第14話 依頼

 心から悔やむように。自嘲するように。嘆くように、声を震わせたトキタ。そのまま目を閉じる。


(二十人? おれが最後って……?)

 再びハルはあたりを見回す。生きている者は、ハルとトキタしかいない……?


「ここのヤツら……みんな死んでるの? 生きてるヤツはもういないのか?」

「ああ、すべて確認したよ」

「ほかの、生き残ったってヤツらは……」


「ここを出るか、死ぬかしたよ。覚醒しても、すべてに絶望して自ら死を選んだ者がいた。心身に異常をきたした者も」


「……はっ、そりゃ……そうだろ」

 乾いた笑いが漏れる。


「すまない」


 トキタは首を垂れた。

 もはやトキタが何を謝っているのか、ハルには分からなかった。どこをどう、怒ればいいのか。混乱していた。


「馬鹿げた計画だと思うよ。われわれに弁解の余地があるとすれば……平和になった未来に皆で目を覚まして、また以前のような暮らしを取り戻せる可能性も皆無ではなかった。上手く行けば、ほんの何十年か後だ。家族や学校以外の友人たちとは離れ離れになってしまうが、あの時代ではいずれ叶えられなかったきみたちの夢を守れると……そう、信じて……いや、自分に言い聞かせていた」


「だけどそれにしたって……おかしいだろ……未来で? そんなの……だいたい本当に、戦争はすぐに起きたのか?」

 混乱する頭をどうにかしたくて、ハルはトキタと向かい合って訊く。

「世界がこうなったのは? おれたちが二〇六五年に眠らされて? それから……すぐじゃないだろ?」


 この新宿の核シェルター。たしかに当時、自分は新宿にある高校に通っていたのだ。その周辺にこんな巨大なドームは、なかった。建設中だったにしたって、これほどの建造物を工事をしていれば分かっただろう? 核に耐えるシェルターだ。数ヶ月でできるはずがない。

 自分たちが眠って――不当に眠らされてからも、世界はまだ続いていたのだ。


「すまない」もう一度、トキタは言った。「前にも言ったと思うが、時代の断絶と混乱があって、はっきりとしたことは分からないんだ。ただ……。きみの想像通り。そこから少なくとも数年は、世界は残っていただろうね。当時聞かされていた限りでは、地下部分ではすでに工事が始まっていたが、このシェルターの完成に必要な期間はあと最低八年はかかる見込みだった。それを待たずして、冷凍睡眠は決行された」


「八年……」

 ハルは額に手を当てていた。そうして絞り出すように、

「……なんだよ、それ」


 八年あったら。声が震えた。


「八年も、あったら……もっとできた。おれたちプロになれてたかもしれないじゃん……少なくともあのコンサートに出られたし、フジタたちと演奏会ができたし。高校卒業して……もっと……いろいろ……そりゃ、あと八年で終わるにしたってさ、そこで生活ぶち切られて、知らない間に家族とも別れて、そのまま……眠らされたまま死ぬよりはさあ……」


 八年? いや、もしかしたらもっと――。両親にはどんな説明があったんだろう。彼らは一人息子が目の前から消えても、それがいつか未来の世界で活躍できる日がくると信じただろうか。二人きりになった食卓で、どんな会話をしていただろう。


「先のことは、だれにも分からなかったんだよ」


 それまでで一番大きなため息を吐き出しながら苦し気に言うトキタに、

(くっ――!)

 衝動的に。

 拳を振り上げて飛び掛かっていた。だが、トキタはハルの拳を受け止めると思いがけない力で押さえた。


「きみはピアニストだろう。拳で人を殴ってはいけない」


「……ふっ……ざけんな!」

「ふざけてなどいない。きみは怒っていい。私を殴ってもいい。殺してもいい。だが、拳以外でだ。拳銃だって持っていたじゃないか」


 そう言うと、トキタは受け止めていた拳をゆっくりと押し下げる。

 それと同時に、堪えきれなくなってハルは涙が頬を伝うのを感じた。

 トキタが黙って見つめているその視線を感じながら、顔を上げることができずに。少しの時間。


「まだだ」ようやく上げた声は、かすれていた。「まだ聞いてない。なんで、おれを起こした。なんで……起こしたんだよ」


 やはり声は震えていた。

「あんた……二十年も前に目が覚めて、ほかの覚醒者を見てきたならさ、目を覚ましたっていいことないって分かってたじゃん。なんで? こいつらと」


 一面に並んだ棺を示して、トキタに詰め寄る。


「一緒にずっと眠ったままでも良かったじゃんか、時間が経てばおんなじように死んだんだろ? ああ、死んだヤツらはまだマシだったんじゃないの? 目ぇ覚ましてこんなわり果てた世界見て、全員死んだこと知って、こんな……わけの分からない話聞くより……ずっとっ」


「すまない」


 何度目かのその言葉に、またハルは思わず両手でトキタの胸倉へと掴みかかっていた。


「あんたっ、こないだから謝ってばっかで、こっちには全然ワケが――」

「私はきみたちに、謝ることしかできない」

「あんたの言い訳の相手になるために起こしたなんて言ったら、今すぐぶっ殺してやる!」


「それは……」胸倉を掴んでいる手に、トキタはそっと両手を重ねて、離す。「私も避けたい。もう少しだけ話したいことがあるんだよ」


 その口元に浮かぶ切なげな笑み。やるせなさが滲み出て。腕を下ろし、怒りの持って行き場を失った拳をハルは強く握りしめていた。


「どの面を下げてきみにこんなことを言ったらいいのか分からないのだが」

 トキタは歯切れの悪い口調で言って、視線を逸らす。


「もしもきみが私の情状をほんの少しだけでも酌量してくれる余地があれば。――あと少しだけ時間が欲しい。そして出来ればきみに、協力してほしいことがあるんだ」


「……は?」

 思わず呆然と聞き返すハル。協力、だと?


「私も――私だって、死にたいと思ったさ。覚醒してからずっと、今この時も、それは頭の中にある。だが、その前にひとつ、やらなければならないことがあってな。私は、この私たちの時代が引き起こしている問題に、決着を付けなければならない。いまここに生き残っている、それが私の責任なんだ」


「全然分かんないんだけど」


「だが、一人では難しい。きみの手助けが必要なんだ」


「あんた……頭おかしいんじゃないの? ほんと、どの面下げて言ってんの? 手助け? なんだそれ……もしかして、おれが起こしてもらって感謝してると思ってる?」


「本当に申し訳ないと思っているが、頼む。聞いてくれ」


 必死に訴えるトキタ。

 ハルはもう、どうしていいのか分からなくなって額に手を当てた。

 ああもう好きなだけ勝手にしゃべれ。終わったら殺してやる。


「外の村にいたのだったら、周辺の村の子供たちがこの都市に攫われたという話は聞いているだろう? その子供たちは、いまこの都市の中にいる。彼らを解放して、私はこの都市を破壊したいんだ」


「……はあ?」


「この都市は、人を狂わせる」

「……みたいだな」

「もう終わりにしなくてはならない。私が幕を引かなくてはならないんだ。そのためには」

「ちょっと待てよ」


 声を割り込ませる。拳銃を再び取り出して、

「いま、あんたを殺す。それから、おれも死ぬ。終われるだろ?」


「違うんだ……」トキタは苦し気な声を上げた。「ほかにまだ、始末しなければならないものが」


「じゃあそいつも殺してやる。どこ?」


「チハル、きみの気持ちはよく分かる。けれど……冷静になれ」

「おれは冷静だ」


 あと一人か二人余分に殺すくらいなら、弾の数は足りると判断できる程度に。


「少しだけ待ってほしい。これには準備と段取りと、それから人手が必要なんだ。一人殺して終わりになるのなら、私はとっくにそれをやっている」


「だから手伝えって? 冗談じゃない。なんで今のこの話の流れで、おれがあんたのやりたいことに手を貸すって思えるんだよ。あんた自分の立場分かってんのかよ」


「ああ。だが私だけの満足ために言っているのではない。都市に奪われた村の子供たちを、村に返すんだ。村々もそれを望むだろう? それが終わった後なら、喜んできみに殺されよう」

「だったら今やれよ! 子供ら表に出すだけだろ!」


「ことはそんなに単純ではない。それでは根本的な問題は解決しない。また同じことが繰り返されるだけだ。子供たちだって、そんな強硬策では安全に脱出することはできない。無用な混乱は避けたいんだよ」


「あといくつか死体が増えたって、変わんないだろ!」

 叫んでいた。


「チハル、きみは……」

 トキタが顔を曇らせる。

「いや……」ひとつ首を振って、「子供たちに罪はないんだよ」


(ああ、もうだめだ)


「だったら――」

 もやもやしたもので、頭の中がいっぱいになっていた。


「こいつらに何の罪があったんだよ!」

 拳銃を持った右手で、ハルは部屋の中の棺の列を示す。

「あんたよくこの場所で、そんなことが言えるなあ! この部屋で……こいつらの前で……!」


 もやもやを取り払いたくて、必死に叫ぶけれど、それはさらに深いおりのように凝縮されて増幅するだけだった。

 気づけば肩で息をしていた。


(やっぱり、この場所は――)


 息苦しい。辛い。

 もう、出よう。


「そうだな……すまなかった」

 トキタがうなだれる。

「私がどうかしていた」


(違う)


 みんなおかしいんだよ。あんたも、おれも。人間全部。だから、終わりに――。


 再びトキタへと、銃口を向けた。

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