十、非公式で個人的

 目が覚めて朝食を摂ると自分について調査した。業務上の信用度や報酬格付けは落ちていなかった。噂でも昨日の出来事は表面化していなかった。資産も東陽坂関連の低空飛行以外は変わりなかった。

 あの紙を出し、皺を伸ばして両面ともデータとして取り込んだ。閉じた目、青ざめた顔、紫色の小指、濡れた股間。高解像度で鮮明だった。終わると細かく引き裂き、トイレットペーパーに包んで流した。

 それから外出してまた食事をした。脂っこいもの、甘いものを注文する。ステーキと付け合せのサラダに甘酸っぱいグレービーソース。後からオレンジのパウンドケーキにチョコクリーム。砂糖とミルクを遠慮なく入れたコーヒー。貪るように食べる。行儀は忘れた。

 行きも帰りも公園を避けて遠回りした。街であの制服を見かけると足が止まった。あの二人ではない。それでも手のひらに汗をかいた。止まる度に端末を取り出すがなにもせずにまた戻す。


 ホテルに戻るとこれからの予定を取り消して空白にした。仕事については違約金を払う。同時に格付けが下がったという通知が来た。


 右小指をなでてはやめる。枕を殴る。泣く。激しい体操をして汗まみれになる。また右小指をなでる。


 部屋のモニターや端末を設定し、使っていない時にはあの画像を映すようにした。床で結跏趺坐し、三十分、一時間と転がった自分を見続けた。


 一週間ほどであの制服を見かけても止まってしまう事はなくなった。妙な汗もかかない。しかし、右小指をなでるくせはおさまらなかった。


 また一週間が過ぎ、あの公園に入れるようになった。同じベンチでクッキーを食べ、屑をぼろぼろこぼしてきた。そうしながら、まだ右小指をなでていた。


 東陽坂関連資産がわずかだが上昇を始めた。農場管理組織を吸収したという発表があってからだった。また、太陽光発電を管理している組織と話し合いを行い、水・食料と電気の交換契約を結ぶ方向との事だった。

 しかし、片倉の資産を管理運用している組織は買い増しを非推奨としていた。詳細を見ると、警備組織の内部対立が大きな懸念点とされていた。また、浄水場管理体を組織とした点も不安材料となっていた。人工知能を集団の一員と認めているのはここだけであり、意図がはっきりしないため、投資をためらわせていた。


「片倉様、お客様ですがいかがしましょう?」

 フロントから連絡が来た。

「どなたですか」

「それが、木下の使いと言えばわかるとの事です」

「映像を」

 あの太った男だった。

「会議室を取れますか」

「三号室をどうぞ。二時間取りました」

「ありがとう。すぐ行きます。お茶をお願いします」


 少人数用の会議室は秘匿回路が故障中との事で、間に合わせの機器が隅に置かれていた。黄色の表示灯がちかちか瞬いている。

 太った男は大きな黒い鞄を足元に置いて座っていた。


「おひさしぶりです。片倉さん」

「こちらこそ。その後いかがですか」

「それも含めてお話があります」

「仕事の依頼ですか」

「そうなるかも知れませんが、まずはお詫びを申し上げたい」

 片倉は小さく首を傾げた。その時茶が届き、二人は会話を中断して一口飲んだ。太った男は真面目な顔になる。

「『落とし前』の件です。大変でしたね。木下は旧開明興業の行動を止められなかった事につき、お詫びしたいと申しております」

「これはどうも。謝罪を受け入れます」

「そう言って頂けると使いに来た意味があります。ありがとうございます」

「まあ、ひどい目に会いましたが、独立人インディーズの必要経費のようなものですから」

「我々も同じような経費を支払います」

「今もですか」

 太った男の目が細くなった。

「開明興業は公には解散組織になります。偃武修文えんぶしゅうぶん会が吸収しました。しかし、非公式に組織として活動し続けるつもりのようです」

「盃は交わしたのでしょう?」

「下っ端は、はい。でも幹部連や代表はまだです。なんのかのと理屈をつけてます」

「水野さんや坂下さんは? 事態を収拾しないのですか」

「動きました。解散と吸収の再確認を発表し、速やかに偃武修文えんぶしゅうぶん会への参加を要請しました。しかし表面だけです。盃事については儀式的なものなので強要しない、としています」

「そこが重要なのでしょう? 儀式が。体面もあるのに」

 太った男はうなずいて茶を飲み干した。片倉はお代わりを注いだ。

「どうも。そうなんです。盃事なしでは立ち位置がはっきりしません」

 片倉は右小指をなでた。

「ところで、今日お越しになったのは謝罪が目的ですか」

「はい。それと非公式な仕事の依頼です。個人的でもあります」

「非公式? 個人的?」

「そうです。木下があなたのお力を貸して頂きたいと申しております」

「どのような仕事か先にお伺いできますか」

 太った男は足元の鞄から紙の資料を取り出した。手書きだった。左端に穴を開けて紐で綴じてある。

「紙に手書き、ですか」

「通信は信用できません。まず十枚目を見て下さい」

「信用できない、とは?」

 紙をめくりながら聞く。

「東陽坂組織連合に関連する通信の秘匿性に疑問が生じています。構成員や関係者の情報が漏洩しています」

「誰に?」

「そちらに」

 開かれた資料を指差す。

「これは……。木下さん、怪我をなさったんですか」

 警備組織の会合の帰りに飛翔体の攻撃を受けた。護衛にかばわれて車内に逃げ込んだが、車体に当たって砕けた破片が右目付近を傷つけたとあった。

「ご心配なく。しかし、十分な偽装をし、替え玉を用意していたのにそちらには惑わされず、時刻も場所も正確な襲撃でした」

「本当だ、この資料だと替え玉は襲われていませんね」

「ええ、そこがちぐはぐなんです。我々の強い暗号通信を覗き見できるのに、襲撃は素人です。普通は偽装も含めて全て襲撃したり、時刻をずらせたりするものです。これだとどの情報に基づいたのか丸わかりです」

 片倉は男が指差した一連のやり取りを流し読みした。

「飛翔体は開明興業のものですね」

「前のように自壊したので証拠はありませんが、レーサー改造型です。ほぼ間違いないでしょう」

「しかし、報復や制裁を加えるつもりはない?」

「ええ、あからさま過ぎます」

「では、二つの警備組織を争わせようとしている第三者がいるとお考えですか」

「そうです。しかし、あまりにも稚拙なので戸惑っています。我々の経験にはないタイプの相手です」

「管理体、ですか」

 片倉は、第三者の考察が書かれた部分を指で叩きながら言った。

「そうです。厄介です。すでに我々は組織として認め、公にも発表しています。みだりに破壊したりネットから強制的に切り離したりできませんし、思考部や疑似人格モジュールの変更もできません。なんと言っても一組織であって、ただの道具ではなくなったので」

「『雪ん子の会』もいますしね」

 右小指をなでる。

「そう。かれらは管理体には逆らえない」

「そこで、非公式かつ個人的な依頼がこれですか」

 資料をめくっていった先に仕事内容が書かれていた。そこだけ筆跡が異なっていた。

「木下が書きました。お受け頂けますか」

 そこには依頼の目標として、浄水場管理体の目的を調査する事とあった。

「調べて、どうするのですか」

「それは結果次第です。ただし、こうだったらこうすると伝えると片倉さんに予断を与えるので今はお教えできません。同じ理由であまりにも深く結びついている我々は調査に不適です」

 そう言ってから、太った男ははっと気付いたように付け加えた。

「あ、それと、以前木下が言っていた、『水野氏は小さな優位では満足しない』というのは間違っていたとの事です。満足しないのは水野氏ではなかったと。曇りのない目で現状を見なければならなかったのは自分こそだ、と苦笑いしていました」

 片倉は微笑んだ。

「お受けしましょう。通常の契約形態とは大きく異なりますが、この状況ではこれがいいでしょう。報酬もここにある通りで構いません」

「ありがとうございます」

「しかし、連絡はどうしましょう? ネットは使えないですし」

「人力で。私や他の者が運び屋になります。片倉さんもお越し頂けるのでしょう?」

「もちろんです。現地にいたほうがいいでしょうし」

「ただ、危険が予想されますが」

「経費のようなものです」


 右小指をなでた。

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