公共サービスが一時的にせよ停止すれば損害を被るのは人間なのです、と。

 同じ理由で技術者たちも手が出せずにいた。バックアップも含め日本各地の人工知能を同時に処置するのは不可能だった。ひとつやふたつをどうにかするのは可能だが、すぐにバックアップと置き換えられてしまう。そして報復が行われる。水や電気といった公共サービスの停止は非難の矛先を技術者たちに向ける事になるだろうとまとめられていた。


 片倉は画面から目をそらし、窓に切り取られた街を見た。空は夕日で赤い。依頼主も同じく外を見て言った。


「明日も晴れですね」

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