Ⅷ ジュオーディンの怪物(1)

 村の教会でジャンポール神父やジャッコフをはじめ、大勢の村人達を猛獣の如く惨殺した後、アンヌの亡骸を抱えて再び森の奥深くへ戻ったリュカは、魔女ジョルディーヌの小屋の傍らに妹を埋葬した。


「――さようなことがあったか……なんとも残酷な運命の悪戯じゃな……」


「せっかく人間に戻してくれたってのにすまねえ……ぜんぶ無駄になっちまったな……」


 白い朝日の木漏れ日がぼんやりと優しく射し込む森の中、細い眉を淋しげにひそめ、背後から声をかけるジョルディーヌの言葉に、素朴な自然石を置いただけの真新しい墓の前で、膝を突くリュカは力なく呟く。


「そのようなことは別にかまわんが、妹のことはもちろん、そなたまで結果的には人狼となってしまった……これからどうするつもりじゃ? 最早、人の世に戻ることはかなわぬぞ?」


「なあに、俺をこんな風にしたやつらのお望み通り、神に歯向かう悪魔になってやるだけのことさ。それに、逆に言やあ、これは俺が望んだことともいえる……あんなクソみてえな人間どもの世界なんざ、こっちから願い下げだぜ」


 続けて静かに問う魔女に、リュカは顔だけを人狼のそれに再び変化させると、まるで人の姿には未練がないというような様子で、あっさりとそう答えた。


「昨日は怒りに任せて変身しちまったが、だいぶ俺の中の狼も自在に扱えるようになってきたしな。これからは思う存分、好きなように暴れさせてもらうぜ」


 そして、またすぐに顔を人間に戻すと、そう嘯きながらおもむろに立ち上がる。


「さて、んじゃあ、何から何まで面倒かけてすまねえが、もののついでだと思ってアンヌの墓守も頼むわ。さすがに迷惑かかるだろし、俺はもう行くぜ」


「待て! はなむけにもう一つ忠告じゃ」


 さらには別れの言葉を口にすると、ほんとにさっさと歩き出すリュカの背を、ジョルディーヌの凛とした声が呼び止めた。


「我ら魔女の根幹をなす信条は〝汝の意志するところのものをなせ〟じゃ。だから、そなたの行いを止めはせん。だが、すべての行いは三倍になって己に返ってくる……そのことを深く心に刻んでおくがよい」


「つーことは、つまり三倍の野郎どもがケンカ売ってくるってことだろう? 上等じゃねえか。むしろ望むところだぜ……さて、まずは腹ごしらえだ。この落とし前の分はきっちりいただくとするぜ……」


 だが、ジョルディーヌの忠告に凶悪な笑みを口元に浮かべると、リュカはそんな言葉を残して魔女のもとを去った……。




「――人狼ルー・ガルーだあっ! リュカが戻ってきたぞぉーっ!」


「キャアァァァーっ! 神さまーっ!」


 教会での惨劇の翌日、人狼の姿となったリュカは再びサンマルジュ村に現れた。


「…ガルル……森には使い魔・・・をいろいろ放ってあるって言ってたし、うっかり食っちまっちゃあジョルディーヌに申し訳ねえからな……」


 逃げ惑う豚に素早く喰らいついて捕らえると、リュカは誰に言うとでもなく、そう独りごちる……食料を得るために、豚を飼っている村の牧場を襲ったのだ。


 と言っても、今のリュカは半分人間のため、完全な狼だった頃とは食事の好みがだいぶ異なる。もう生肉を食べるようなことはなく、捕えてから後で焼いて食べるつもりだ。


「く、食い殺されるぞーっ!」


「村はもうダメだあ! 早く逃げろーっ!」


 だが、鋭い爪の生えた毛むくじゃらの手で絶命した豚を掴み、牙の並んだ口から真っ赤な血を垂らすその姿を目にすると、村人達は自分も食べられるに違いないと一目散に逃げ出しはじめる。


「ケッ! 誰が人なんて食うかよ、気色悪ぃ……ま、邪魔しねっていうんならかまわねえ。家畜はもちろん、村の食いもんは全部俺がいただいてくとするぜ」


 そんな逃げ惑う人々を愉しげに眺めながら、続いてリュカは村の食糧庫の方へと向かった。


 村人達は教会での惨劇を目の当たりにしているし、勇敢だった者はその惨劇ですでに全員命を落としている……最早、彼に立ち向かおうなどいう命知らずは誰もいない。


 その後、リュカが頻繁に食糧を奪いに来るようになったサンマルジュ村が捨てられるまでに、さほどの時間はかからなかった……。




「――人狼だあ〜っ! 人狼が出たぞ〜っ!」


「女子供は家に隠れろ〜! 男どもは家畜を守れ〜っ!」


 牧場に現れた恐ろしげな人狼を目にすると、この村の住民達も蜂の巣を突いたような大騒ぎとなる……。


 またしばらくの後、放棄されたサンマルジュ村の食糧を喰い尽くしたリュカは、ねぐらにしている森に隣接した周辺の村々も襲うようになった。


「ハン! いい度胸だ。腹ごなしに付き合ってやらあ。かかってきな」


「う、うわあああーっ! …うぎゃっ…!」


 他の村々では自分達の食糧を守るため、鎌や鍬を手に立ち向かってゆく者もまだ見られたが、当然、一瞬にして鋭い爪の餌食となる。


 それでも、怒りに任せた教会の時のようにあえて命までは取ろうとしないため、死ぬほどの重傷を負わないのがせめてもの救いというものだろう。


 とはいえ、その獰猛さと何者も寄せつけぬ人外の強さから次第に歯向かう者もいなくなり、近隣の村々に住む人々はただただ人狼の襲撃を恐れて暮らすようになった……。




 無論、そのような怪物を野放しにしていては日々の暮らしも成り立たぬため、何度か同士を募ったり、専業の猟師に依頼するなどして討伐隊が派遣されてるようなこともあった。


「――あ、現れたぞ! う、撃てえっ!」


 ……パン! ……パン…!


 当然、彼らは一般の村人達とは異なり、弓矢や鉄砲で武装するとリュカの出現しそうな場所で待ち構え、まんまと現れた彼に四方八方から一斉に攻撃を仕掛ける……。


「は、外しただと…はぐあっ!」


「だ、ダメだ! 速すぎる…うぎゃああっ!」


 が、プロの猟師の腕をもってしても、その狼そのものといえる感の良さと俊敏な動きを捉えることはできず、彼を狩ろうとした者達は逆に全員、無惨にも血祭りにあげられた……場当たり的に歯向かう村人達には手加減をしても、明らかに悪意を以って向かってくる敵に対して彼は容赦しないのだ。


「フン。てめらが罠張ってんのはまるわかりなんだよ。火薬の臭いがプンプンすらあ……」


 加えて、イヌ科の超絶的な嗅覚が人間達の奇襲攻撃も難しくし、派遣された討伐隊はその都度、なんの成果も残せぬままあえなく壊滅した。


 村を出発する度に二度と戻らぬ討伐隊……その事実がなおいっそう、近隣に暮らす住民達を恐怖のどん底へと突き落とす。


 いつ、どこに現れるとも知れぬ神出鬼没の狼人間……その存在は、この地に生きるすべての人々の心に恐怖と不安に彩られた暗く重苦しい空気を蔓延させる。


 そんな恐ろしい人狼の正体がもとはリュカという一介の農夫の若者であったという話は、逃げたサンマルジュ村の住民達によって広く各村々に伝えられたが、最早、彼を人として見る者は誰もいなかった。


 やがて、その人狼の噂は恐怖とともにフランクル王国全土へと拡がり、世間では人間であった頃の名前よりも、この地方の名をとって〝ジュオーディンの怪物〟と呼び習わされるようになる……。

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