第一章 肉じゃが定食⑥


「これ……普通に、ただの肉じゃがだもの ! 」


 そう。


 皮付きのお芋やニンジンは、煮汁の照りでつやつやと輝いていたし、牛肉やタマネギはトロトロだし。醬油と砂糖の溶けたにおいが、とてもとても食欲をくすぐるけれど。

「ええっと。や、薬膳……なのかな ?   これはさすがにどう考えても、日本のおふくろの味ナンバーワンの、ただの家庭料理な気が……」

 しいて言うなら、きぬさやの代わりに見慣れない緑色の葉野菜が添えてあるくらいか。

 あとは、日本人の大好き白米……ではなく、なにやらこまごまと彩り鮮やかな雑穀の入ったごはんなのが、薬膳って響きに合うといえばそうかも。

 キャベツの漬物が小鉢に添えてあり、傍らには、素朴な木のおわんに入ったタケノコのすまし汁が、ほこほこと湯気を立てていた。


 おいしそうだけど。

 まあ、ものすごくおいしそうだけど !


「なにをにらんでいるんです。そこにあるものは観賞用ではなく食用なのだから、早く箸をつけてください。冷めますよ」

「あ、はい。いただきます」

 イケメン様にかされ、私は仕方なく黒漆ぬりの箸を手に持った。  というかこの人、さっきとキャラが違うよね ?   客の扱い、むちゃくちゃ雑になったよ ?   そもそも私、客でいいのかな。行き倒れただけな気も。  

 薬膳を中華料理呼びしたのが、そんなに地雷だったんだろうか……と己の発言を思い返しつつ、私は肉じゃがのお芋を箸先で少し切って、口にいれる。


「 ! 」


 こうばしい醬油のにおいが鼻を抜け、優しい甘みが舌に広がった。


「おいしい ! 」


 ジャガイモが、ほっくほくだ !   私の知ってる肉じゃがと、ぜんぜん違う。

 付け合わせの謎の葉野菜、シャキシャキで歯ごたえが楽しい。ちょっと苦いのが、また甘辛の味付けに合う。控えめに言って、めちゃくちゃおいしい。

 タケノコのお汁も、おだしがきいていてゴクゴクいける。なにこれ、永遠に飲んでいられるわ。

 雑穀ごはんと一緒にキャベツの漬物もぱくり。わ、爽やかな香りだな。  はぁ、幸せ。日本人でよかったぁ……。


「……お気に召したようで何よりです」

「はっ」


 イケメン様の声で、我に返る。

 気づけばお盆の上の食器はすべてカラになっていた。夢中で食べていたらしい。

「えっと、あの。ありがとう、ごちそうさまです……おいしかった」

「でしょうね」

 見りゃ分かります、とイケメン様は頷いた。

「なんか、肉じゃがのお芋がすごくほくほくで、お肉にぴったりで」

 わたわたと料理を褒める私に、くすりと彼は笑って解説をくれた。

「ええ。一度、油で揚げてありますから」

「わざわざ煮る前に揚げてるの !? 」

 ははあ、なるほど。道理で !   形もきれいに残ってるなあと !

 どろっと煮崩れて溶けたお芋の肉じゃがばかり食べてきたので、すごく新感覚だ。それはそれで〝母の味〞だから好きだけど、なんともカルチャーショックだった。


「ちなみに、肉じゃがの彩りに添えてあった、緑のお野菜って…… ? 」

「セリですね。さっと湯通しして絞っただけの」

「せり ?   聞いたことないかも。そうだ、野菜といえばキャベツも甘酸っぱくて、ちょっとピリからくて」

「黒酢とゴマ油、たかつめで漬けてあるんですよ」

「お汁も、ごはんもほかほかで !   みんなすごくおいしかった……けど」  


 それとこれとは別である。

 納得はできないので、私は口をへの字に曲げた。


「やっぱりどう考えても、薬膳なんて感じじゃなかったよ…… ? 」

「そうですか ?   ですが、……さっきよりも断然、貴女あなたの顔色はよくなっていますけどね。 小娘さん」


「え」


 今度こそ間違いなく小娘呼びしたよね、ということを指摘する気も起きず。びっくりした私は、ぱたぱたと自分の顔を叩いた。


 たしかに。


 さっきまで、あんなに気持ちが悪くて汗が止まらなくて、ざわざわと胸騒ぎまでしていたのに。

「どういうこと ? 」

「さっき貴女が陥っていたしょうが、心臓に因るものだったので」


「ショウ ? 」


 耳慣れない言葉をおうむがえしにする私に、彼は補足説明をくれた。

「西洋医学で言うところの病名のようなものですよ。東洋医学ではしょうと呼ぶんです。正確には少し違いますけどね」

「まず漢字変換できない」

「……これだから最近の若者は」

 ジジむさい嘆きをこぼされたが、あなたも十分〝若者〞の範囲内でしょうが、とは内心だけで突っ込んだ。口に出すとやぶへびになりそうだからだ。

 彼はなんだかんだ言いつつ、面倒臭そうにタブレットをとってきて、字を見せてくれる。気づけば私は、すっかりそのペースに巻き込まれてしまっていた。


「貴女も、『医食いしょく同源どうげん』って言葉を聞いたことがあると思うんですが。東洋医学では、人間のからだ体ってものは、基本的に〝うまくバランスをとって動いている〞という考え方をするんです」 「バランスって、なんの ? 」

「まずは、陰陽いんようのバランス」

「いんよう ? 」

「……陰陽思想、ってご存じないです ?   万物、森羅万象をすべて陰と陽に分けて捉える大陸発祥の考え方ですが。たとえば陰は勢いがなく、暗く、縮小したり、減少している状態。対して陽は活発で、明るく、膨張したり、増殖している状態、ですね」

「つまりは、陰が悪いモノ全般で、陽が良 い いモノ全般って感じ ? 」 「いいえ。陰陽と善悪は別ですよ。たとえば、昼間暗いと動き回るには不便ですが、夜眠る時に明るいと、身体が休まらないでしょう。よしあしは時と場合による、ってこと」

「あ、そっか。たしかに」

 ようは、バランスが大事――っていう話に戻ってくるわけか。光あっての影、影あってこその光、的な感じ ?   ちょっと違うような。とりあえず私は素直に納得した。

「人の身体は陰陽をベースに、五行や虚実キョジツなど、さまざまなバランスをとる。で、その均衡がうまく保たれた状態を、中庸ちゅうようと呼びますが……」

 季節の変化に負けたり、ばい菌やらやウイルスやらにやられて、しばしば人間はこのバランスを崩し、偏ってしまう。これが、「健康を失う」ということらしい。


「その崩れたバランスを、薬や生活習慣や食事、すべての手段を使ってもとの中庸に戻す のが、東洋医学の基本です」

「えーっと……じゃ、そのうちの食事にあたるのが、薬膳ってこと ? 」 「まあ、そうなりますかね。西洋医学との違いといえば、食材の栄養だけでなく、味や形、色、香り……いろいろな要素が、すべて絡んでいるところもそうかもしれません。ここまで、ついてこられてます ?   口半開きですけど」

「はぁー、わりかしイラっとくるご親切を、どうも……」


 さっきから、このいんぎんれいなイケメン様の勢いにおされ、私もだいぶ反応が粗雑になっているが、もういいや……。

 なんでも、食材にはそれぞれ特性があり、身体のバランスを左右する。  その性質は、食べた人がどう感じるかによって、熱、温、涼、寒の四つに分けられるらしい。どれでもないものは、平、といい、全部あわせて『五性』って呼ぶんだとか。

 これ、家に帰った後まで覚えていられるかな ?   などという私の失敬な内心などつゆ知らず、彼は肉じゃがの盛られていた器を指さした。


「ちなみに、さっきの肉じゃがに使われていた、ジャガイモとニンジン。どちらも平性なので、あまり性質を気にせずに効能の恩恵を受けられますね。すなわち胃腸の調子をよくし、きょえきする。牛肉も然りです。タマネギは温性で、新陳代謝を助ける」

 そして、皮ごと油で揚げることで、ジャガイモやニンジンは栄養の流出を防げるそうな。食感や味をよくするためだけじゃなかったらしい。私は「理解 ! 」と膝を打った。

「とりあえず、しっかり身体をあっためて消化と代謝よくして、気とかいうのが足りないのをどうにかしたら万事解決、みたいな感じ ? 」

「……どこもかしこもむやみに温めればいいというものではないですよ。重視すべきは性質や効能だけではありませんしね。たとえば……薬膳では、食材の味もバランスに関わります。酸、苦、甘、辛、かんの五つですね。合わせて『五味』といいます」

「カン ? 」

「塩辛い味のこと。以上五つのどれとも言えない、なんともハッキリしない味は、たん、と」

「はへえ……」

「そして、さっき肉じゃがに添えてあったセリ。あまり食べ慣れていないそうですが、春の七草として日本では昔から薬効を認められてきた食材です。正月明けのななくさがゆって、聞いたことありません ? 」

「正月って冬だけど……」

「旧暦では、新年は春だったんですよ。新春っていうでしょう」

「あ、そっか。古文で習った気がする」

「はあ……いまどきの若者は本当に……もういいですけど」

眉間をんで嘆かわしげにため息をつく彼に、「だからあんたも若者でしょうが」と私はふたたび声には出さず突っ込んだ。よしんば彼がスーパー若づくりとしても限度がある。

「セリもタケノコも、苦みが強い。苦い味は、心臓に効くんです。春は気温が暖かいほうに向かいますから。外からとりこんだ熱を処理しきれず、陽に傾きすぎた心臓が火照って疲れてしまう。このバランスを保つのに、苦みが役立つわけです。タケノコには、デトックス効果もありますし」


 そういえば。

 この人さっき、私の不調は「心臓にショウとかいうのがうんぬん」って言っていたような。

 だとすれば、タケノコのすまし汁もセリも、それに合わせてあったわけだ。


「え、じゃあキャベツも何か役割があったりするの ? 」

「紫蘇も、かな。キャベツは胃腸を整えますし、紫蘇は気の滞りをなめらかにする。まあ、キャベツは身体を冷やしすぎるので、鷹の爪で熱を補っていますが。このあたりがうまくできていて、旬のものを食べると、身体のバランスを中庸に戻しやすいんですよ」


「へええ…… ! 」


 思わず感心してしまった。

 なんでもない和食に見えたのに。残さず食べたら体調がよくなるように作ってあった、ってこと ?   全部計算して ?   だとしたら確かにすごい。


「わあ、薬膳って面白いかも……」

「それはちょうじょう


 なんでもすぐ影響されてしまう私が、素直に喜ぶことに満足したのか、彼はうすく唇を ほころばせた。思わず、といった感じの笑い方だ。

 

 ――うわ。それは反則。

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