第一章 肉じゃが定食⑨



 ――もしも万が一、が起きたら。


 あの時のイケメン店主の予言めいた台詞せりふが、どういう真意だったかは分からない。

 でも、思い当たるふしはそれしかないのだ。


 私がまずやったのは、一分で身支度を整え、よりえきまで直行することだった。

おまけにダボついた十分丈アンクルパンツとマスク、目深にかぶったニット帽という、「どこの銀行を襲って来たんですか ? 」な不審者スタイルで。怪しさ満点だが、ちょっとでも誰かに姿を見られたらと思うと、気が気じゃなかった。

 ホームまで階段を駆けあがり、来た電車に飛び乗る。


 めざすは一路、南京町。


 昨日見たばかりの大門の下を走り抜け、お昼前で少しずつ人が多くなり始めている石畳の道を、スニーカーの靴底で荒っぽく蹴っていく。お腹の痛みも相変わらず継続中で気分も最悪だったが、構っていられない。

 幸いにして、昨日の店にはすぐ辿たどりつけた。

 のれんが下がっているから、開店もしている。よかった…… !


「あのっ !!   助けて !   お願いっ ! 」


 私はのれんをはね上げ、勢いよく『白澤薬膳房』に駆け込んだ。気がくあまり、敬語もなにも吹っ飛んでしまう。


「わー、本当にお早い再来店どうもー」


 血相変えてやってきた私を、昨日のイケメンお兄さんは相変わらずのイケメンスマイル でのんびりと出迎えた。やっぱり接客が雑い。

 しかし、そんなことはどうでもいい。

 私はぜえぜえと上がった息を整えると、お兄さんを睨みつけ、「きたいことがあるんだけど ! 」と叫んで、自分の頭を覆うニット帽に手を伸ばし。

 そして、勢いよくひっぺがした。


「見て !   どうなってんの !? 」


 帽子をとり払った瞬間、飛び出してきたものに、イケメン様は目を丸くする。


「おや。これは……」

「今朝起きたらいきなりこうなってて…… !   東洋医学で言う、〝しょう〞ってのがあるんでしょ !?   いったいどういう証なの !? 」


 涙声で叫ぶ私は、頭の上でぴくぴく揺れる、ソレの存在をはっきりと思い描いていた。もちろん寝癖なんかじゃない。なんなら、自分の意思で動かせたりもする。


 そこには、髪と同じ色の猫耳が、ぴょこんと生えていたのだ。


 誰が予想できるもんか。

 黒猫がいなくなったと思ったら。まさか朝起きた瞬間、――頭の上に、こんなものが生えているなんて !

 まあ、今この頭にくっついているのは、正確には黒というわけではなく、茶に近い私の髪色に似た褐色耳なんだけれども。問題はそこじゃない。


「実は、隠してるけど尻尾もあって…… !   引っ張ったら痛いからちゃんと生えてるみたいだし、病院行こうにも、猫耳生えたなんて耳鼻科か内科か外科か脳神経科か不明だし !   お兄さん、昨日『もしも何か異変が起きたらまた来て』って妙なこと言ってたの、もしかしなくてもコレのことだよね !? 」


 なにがどうしてこうなったかを考えるにつけ、原因らしきものは、やっぱり昨日の薬膳、というか、彼の台詞の『何か異変』の『何か』しかないのだった。

 どうしよう。

 入学式までまだ日はあるけど、こんなんじゃ大学に行けない。

 猫耳のまま学生生活とか無理。第一、なんなの猫耳って。どういうジャンルのどんなご病気なの。聞いたことも見たこともないし。


「もしかして、昨日食べた薬膳の影響 !?   ごはんはおいしかったけど !   肉じゃがで他人に猫耳生やせるって怖すぎない !?   中華料理って言ったのがそんなに気に障ったなら、二度と言わないし土下座でもなんでもして謝るから !   お願いだから、元に戻してよ !! 」


 鼻の奥がつんとする。パニックが限界を迎え、とうとう涙腺が決壊し、ぼろぼろとべそをかく私に、イケメンお兄さんは「あー……」と、頰をぽりぽりいた。

 そして、苦笑ぎみに感想をくれる。


「これはまた、見事な猫耳というか……あはは、思ったより面白いことになってますね」


「私は !   面白く !   ないから !! 」


 絶叫する。

 いや分かるけど !  逆の立場だったら、同じこと思ったかもしれないけど !   気を遣っ てちょっとは包んで !


「って、その反応だと、やっぱりあなたのせいなんじゃない !!   これ、元に戻せるの !?  っていうか戻して !   早く !   今すぐ !   なう ! 」

「ええ ?   さあ、どうでしょう。どうしましょうかね。しかし猫耳とは……よりにもよって……もうそのままにしといたらどうですか。学校で人気者になれますよ」


「ふざけんなー ! 」


 私は、お兄さんの上着の襟ぐりをつかむと、がくがくと揺さぶった。

 こんな手荒なこと、出会ったばかりの人どころか家族や親しい友達にもしたことないけど、今は非常事態だ。

 腹立たしいことに、困り果てた私がおかしかったのか、最初は微笑ていどだったお兄さんは、今はもう隠す気もなく盛大に噴き出している。

 彼は、抵抗もせずゆらゆらとされるがままになっていたが、腕の疲れた私が動きを止めたのをいいことに、ひょいと手を外して服を整えた。


「まあ、冗談はさておき」

「冗談が悪趣味 ! 」

「おや。治さなくていいんですか」

「え ?   ……な、治せるの !? 」


だとしたら薬膳すごい。というか中国四千年の医学やばい。いや中国って言ったらダメなんだっけ。なんにせよ、猫耳つけたり戻したり自由自在なんて。

 思わず、私はあんでその場にくずおれそうになった。


「ほ、本当に !? 」

「猫耳についてはね。まあ、おそらくそんなに時間もかからないでしょう。……専門家を呼んできますので、とりあえず席に」

「……専門家 ?   ええと、うん」  


 指示されるまま、おそるおそる椅子に腰かける。

 しかし、「ここにいて」と言い置き、彼はお店を出て行ってしまった。一人残された私は、居心地悪くその帰りを待つしかない。

 それにしても、専門家ってなんの ?   猫耳が生える病気の ?

 まさか、治すっていうのは立て前で、このまま世にも珍しい猫耳女として、シャンハイ雑技団に売り飛ばされたりしないよね。あのサーカス、そういう団体じゃなかったと思うし。

 にわかに不安になってきたところで、店に彼が戻ってきた。

 ただし、彼一人ではなく、予告通りの『専門家』とおぼしき人物を連れている。

 ……当然ながら、知らない男の人だ。顎がとがって頰肉の少ない整った顔立ちで、糸のように細い目が特徴的だった。若くも見えるけれど、髪色ロマンスグレーのオールバックな髪型なので、いまいち年齢が分かりづらい。

 この薬膳ごはん屋さんの店主ほど人間離れしてはいないものの、長身を黒ずくめに包むという変わったいで立ちのダンディーガイである。


哎呀アイヤー。これはまた、みごとにマオグイにやられたアルネ」


 彼は私の姿を認めたとたん、のんきな声を上げた。

 おお、アイヤーって言う人、はじめて見た。ってことは、きっと中国のかたなんだろうな。本当に使うんだ。いや、大事なのはそこじゃない。


「え ?  ま、まおぐい…… ? 」


 聞き慣れない言葉に首をひねる私のそばにすたすた歩いて寄ってくると、片言アルヨ口調のおじさんは、猫耳をためつすがめつしながら、「マオグイは、マオのグイのことネ」という、何一つ分からない情報を追加してくれた。だから、そのマオとグイってなんぞ。


「はいはい、ちょと失礼するヨ」


 アルヨおじさんは、あっけにとられる私の手首をとって脈をはかり、耳の下やうなじにも指を当てて何やら確認したあと、「ふむ」と顎に手を当てた。


「いやはや、珍妙珍奇なかれ方アル。お嬢サン、何やったらこんなことなるネ ! 」


 糸目をますます細めた彼に、意味不明なことをまくしたてられる。

 いや、今なんて言った ?  


  つ、かれ…… ?  


  気づけば私は「ちょ、ちょっと待って下さい ! 」と叫んでいた。


「つまり私の身体からだは、どうなっちゃったんですか !?   えっと……」


 そういえば、この新顔のおじさんどころか、そもそもイケメン店主の名前すら知らないことに、改めて気づく。

 まさか、イケメンお兄さんやらアルヨおじさんと呼ぶわけにもいかず口ごもる私に、彼らは顔を見合わせると、「ああ」と納得したようにうなずいた。

 先に口を開いたのはイケメン店主のほうだ。


白澤ハクタクです」


「は ? 」

「ですから、僕の名前」

白澤はくたく……さん ? 」


 シロサワじゃなかったのか。   白が姓で澤が名前 ?   ってことは、白さんって呼ぶべき ?   と首をかしげると、「前後で切り離さず続けて呼んでください」と心を読まれたように指摘が来る。


 ハクタクさん。響きからして、やっぱり中国の人なんだろうか。

 なんにせよ、晴れて名前が判明したイケメン様、改め白澤さんをまじまじ見る。


「じゃあ、このお店は白澤はくたくやくぜんぼうって読むの ? 」

「ええ」


 続けて、私が隣の新顔アルヨおじさんを見ると、彼はにっこり笑って自分を指さした。


「ワタシ、コウいうヨ。生薬や食材を売ってるネ。すぐそこの向かいで、『こう商行しょうこう』って店をやってるアル」


 よろしくネ、と手を差し出されて、私も「はあ……」と握り返す。

 アルヨおじさん改め、黄さんの手は大きく節ばっていて、やたらとタコがある。

 生薬って……つまり漢方のお店だよね ?   漢方はあまり使ったことないし全然詳しくないけど、薬屋さんってこんなに手がゴツくなる職業なのかな。


「あ、私は楠城湊です。この春から、市内の大学に入る予定で……」


 つられて私も自己紹介する。「ミナトお嬢サンね」と黄さんは頷き、かたや白澤さんは曖昧に頷くという、いまいち感情の読めない反応である。 「彼は、表向きは中国食材店の店主ですが、実は大陸妖怪に詳しい道士で、気功師、風水 師でもある。つまりは呪術の総合医です」


 黄さんに関する白澤さんの補足説明に、「はあ……」と私は頷く。

 ごめん、えっと。つまり、……どういうご職業なの。

 なにせ、聞き慣れない言葉のオンパレードなのだ。おまけに非現実的なものばかり。だって今、なんか〝妖怪〞とか言わなかった ?   どうか気のせいでありますように。


「あのう、それでさっきの、マオグイっていうのは…… ? 」


 せめて、今度こそどちらかは分かりやすく質問に答えてくれまいかと、白澤さんと黄さんを交互に見やると、黄さんのほうがにっこり笑って指を振った。


「マオグイは、漢字では猫の鬼、と書くヨ。たぶん、お嬢サンに憑いたのは、はぐれマオグイアル。中国古来のじゅつのひとつで、……まあ、早い話が猫を使った呪いの一種ネ」


「……ええっ !?   の、呪いぃ !?   証とかいうやつじゃなくて !? 」


 一拍置いて、私は思いっきりのけぞる。

 だって、呪いって !   そんな時代錯誤なファンタジー用語 !

 こうして実害が出ている以上、占いで言われるのとはわけが違う。だがまあ、今さらと 言うか、猫耳生えた時点でもういろいろ手遅れと言えなくもないけども。


 なんでも――黄さんいわく。


 中国には、古くからさまざまな呪術があって、そのひとつが〝蠱術〞という、生き物を 殺しておこなうものらしい。聞くだけで気持ち悪くなりそうな残酷さだ。

 猫鬼は文字通り、猫を殺して作る鬼。

 特徴として、呪いの使い手のもとに、せっせと人から強奪した富を運んでお金持ちにしてくれるとか。かつ金品を奪う時に、ターゲットの内臓をじわじわ餌食にする、と……。

 そこまで聞いたところで、私はぞわりと身の毛がよだった。


「えっ、待って。それじゃ私のおなかが痛いのって」

「呪いのせいかもネ」


 ひいっ !   やっぱり !?  猫耳怖すぎる !  誰だよ「猫耳える」とか言った人 !  いや世間一般の猫耳に罪はないけど、もうトラウマになりそうだ。

 とうとう頭を抱える私に、黄さんはマイペースに教えてくれる。


「猫鬼、自然には生まれない、必ず人間が作るヨ。要は、もともといたはずの使い手が死んで行き場をなくしたんじゃないかネ。ま、大陸妖怪の一種だと思えばいいヨ。にしても、ずいぶんかわいい憑きかたアル。そのへんははぐれ猫鬼だからお茶目なのかもネ」


「おちゃめかな !? 」


「……で、猫鬼は、まあ見た目は普通のネコチャンそのものネ。そしては、 人間の家には、家主に招き入れられないと入れない。心当たりあるカ ? 」

「う、うん。ある……すっごいある」


 私の頭に真っ先に浮かんだのは、昨日我が家までついてきた、あの黒い子猫であ

る。


 ……ってあの子、妖怪だったの !?


 あんまりに意外すぎて、憑かれたショックをその衝撃が上回りかける。


「ま、見たところその猫鬼、お嬢サンに害意は皆無ネ。たまたま見かけたお嬢サンのことが気に入ったから、新しい使い手に選んで利益をもたらすつもりが、うまくいかずにこんなあべこべな憑きかたになってシマタ。ってところじゃないカ ? 」

「そ、そんな」

「ミナトお嬢サン。このままだと、ほっぺにピョッコリおヒゲ生えて、手足の爪も尖って、全身毛むくじゃらの猫になっちゃうネ ! 」

「えええ !? 」


 無理、なにそれ、絶対にイヤ !

 ハハハ、と何が面白いのか手をたたいて高笑いする黄さんを前に私が絶望に打ちひしがれていると、隣で一連に耳を傾けていた白澤さんが、「……それで」と口を挟んだ。


はらえそうですか、黄 ? 」

「祓える祓える。朝飯前の、ちょちょいのちょいヨー。さっそく準備するから、お嬢サンは座ったまま身体楽にするヨロシ」

「はあ……」


 私に指示をくれると、黄さんは手持ちのかばんから、あれこれと道具を取り出した。


 ……何が始まるんだろう。得たばかりの猫耳は不安でピクつき、アンクルパンツの中で尻尾がぱたぱた揺れてしまう。

 黄さんは銀色の香炉に薬草らしきものを放り込み、火をつける。やがて甘苦い香りが漂ってくると、彼は口をすぼめて「ホウ」と不思議な音を出しながら息を吐いた。

 そのまま、黄さんの手が私のお腹に当てられる。


「う、痛っ ! 」


 急に腹部がひときわ強くうずき、私は大きくき込んだ。


 ――と。


 肩が、ふっと軽くなる。続けて自分の口の奥から、まるで寒い日に吐いた息のように、白い煙がいぶしだされてきた。


 ……何が起こったの !?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る