Ⅶ 悲劇のち惨劇(1)

「――ハァ……ハァ……」


 人間の姿に戻ったリュカは、早速、ジョルディーヌの小屋を出ると、そのまま村の教会へと走った。


 半月ほど四本足で生活していたので、二本足で走るのはなんだか変な感じだ……それに、今まではどこまでも楽々走れていたのにどうにも息切れがひどい……。


「…ハァ……ハァ……人の体ってこんなに走りづらかったか……」


 こうなると、やっぱり狼の姿のままの方がよかったんじゃないかとついつい思ってしまったりもする……。


 だが、狼の姿のままでは本末転倒だ。人間に戻れていなければ、アンヌと一緒に暮らすことはおろか、こうして迎えに行くこともできなかったのだ……ジョルディーヌに言われたように、怒りで我を忘れないように注意しなければ……。


「…ハァ……ハァ……クソっ! 待ってろよ、アンヌ!……ハァ……ハァ……今、行くからな!」


 その狼よりも走りづらい人間の体で、荒い息を吐きながらリュカは森の中をひた走った。


 今ではすっかり見慣れた森の獣道を抜け、さらに村の一本道をリュカはひたすらに走ってゆく……。


 この道を走りながら見る村の景色には、なんだか妙に既視感デジャヴュを感じる……そういえば、いつもこの道を全力で走っているような気がする……。


「……ハァ……ハァ……ようやく着いたぜ……」


 走りづらい二足歩行の人間の姿でも、そうこうする内にリュカは教会へ着いていた。


「……ん? ……また祭か?」


 だが、すでに夜も更けてきているにも関わらず、なぜか教会の窓からは煌々と明かりが漏れている……今夜もプロフェシア教の祭があるのだろうか?


 こっそり忍び込んでアンヌを連れ出すつもりだったが、予想外に大勢の村人がいるのかもしれない……ここからは気づかれぬよう静かに近づかねば……。


 走る足を止めると、リュカは怪訝に思いながら、上がった息もなんとか押し殺してゆっくり教会の建物へ近づいていった。


 足音を立てぬよう細心の注意を払いつつ、入口の扉へ張り付いたリュカはその隙間からこっそり中を覗う。


「――全知全能なる神よ、その限りなき御慈悲をもちて永遠なる福楽へと至らしめんがため…」


 すると、中では村人達が頭を垂れて整然と並び、祭服に着替えたジャンポール神父が祭壇の前で何やら祈祷文を唱えている。


 また、祈りを捧げる神父の向こう側には、白木でできた棺桶のようなものも確認することができた。


 ……なんだ? 誰かの葬式か? 死にそうな年寄りなんて誰かいたかな?


 その葬式の主が誰なのか? リュカはそれを知ろうとさらに目と耳に意識を集中させる。


「願わくば神の御許へ召され、天の故郷へと帰り行くこのしもべ、聖女アンヌ・・・の魂を御国に受け取りたまいて…」


 …………なに?


 その瞬間、リュカは自分の耳を疑った。


 ……アンヌ……だと?


 だが、確かに今、神父はアンヌと言った。


 次に、もしかしたら同名の別人ではないかと思い込もうとしたが、リュカの知る限り、この村には妹以外、その名前の人間はいないはずだ。


「アンヌっ!?」


 気が付くと、そこに居並ぶ村人達に見つかることも気にせず、リュカは扉を乱暴に開けて、教会の中へと押し入っていた。


「りゅ、リュカ!」


「お、おまえ、帰ってたのか!?」


 無論、リュカが狼として、一度、村に戻っていたことを知る者は誰もいない……彼を見て驚く村人達も無視し、リュカはズカズカと一直線に祭壇前の棺桶を目指す。


「リュカ、おまえ、人間に戻れたのか……?」


「うるせえ! どけ!」


 そして、やはり唖然と目を見開いている神父も押し退けると、祈るような気持ちで棺桶の中を覗き込んだ。


「……!」


 そこには、棺いっぱいの白い百合の花に囲まれ、大変安らかな微笑を湛えて眠るアンヌの姿があった。

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