Le Loup-garou Tres Triste ~悲しみの人狼~

平中なごん

Ⅰ 村のはみ出し者 (1)

 聖暦1580年第中頃。フランクル王国ジュオーディン地方サンマルジュ村……。


「――うっぷ……ったく。こんなにあんだったら、もったいぶらずに俺達に振舞えってんだ……」


 この国の田舎にならどこにでもあるような、なんの変哲もないひなびた村の中心に建つ小さなプロフェシア教の教会……その脇に隣接する石造りの蔵から、手の甲で口元に残る赤ワインを拭って若い男が出てくる。


 やはり珍しくもない粗末なベージュのシュミーズ(※シャツ)に茶のオー・ド・ショース(※半ズボン)という貧しい平民の身形みなりだが、短い黒髪を逆立て、獣のように鋭い目つきにニヒルな笑みを口元に浮かべるという人相の悪いこの青年――村に住む農夫のリュカである。


 彼はその粗暴な性格と素行の悪さから、村内でも悪名高い鼻つまみ者であり、ちょうど今も教会の蔵に忍び込むと、祭儀に使うためのワインを盗み飲んで来たばかりだったりする。


「…モゴモゴ……あそこはツマミ・・・もあるから最高だな。神様さまさまだぜ……」


「こらっ! リュカっ!」


 ワインと一緒に蔵から頂戴したソーセージやハムの残りを歩きながら頬張り、たいそう上機嫌のリュカであったが、その時、彼の背後で雷を落としたような大声がした。


「…ひっ! ……い、いやあ、神父さま、ご機嫌よろしく……」


 その声にビクリと長身の体を硬直させたリュカは、取って付けたような作り笑いを浮かべると、調子よく振り返って挨拶をする。


「フン! なにがご機嫌よろしくじゃ。おまえ、またワインを盗み飲んでたんじゃろう!?」


 振り返ると、そこには坊主頭に白い顎鬚を蓄え、聖職者の黒い平服を着た初老の男性が鬼のような顔をして仁王立ちしている……この村の司祭ジャンポール・ポトフェールである。


「ま、まさか、俺がそんな罰当たりなことするわけないじゃないっすかあ……へへへへ…」


 そのしかめっ面通りに厳格で信仰心篤い古風な神父に咎められ、図星のリュカはなおも調子よく笑って誤魔化そうとする。


「嘘を吐け。口元にワインが付いておるわ!」


「えっ!? ジュルっ……」


 神父のその言葉に慌てて口元を拭うリュカだったが……。


「やはりか……ハァ……いい加減、その粗暴な行いを改めろ。いつまでもおまえがそんな調子では、アンヌが心配じゃわい」


 どうやらそれはカマをかけたものだったらしく、うまいことハマったリュカに大きな溜息を吐くと、心底呆れた顔をして神父は苦言を呈した。


「……あ、そうだ! そのアンヌのことなんだけどよう。最近また調子が悪ぃんだ。聞いた話だと、〝魔導書〟の魔術を使やあ、どんな重い病も治せるっていうじゃねえか。いくら御禁制でも神父さんなら使えんだろ? なあ、頼むからアンヌの病を治してやってくれよお」


 だが、リュカはその小言も耳には入らない様子で、今働いた自分の悪事も棚に上げると、思い出したかのようにそんな頼み事をする。


 アンヌとは、今年で十二になる歳の離れた幼い彼の妹のことだ。彼女が生まれてから間もなくして両親が流行り病で亡くなったため、それ以降は兄のリュカが親代わりに育てている。


 だが、生まれつきアンヌは体が弱く、さらに近頃は肺病まで患うと、ずっと寝たり起きたりの生活を続けているのだ。


 粗暴で素行の悪いリュカではあるが、そこは血の繋がった兄妹。唯一の肉親である彼女を元気にしてやることが、今では彼の一番の願いとなっているのである。


「あのなあ、リュカ。アンヌを治してやりたいのはやまやまじゃが、それは無理な相談というものじゃ。いくら司祭であっても、わしは〝魔法修士〟ではない。それに魔法修士とて、許可もなく勝手に魔導書を用いてはならぬのが世の決まりじゃ」


 しかし、リュカのその頼みに対してジャンポール神父は、なんというもの知らずかというような口調で説教をする。


魔導書……それは森羅万象に宿り、この世界に影響を与えている悪魔(※精霊)を召喚して使役するための方法が書かれた魔術の書である。


 プロフェシア教会やそれを国教とするエウロパ世界の国々は、「悪魔の力に頼る危険で邪悪な書物」として魔導書を禁書とし、その所持・使用を原則禁止にしていたが、魔導書を専門に研究する修道士――〝魔法修士〟と呼ばれる聖職者のように、教会や各国王権の許可を得た者は例外的にそれが認められていた。


 つまりは表向き禁書として庶民にその利用を厳しく制限する一方、特権階級のみがその絶大な力を独占し、自らの支配体制を確固たるものにしようというのが、その真の理由なのである。


 だが、真面目な者であればあるほど、信仰心が篤ければ篤いほど、そんな支配層のたくらみには目を向けず、盲目にその禁書政策のお題目を信じて疑うことがない。


 かくいうジャンポール神父や、この田舎の村に住む純朴な農民達も御多聞に漏れずである。


「そもそも、わしは当然のことながら魔導書を持ってはおらんしな。それに、特例として魔導書を使って病を治してもらえるのは、ありがたい徳を積まれた高位の聖職者か、教会のために多額の寄付をしてくださっている王侯貴族の皆さまだけじゃ。白死病・・・のような恐ろしい流行り病ならば話は別じゃが、下々の者が自分の勝手で魔導書を使おうなど許されようはずもない」


「チッ…所詮は金か。それじゃあ高え金だけ取るヤブ医者と代わりねえじゃねえか。なにが神に仕える者だよ。ただの強欲な金の亡者だな」


 ところが他の村人達とは異なり、神父の説明を聞いリュカは、歯に衣着せぬ言葉で素直にその欺瞞を批判する。


「これ! なんと罰当たりな! 口を控えよ、リュカ。そんな態度だから、神もアンヌの病を治してくださらぬのじゃ」


「ケッ! んな救ってもくれねえ神様なんか、こっちから願い下げだぜ。アンヌの病を治してくれるなら、俺は悪魔にでもなんにでも宗旨変えするね」


 当然、神をも畏れぬその発言に声を荒げる神父だったが、対してリュカは反省するどころか、重ねて背信的ながらも率直な意見をその口にするのだった。


「またそのように悪魔崇拝者のようなことを! ハァ……神よ、この無知なる若者の罪をお許したまえ……ああ、そうじゃ。おまえ、くれぐれも森に棲む魔女・・になど頼ろうと思うなよ? もしそのようなことをしたら、それこそ本当に異端者としておまえを罰せねばならなくなるかならな」


 ますます顔を真っ赤にする神父ではあるが、何を言っても無駄と諦めたのか、大きな溜息を吐くと手を組んで天に祈りを捧げ、いたく真剣な顔つきになって思い出したかのようにそう忠告を与える。


「魔女? ああ、あの村から追われて森に逃げ込んだとかいう婆さんか……」


 森の魔女――それはまだリュカが幼い頃、村の端に小屋を構えると薬草を使って医者の真似事をしたり、占いやマジナイのようなことをして暮らしていた流れ者の女性である。


 その異教的な振る舞いから悪魔崇拝者の疑いをかけられ、異端審判士に捕縛されそうになったところ、村に隣接する森の奥深くに逃げ込んだのだそうな。


 まだ幼かったのでその辺のことはよく知らないし、リュカ自身は見たことないのであるが、今でも森の奥深くに住んでいて、近隣はもちろん遠方からも密かに薬草を買い求めに行く者もいるとかいう噂だ。


「さあて、どうしようかねえ……教会が助けてくれねえんなら、魔女に頼むってのも手だからな。ま、俺がそんなことしねえよう、アンヌの病気を治してくれとせいぜい神様に見祈っておくんだな」


「コラっ! おまえというやつはまったく!」


 さすがのリュカでも、異端者・・・の烙印を押された者の末路がいかに恐ろしいものであるのかはよく存じている……本気でそう思っているわけでもなかったが、そんな返事を冗談交じりに言い残すと、神父の怒号に見送られながら、昼下がりの長閑な教会を後にしていった――。

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