第2章 ヤマトの村

第9話 銀色の墓標

 砂の地平線のずっと遠くにドーム型の巨大な建物を見つめて、馬の手綱を引いたまま少したたずむ。

 新宿。

 あの中には、前時代の文明と、そして夢を奪われ命を奪われた仲間たちが、眠っている。

 緩やかな砂の丘陵に異質に浮かび上がる銀色のドームは、まるで彼らの墓標のように静かにそこに建っていた。


「ハル?」


 前方から呼ぶ声がして、ハルはふっと我に返った。

 馬を並べて走っていた相手が突然立ち止まってしまったのを怪訝に思った様子で、グンジが同じように馬を止めこちらを振り返っていた。


「どうした? 日が暮れるまでに村に帰るぞ」

「あ、ああ、うん」


 再び駆けだしたグンジの馬に追い付くと、顎に髭を蓄えた大男は馬を走らせたままちらりと視線を向けてきた。


「あの都市が気になるのか?」

「いや、ただ――でかいなって」

「大きいが、『都市』とは名ばかりで栄えている様子はまるで感じられないな」


 馬が砂を蹴り上げる。砂の大地。時おり砂交じりの強い風が吹いて、半歩ほど前を行く男のマントの裾をはためかせる。

 グンジは前方を見つめたまま、


「人の出入りもないし、出入り口すら見当たらん。内部がどうなっているのか知っている者はだれもいない」


「けど、人が住んでるんだろ? 周りの村と商売とかしてるんじゃないの?」

「少なくとも、この周辺の村ではそんな話は聞いたことがないな。周囲に妙な車に乗ったヘンなやつらがいて、こちらに銃を向けてくるので近づくこともできない。ここらの村であの中に入ったことのある者はいないよ」


「ふうん……」

 わずかに都市を振り返って、ハルは少し考える。


 前方を睨みながら、グンジは視線を険しくした。

「周囲の村をあれだけ荒らしておいて、まだ仲良く商売ができるなんて、やつらも思ってはいないだろう。しかしあんなハコの中で、一体どうやって暮らせるというのか――」


 都市から人が――ハルの予想では、それはあの周辺を哨戒しているのと同じようなロボットではないかと思っているのだが――やってきて、都市の周辺の村々から子供を連れ去っていった。そう聞かされた。

 聞いたのは、まだグンジたちの村にやってきてそれほど時が経っていないころ。

 ようやくこの世界の言葉を話せるようになったころ。


 村にルウや自分と同じ年頃の子供がほかにいないのを不思議に思って聞いたところ、答えたのは、あれはグンジだったか、村のほかの男だったか。


『シンジュクの奴らが突然村を襲撃してきて、子供たちを攫っていきやがったんだよ。ルウだけはたまたま隠れてて、難を逃れたんだけどな。十四人の子供たちが連れていかれた』


『ここらのほかの村もおんなじだ。シンジュクの周囲ぐるっと、ほとんどの村がな』


『あれはまだ、ルウがようやく駆けっこできるくらいの歳になったころだよ』


『ちょうど雨季が明けて周辺の村との商売を再開したころで、どの村も男が遠くへと出かけてて少なくなってる時だったから、抵抗できずに根こそぎだよ。あいつら、なんだか硬い鎧みたいなもんを着けてて、銃弾もナイフも通らねえんだ』


『金目の物でもなく、女でもなく、子供たちだぜ? よちよち歩きから、計算ができるようになったくらいの子供らだ。やつらが何を考えてるのか全く分からんよ』


 周囲の村から攫った大勢の子供たちがいるという、都市。

 そして、冷凍睡眠で時代を越えた者たちの――いや、越えられなかった者たちの眠る――。


(あの都市には、トキタとみんなのほかに、誰がいるっていうんだ?)




 馬を繋ぎ、荷物を担いで部屋に戻る途中で、


「ハルー!」

 大声で呼ばわりながらルウが走ってきた。


「ハルっ、ピアノを弾くでしょ? ルミとサエが聞きたいってさ」

「後でな。馬具と銃の整備をしなくちゃならないんだ。明日大勢で、ちょっと遠くの村に商売に行くんだってさ。その準備で今夜はみんな大忙しだよ」

「ええー。ルミとサエはまだ子供だもん。そんな遅くまでいらんないよ。先にピアノにしなよ」


 ルウは口を尖らせる。

 おまえだって子供じゃないか、とハルは思う。


「ダメだよ。すごくたくさんあるんだ。夕食後に始めたんじゃ間に合わない」


 砂を踏みしめながら、左腕に抱えた小銃の束を見せる。

「これだけじゃないよ。向こうにまだいっぱいある。そうだ、ルウが手伝ってくれたら早く終わる」


「えっ、あたしは、いろいろとやることが」

 ルウの視線が泳いでいた。


「ああ、そうだ。ルウは文字の練習が先だ。カキクケコ、書けるようになったのか?」

「ちぇーっ! ハルの意地悪! もういいよ、行っちゃえ!」


 はいよ、片手を振って、ハルは建物に向かった。


(そりゃおれだって、早く弾きたいけどさ)


 「昔」はピアノを弾くよりも優先してやらなきゃならないことなんかなかったな、と思う。そうして、これからもずっとそうなんだと信じていたけれど。


 今は鍵盤よりも、馬や銃や、鍬とかスコップとかに触れている時間の方が長いと思う。

 そもそも鍬とかスコップとか握ってるのが分かったら、ピアノ教師から大目玉を食らっただろうな。体育の授業の球技だってやらせてもらえなかったもの。

 この世界ではほかにもやることが多くて、それからやらなければならないことも――。


 建物に入る直前、東の空に目をやって。暗くなった空に昇りつつある、満月。


 トキタとの約束の「半年後」は、あと一ヶ月後に迫っていた。

 少しばかり、気持ちが焦っていた。




 あの都市――新宿に到達するためには、都市の哨戒ロボットを避けるか倒すかしなければならない。あれはどのくらいの数いるのだろう。トキタは銃があれば切り抜けられることを前提に話を進めていたが、ハルが満足に銃を使えるようになったとしたって、数が多ければ切り抜けることはできないだろう。


 ヤツは多分、「おまえはだれだ」とか「何をしている」とかそんなようなことをこの時代の言葉で質問をしてきていたんだろうけれど、特に抵抗したわけでもなくただ質問に答えなかっただけのハルに対して銃の引き金を引いた。短気で物騒なロボットだ。


 それにあの地下通路。あそこにも敵が潜んでいるのだとしたら、もう逃げ場がない。通路の中はどうなっている? 武器を持って都市に近づくことはできるのか? さらにはどうにか首尾よくたどり着けたとして、本当にトキタはそこで待っているのだろうか?


 そうして。どうやってトキタから求める説明を聞きだして、どうやってあいつを殺そう。


 説明すると言っていた。ハルが半年後に戻ってくれば。けれど納得のいく答えを得ることはできるのだろうか。そして大人しく殺されるだろうか。

 それが終わった後で、自分は――。


 どの過程についても、具体的な計画は立っていなかった。せめて都市周辺の情報を得ようにも、村の人々はあの都市を毛嫌いして近づきもしないから、何も知らないし。


 あとひと月の間に、考えなくてはならないことが多すぎた。




 目を覚ましてから五ヶ月。六度目の満月――。


 その間に、ハルは馬の乗り方と銃の使い方を覚えた。

 ハルを助けてくれた、グンジやリサやルウやそのほかのたくさんの人が住んでいるこの村が、「ヤマト」と呼ばれる村であること、グンジはその村のリーダー的な存在であることを知った。


 言葉も覚えた。「スープ」から始まって、最初にいくつかの単語が聞き取れたのが、きっかけになった。

 この時代の言葉は、発音やアクセントやイントネーションこそハルの知っている言葉と大きく違うものの、まったくそれと別の言語ではなかったのだ。時間をかけて、徐々に変わっていったのだろう。

 全然違う外国語に聞こえていたそれも、ちょっとしたチューニングで聞き取ることができるようになった。 


 この世界には、ハルの知っている漢字はなくて、文字を知っている人は少なくはないけれどそれは基本的にカタカナと呼ばれていたもので、ひらがなも多少は読める者がいる……ということも知った。


 カタカナが通用することが分かったら、意思の疎通は飛躍的に楽になった。単語や発音の違いはあるものの、文字で書けば、かなりのことは理解し合えたのだ。そしてそれは、ハルがこの世界で通じる言葉を身に着けるのにも大いに役立った。


 ハルはルウに言葉を教わり、そして文字を教えることになった。

 ここで三度目の満月を見るころにはハルは日常会話くらいには不便しないようになっていたが、ルウは今に至っても「アイウエオ」から先に進んでいない。

 彼女はおしゃべりにはいくらでも付き合ってくれるから会話の良い練習相手にはなったが、自分の勉強となると五分もじっとしていないのだ。


 ああ、それも心残りだ。

 ハルはあとひと月しかここにいないと言うのに。その間にルウが五十音をマスターするとはとても思えない。


 もうひとつ。


 この世界で、村人以外の他所から来た人間が「客」としてとても大切に扱われることも、知った。

 ハルはこの村の「客」であり、もてなすべき存在らしい。


 特段なんの役にも立っていないのに、どうしてそんなに親切にされるのか分からなかったけれど。それは理屈とか理由を越えた、この世界のルールらしかった。

 村の人々はそれぞれに農作業や手仕事、村の警護などの労働をしていて――分業制ではなく、その時々で必要に応じて仕事を割り振っているようだ――、あんまり怠けたりサボったりしていたら咎められるものなのだが、「客」という存在はそれを求められない。ただ村の中で寝起きして、食事を振舞われ、時間を自由に使って何をしていても許される。


 かといって、何もしないというのも落ち着かないので、ハルは村の人たちの仕事を手伝うことにした。単に「その日」までの時間をつぶす目的もあったし、村の人々の好意に甘えて正体を明かしもせずに半年もの間かくまってもらう形になることに、罪悪感もあったから。それに、残されたわずかな時間、少しでも人の役に立っているのだと思いたかったのかもしれない。

 助けてもらった恩を返すまでには、至っていないだろうけれど。




「ハル、また夜遊びかい?」

「マントを着ていきな。夜はもう寒いよ」


 すれ違う村人が声を掛けてくるのに、「ちょっとそこまで、散歩だよ」と答えて村を出る。

 満月は、もう空のだいぶ高いところに上っていた。


 村の門を一歩外に出たら、そこは砂だらけの荒野だ。砂を踏みしめながら歩いて、小さな塔にたどり着く。


 砂に突き出た、細長い建物だった。小さいながら石造りのそれは頑丈で、長年の風雨に吹きさらされてかなり老朽化しているもののしっかりと建っている。

 見た目には二階分程度の高さしかないが、元はもっと高い塔だったものが砂に埋もれてしまったらしい。

 屋根が崩れて、雨ざらしになっている。


 だいぶ前にグンジに付き合って村の周辺の見回りをしている時に見つけたもので、ここはハルのお気に入りの場所になっていた。屋根がないから空がよく見える。それでいてちゃんと壁はあるから、周囲から吹いてくる砂交じりの風を遮ってくれるのだ。


 夜にかかる仕事がない日は、たまに一人でここに来て、星空を眺めていた。


 ここは都市――シンジュクに一番近い場所。


 都市の外の砂の大地には、人の住む村が点在している。ヤマトの村は、その中でも一番シンジュクに近い場所に位置していた。哨戒ロボットが邪魔で村人がシンジュクに近づくことはないものの、あの中野坂上の廃墟の少し手前までは村周辺の見回りで接近することがある。

 あの日、グンジとルウが、廃墟の裏手の斜面で倒れて死にかけていたハルを見つけたように。


 ここからあの地下通路の入り口までは、二、三キロといったところか。

 そのたったわずかの距離に、半年。


 あと一ヶ月後には、再びあの廃墟に足を踏み入れることになる。

 ぼんやりとその時を想像しながら、石造りの床に寝転んで大きな月へと目をやっていた。

 眩しさに目を閉じた時だった。


(――?)


 いくつもの音がこちらに近づいてくるのを耳が捉えて、ハルは横たえていた体を起こす。

 数頭の馬が、砂を蹴ってこちらに向かってくる。歩くよりは早く、走るよりはゆっくりのスピードで。ギシギシと鳴る、荷車。砂漠の村々を商売で行き来する、隊商のような、音。


(こんな時間に?)


 怪訝に思って階下に降りて建物を出たところで。

 前方から、馬に乗った十数人とも思える人間たちがこちらに向かってくるのが見えた。


 集団はすぐに、塔の入り口を背に立っているハルの目の前までやってきた。そうして一斉に立ち止まったかと思うと、前列にいた数人がおもむろに銃を構えるのが見えた。


「両手を上げて、壁から離れろ」


 列の先頭で銃口をこちらに向けてそう言ったのは、長い髪を後ろで束ねた女、だった。

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