第25話 狂わされた者
「はあ? おれは――」
「チハル」
抗議しかけたハルを両手で制して、トキタは話を続けた。
「冷凍睡眠からの覚醒は、一斉ではない。数年を掛けて、少しずつ起こしていく計画だった。解除の時がくれば、まず私のような事情を知る専門家が目を覚ます。そうして私や数人の同じ立場の者が――結果的には私しかいなかったわけだが――、ほかのスリーパーを起こしていく」
「みんな自然に目が覚める予定だったんじゃないのか」
「ああ。長い眠りからの覚醒には、人それぞれに適切なタイミングがある。冷凍睡眠装置がスリーパーを監視して、その時期を教えてくれる。私はスリーパーたちを見守り、装置の報告に従って目覚めに適した時期にある者を起こす。ただそれも、一度にではない」
花が――と、また唐突に予期しなかった言葉をトキタは口に上らせる。
「自然界で、木や草が一つの株に少しずつ順に花をつけていくだろう。あれは個々の花ではなく、一株の草が、あるいは種全体が、種の保存を図るためだ。一斉に咲いては、翌日に嵐が来て受粉できずにすべて散ってしまうかもしれない。たまたま咲いている日に、花粉を運ぶ虫がやってこないかもしれない。種を存続させるための適切なチャンスを掴めるように、長い時間をかけて咲いては枯れ、また咲いては枯れる。中によい機を掴んだ花が、種を作って次に続く」
ハルは小さく眉を寄せた。
「スリーパーも同じだ。全員が一斉に目覚めたとして、その時、生存に適した時代や環境でなかった場合、全滅してしまう。それを防ぐために、何年かかけて少しずつ覚醒させるのが、人類を未来に送るというこの計画の要だ」
「……結局」
トキタの視線が戻ってくるのを感じたが、目を合わせてはやらずに、
「おれたちは、『種の保存』の道具でしかなかったわけだ」
「チハル。生命のある者すべての最終目標は、その種を存続させることだ。人間は高度な文明を持ち地球の支配者となってさえも、それから逃れることができなかった、それだけだよ。個の生き方、生きがい、尊厳、人権、生活の豊かさ、精神の豊かさ――それらを追い求めていた超高度文明の絶頂期にあっても、最後に滅亡の危機にさらされた時に取った究極の選択は、個人の夢も尊厳も奪って強制的に人類という種を未来に送り込むということだった。なまじそれができてしまったから。皮肉なもんだな」
「けどおれたちは……頑張れば自分のなりたいものになれて、好きなことができるようになるって教えられたし、少なくともおれはそれを信じて頑張ってた」
ハルは唇を噛んだ。
みんな、そうだった。あのカプセルの中でぐちゃぐちゃに腐っていたヤツらは、みんな。
トキタの目に浮かんでいるのは深い共感と同情の色だったが、ハルは受け入れる気持ちにはなれずに顔をそむける。少し待つような時間を置いて、トキタはまた口を開いた。
「最初の数か月の間に、十人ほどの人間が起きた。一年後には十五人。だが、半分近くは目を覚まして間もなく死んだ」
ぽつりと、トキタが言葉を落とす。
「ハシバは周囲の村から人を連れてきて都市の人口を増やし、シェルターの中に文明を持つ社会を作ろうと主張した。これは前にも話したな。
私には――たとえばこのシェルターと外の砂漠を行き来して、外の人間と上手く交流しながら暮らそうというのなら分かる。われわれの持つ文明を適切に外の人間に分け与えようというなら反対はしない。だが、彼は、少数派であるわれわれが現代の暮らしに入っていくのではなく、平和にそれなりの文化を持って暮らす現代の人たちを、この中に引き込もうというんだ。そんなものは、到底正気とは思えんよ。残った人間のほとんどが反発して出て行った」
「まともな人間もいたんだね」
眉を寄せて、不機嫌な口調で言った。
ハルの皮肉にわずかに眉を上げただけで答え、トキタは続ける。
「私は、残るきみたち、まだ覚醒していない者たちを目覚めさせることに不安を感じた。ハシバが新たな覚醒者を利用して、自分の野望を達成しようとするのが目に見えたからだ。この間、なぜ目覚めたばかりのきみを外に放り出したのかと聞かれたな。これもその理由のひとつだ。冷凍睡眠室は私の管理下だが、この都市である程度の期間過ごすとなるといずれハシバにも知られる。きみが目覚めたことをハシバが知れば、ハシバはきみに、協力を求めてくるだろう。私がしたのと同じように」
「えっと。それはつまり、あんたに利用されるか、そのハシバってヤツに利用されるか、選べるってこと? おれが? へえ。選択肢がいっぱいあって、嬉しいな。ハハ」
無表情に言うハルに、トキタは気まずげに視線を逸らした。
「そう苛めんでくれよ。……これを言うと、きみをもっと怒らせてしまいそうだが」
「勿体ぶってないで、さっさと言えよ」
「きみの前に、四人いた」
「はあ?」
言っている意味が掴めず、ハルは首を傾げる。
トキタはますます言いにくそうに口を曲げて。次の言葉が出てくるまでに、しばらく時間がかかった。
「私がハシバの野望を知ってから起こした者だ。一人目は、目覚めて間もなくハシバに悟られた。ハシバが連れて行って彼の計画に協力させようとしたが、やはり孤独と絶望に耐え切れず、死んだと聞いた。次の一人を起こす時、だから私はハシバに知られないよう細心の注意を払ったよ。だがそれもやはり」
「死んだの?」
「ああ。覚醒して起き上がれるまでになって、一週間も経たないうちに」
悔し気に、トキタは唇を結ぶ。そうして次の言葉を取り出して、
「シェルター内にいては、駄目だと思った。この中にはどうしたって、孤独と絶望しかないんだ、そうだろう? だから、あまり深くを知らぬまま、外に出してはどうかと考えた。外に人間の生活が続いていることが分かれば、多少なりとも希望が持てるのではないかとな。そうして二人。どちらも戻っては来なかったよ。外に出てやはり死を選んだか、不慮の事故で死んだのか。それとも外で自分の暮らしを見つけて、現代の人間に交じって生きていてくれていたら私も少しは救われるが」
「その可能性は低いだろな」
冷たい声で、ハルは言っていた。
この男の罪は、簡単に許されるべきではない。救いなんか、ない。
「きみで最後だ。私もこんな状況の中で、まだ十五歳のきみを覚醒させることはしたくなかったよ。もう少し状況が良くなる可能性があれば、それを待った。だが、すべての希望はついえた。ハシバの望みが叶えば、この都市の中にあるのはあのいびつな世界。私がその野望を阻止し子供たちを外へ出すことに成功すれば、この都市は終焉を迎える。どちらにしたって眠り続けるということはできない。それに私が永遠に生きているわけではないし、待ったところできみは十五歳のままだ。いずれやらなければならないこと――そう思ったが……きみを起こすのは、私も辛かった」
「だからおれは……眠らせたままで置いてってくれりゃ、そのほうが……」
「チハル」
やり切れない口調で名を呼んで、トキタはわずかに申し訳なさそうな顔をした。
「私は冷凍睡眠の開発者だし、このシェルターの冷凍睡眠計画の管理者だ。私の開発した技術で眠りにつきたくさんの者が死んだ中で、生き残っている者がいれば、それは助けようとせずにはいられないんだよ。きみが目の前にあるピアノを弾かずにはいられないようにな」
フッと自嘲するような息を落として、斜め下へと目をやって。
「正直に言おう。もちろん、協力者が欲しいと思ったよ、私の計画に。最年少のきみにその役割をさせるのは心苦しくて、きみが最後になった」
「けど結局、それをやらせようとしてんだろ、おれに」
「ああ」
トキタは力強く頷き、
「私は、このおかしな空間から、子供たちを外に出したい」
ふっとトキタは表情を緩める。
「けれどこないだも言ったが、それはハシバを除いたとしても、実現できない。仮に一時的に成功したとしても、必ずまた同じようなことが起こる。この時代のこの世界の人々に、さらなる犠牲を強いることになるかもしれない」
「……どういうこと?」
「シアターの前のニュース映像を見たか?」
抗議しかけたハルを遮って、トキタは目を上げ唐突に話題を変える。
「は、ニュース? ……あ」
思い当ってハルは呟いていた。
「二〇九九って……あれ?」
「そうだ。私が目を覚ました二十年前から、いやそれ以前からずっと、この都市は二〇九九年のまま時を止めている」
時が、止まっているかのような――。
あの広場で感じた、その感覚を再認識する。
「この都市のシステムは――」
トキタの目は、どこか遠いところを見ていた。それは距離ではなく、あるいは時間――。
「われわれが眠っていた数百年の間。上の層にいた者がすべて都市からいなくなったその後もな、ずっと、いつでもだれかが生活を始められるくらいに万全に、都市を運営していたんだ。ロボットたちがシェルター内外を整備し、スリーパーの眠りを守り、二〇六〇年代の空間を維持していた。だれかが目覚めて、またここに人の暮らしを復活させる日を待って。この都市を支配しているのは人間ではない。都市そのものが意思を持って、ここで人間の暮らしを続けさせるという自分の役割を遂行しようとしているんだ」
「は……都市が?」
語られた内容を上手く掴めずに、ハルはぼんやりと訊き返していた。
「そう。おそらくハシバもまた、都市に操られている一人に過ぎない。
そう思わせるほどに、ハシバは頭がおかしくなったとしか考えられんかったよ、最初は。もともと妙な男ではあったが、なんというか……病的に見える、今のハシバは。眠りから覚めて、ほかの者がみんな死に絶望しか残っていないと知って、気が狂ったのか? はじめはそうも思った。だが――社会を作り上げて支配したいという野望を持ったハシバを、都市が取り込んだ……あるいは、彼を狂わせて自分の役割を再び取り戻すために利用しようとしているのか……彼を見ていて、次第にそう思うようになった
ハシバがいなくなれば、また別のものを取り込もうとするかもしれない。それは現代に暮らす無辜の人間であろう」
――この都市は、人を狂わせる。
いつかのトキタの言葉を思い出していた。
狂っているのは、本当にハシバなのか。トキタか、あるいは自分か、都市の子供たち――それとも都市そのものか?
「これを終わりにするには、都市を破壊するしかない。私の目的はそれだ。二〇六〇年代のわれわれの文明が、現代の暮らしに悪い干渉をしないようにな。ここの中枢機能を破壊し、葬る。私はこの歳だ。もう時間があまりない。私が死ねば、それをやるものはもういない。この都市は永遠に人を取り込み狂わせ、現代に干渉し続ける。私が今、どうにかしなくてはならない」
「……それを、おれに協力しろって?」
苦々しい口調で、ハルは言う。
と、トキタはひとつため息を落とした。
「そう。きみは最後に生き残った二〇六〇年代の人間だ。死んだほかの者たちのことを思えば、きみにはそれをする責任がある――」
「なに……勝手なこと――!」
憤りに、思わず立ち上がったハルを手で制し、トキタは真っすぐにハルを見つめて、
「きみは『勝手に眠らせて勝手に起こして勝手なことを言うな』と怒るだろう。だが、これがただ一人生き残ったきみの、生き残った意味だ――と、そう、言おうと思っていた」
思っていた。そう、過去形で言ってトキタは俯いた。
「きみが砂漠から戻ってくるまでは、な」
「……は?」
「嬉しかったよ。戻ってきてくれた時は。半年間、きみがどうしているかと考えない日はなかったからな。きみはまだ満足に歩けもしない状態で何も知らないまま都市から放り出されて、生き延びた。そればかりか砂漠の村に自分の生活を築いて。そうしてここへ訪ねてくるたびに、きみは砂漠の生活に溶け込んでいる。この時代に、自分の足で立っているんだ。それを見ていたら、気持ちが変わった」
俯き気味に、トキタの頬がわずかに緩む。
「私にはもう、きみに何も押し付けたり求めたりする権利はない。私の希望はあくまで私の希望――きみが奪われたものと同じだ。叶えられなくてもきみにはなんの責任もない。きみは自由だ。今すぐ私を殺したっていいし、ここのことはすべて忘れて砂漠に戻って現代の人間として暮らしてもいい」
そう言ったトキタは、自分こそが何かから解放されたかのように安らいだ表情をしていた。
(そうやって、こいつは……)
ずるい。
痛切な憎しみから、いつだってするりと身をかわして。
自由だって? 今さらそんなものが欲しいわけじゃない。
ハルに自由を与えられる者は、トキタではない。それができる者は、もうこの世にはいない……。
「そんなのは――」
ハルは、奥歯を噛みしめた。
「おれは……」
砂漠の村で、この時代の人間として生きる? そのために、目覚めてから今までの時間を過ごしてきたわけじゃない。
だったら、なんのために――。
数万だか数千だかのスリーパーたちの中で、同じ夢を見ながら同じ教室で授業を受けていたクラスメイトたちの中で、自分だけが生き残ってしまった罪悪感に耐えて?
生き残った意味? そんなもの、勝手に負わされてたまるか。ふざけるな。
おれも早く、そこへ行くからと。必死に言い聞かせて慰めているのは――自分か、彼らか。
狂っているのは、だれだ?
狂わされているのは、なんのためだ?
この都市を破壊すれば、答えは出るのか――?
ゆっくりと、ハルは拳を握りしめる。
「いいよ」
低く呟く。
機械に腰かけたまま背を丸め俯いていたトキタが、顔を上げた。
ハルはその弱々しい老人を見下ろし、目を細める。
「協力してやるよ。あんたの『計画』とやらに」
トキタはゆっくりと立ち上がる。
「本当か? いいのか?」
「いいよ。けど、勘違いするな」
トキタを睨みつけて、
「おれはあんたの『計画』をさっさと終わらせたいだけだ。それからあんたを殺して――」
「ああ。いいだろう。『計画』が済んだら、私はきみに殺される――だが、その後で私はやはり、きみに生きて欲しい」
「そんなのは、無理だ」
ふいっと視線を逸らしたハルに、それでもトキタは満面の笑みを投げかけた。
「ありがとう、チハル」
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