13


 夢を見ていた。ずっと、ずっと昔の。

 

「そこのボウズ、いったい何をそんなに怒ってんだ」

 それは黄昏時。ヴィルがポケットに忍ばせたナイフの重みを感じながら〈桜魔ヶ刻〉の裏口を路地の角でじっと見つめていた時だった。

「……は?」

 とっさに振り向けば、女の人が立っていた。

 背中と腰にそれぞれ掛けた柄入りの鞘が特異なシルエットとして写った。そして顔を見て、異国の人だと一目で分かる深い黒髪と仄かな光を灯す黒の瞳に驚いた。

 女の人は音も無くゆっくりとこちらに歩いてくる。

「自分? 世界? それとも全部? ただ腹空かしてるだけか?」

 澄んだ湖の花を思わせるかそけき雰囲気で。

 けれど相反するような歪んだ笑みと男のような口調。

 不思議な人だった。

「……別に怒ってない」

「怒ってないならアレか。やっぱ腹空いてるから切る肉を求めてるんだな」

 ヴィルは絶句した。

 ……この人、ナイフの存在に気づいてる。

「あんた、何者なんだよ」

 焦りを気取られないように、ポケットに忍ばせたナイフの柄をギュッと握る。

「あっはは。人に素性を聞く時はまず自分からって教わらなかったのか?」

 女の人は皮肉に笑うが、あいにくそんなノリについていける気分では無かった。

 

 ――その日、ずっと一緒に暮らしてきた弟分の二人が忽然と姿を消した。

 丸一日かけて街中探し回ったけれど、結局見つからなかった。

 まだ言葉を覚えている最中の幼い二人。

 きっと、大人たちに連れて行かれてしまったのだ。

『お腹空いてるでしょう?』

『孤児院に行けば同じような子たちが沢山いるよ』

 ギルド職員とかいう汚れのない笑みを浮かべた奴らの言葉を思い出し、歯噛みする。

 確かに腹が満たされることはなかったけれど、仲間がいたから不満じゃなかった。

 けれど、ここにはもう誰もいない。

 全部、あの領主が連れて行ったからだ。


 ――【大侵蝕】後、着任した新領主は領の再建を図るべく、様々な改革に乗り出した。

『領内ギルド化計画』を始めとして、チャントバードとの感覚共有を用いた監視システムやギルド内での依頼達成効率向上を煽るランキング制度など、多岐に渡った。

 スラム救済事業もそのうちの一つであった。

 大人たちには再興区画に建てられた宿が解放され、子どもたちはガルジャナ山のマグノリア孤児院で保護される事となった。

〈黒の侵蝕〉に飲まれた地区は領民の声を聞き届けてそのままに、それ以外を畑や農場に変えていった。スラムからは人が消えていき、残った地区は棄民街ネクロポリスとなった。

 その間わずか数ヶ月。そら恐ろしいまでの手腕に多くの人が喝采したが、十二歳のヴィルには物心ついたときから育ってきた場所が破壊されていくようにしか思えなかった。

 無力感と絶望に苛まれ、ヴィルは精神的に追い込まれていった。

 極限まで追い詰められた人は、時に荒唐無稽な行動を取る。

『復讐として領主を殺害しようとした』のも、その内だった。


「教わってないし、怪しい格好と胡散臭い口調してる人に素性を明かしたくない。消えてくれ」

 誰とも話したくなかった。一人でいたかった。

 吐き捨てるようにそう言うと、女の人の瞳に灯っていた光が消えた。

 片足が動くのを見てそのままどこかへ行ってくれるものと安堵した次の瞬間、一足跳びで目の前にしゃがみこんできた。

 あろうことかヴィルの両頬をむんずと掴み、顔だけを正対させる。

「なんっ――」

「絶対ヤダ♪」

「は……」

「君の言う『胡散臭い口調』はやめたよ。けど、これは仕事着みたいなものだから変えられない。だからこれでどう? 少年の名前、教えて欲しいな」

 真正面で至近距離から見つめさせられて困惑するヴィルに、女の人は先ほどと明らかに種類の違う、華やかな笑みを浮かべた。

「……ヴィル」

 気づけば、そう答えていた。

「ヴィル、ヴィル……うん、いい名前。ファミリーネームは?」

「そんなもの、捨て子にはないよ。ヴィルって名前も誰につけてもらったのか知らないし」

「そっか」

 女の人はヴィルの頬から両手を離した。けれどどこかにいく様子もない。気まずくて、ただ会話を繋げるために言葉を投げかける。

「結局、あんたの名前はなんて言うんだよ」

「あ、名乗ってなかったね。私はシオン。シオン・ガルベリアスだよ。しがない冒険者で今は依頼を遂行中です」

 そう言って敬礼のポーズをとってみせるシオンに、ヴィルは眉をひそめた。

「ガルベリアス……? って前領主の名前じゃないか。――まさか」

「そのまさかだよ。今の私は元ガルベリアス領主夫人にして現冒険者ってわけ」

「な……」

 今日何度目の絶句かもわからないけれど、これが一番大きいのは確実だった。

 前領主は【大侵蝕】で亡くなっている。〈黒の侵蝕〉に飲まれたわけではないと風の噂で聞いたけれど、もう会えないなら同じことだ。

 領主というのはつまりその領土で一番偉い人で、夫人は二番目に偉い人と言える。

 そんな人が目の前でなんでもないような笑みを浮かべて立っているのだ。

 ――なんでもないわけがないのに。

 その発言と立ち姿の裏にどれほどの事があったのか、子どもながら想像を絶することだけはわかる。

 そして子どもは疑問を持ち、それを尋ねずにはいられない生き物だ。

「なんでそんな人が冒険者なんてやってるんだ?」

 日が落ちる。

 空に、街に、自分たちに影が差す。

 後に幾度もヴィルの心胆を寒からしめさせる凄絶な笑みを浮かべ、

「世界に復讐するためだよ。君もどう?」

「どうって……どういうことだよ」

 眉根を寄せるヴィルに、シオンは笑みのままに手を差し出す。

 

「少年、私の弟子にならない?」


 後に風の王となる少年が、花の魔女に見出された瞬間だった。

 

 ◇


 目が覚めると部屋は夕焼けの橙に染まっていた。

 身体を起こして窓の外を見てみれば、既に日暮れが近づいている。

「だいぶ寝たな……」

 寝過ぎた時の頭痛をしっかりと感じながらベッドを抜け出て、身体を伸ばしながら部屋を見回す。

「流石にシャリゼも起きてるか」

 シャリゼを放り込んだソファには乱れた毛布と人の寝転がった跡が残っていた。

 ……と、一枚の紙。

 拾い上げてみれば、何か走り書きのようなものがされていた。

『運搬に感謝。今度飯奢れ――シャリゼ・エデン』

「……僕が奢るのかよ」

 誰も聞いていないのに思わずツッコミが出てしまった。

 まあ、シャリゼのおかげで助かったんだし、妥当っちゃ妥当……なのか?

 よく見てみれば、下の方にもう一文あった。

『ギルドで待ってます――ヒイロ・ガルベリアス』

「…………」

 僕は何も言わず、紙を握りつぶしてゴミ箱に放り投げた。

 放られた紙くずが見事な曲線を描いてゴミ箱へ収まるのを横目に、ベッドの傍に立てかけていた杖を取る。

 目を瞑り、一度大きく深呼吸をして、目を開ける。

「――――行くか」


 ギルドは未だかつてない慌ただしさだった。

 人の出入りは年末や建国記念日もかくやというほど激しく、活気に満ちている。

 そう――

 焦燥で騒ぎ立てている人は誰もいない。明るい混沌とでもいうべき光景だった。

 状況の読めない僕がロビーの端っこで立ち尽くしていると、僕の存在に気づいた一人が声を上げた。

「おぉっキング! やっと来たか! おーい、キングが来たぞー!」

 それが呼び水となって、慌ただしく動いていた周囲の面々も口々に声をかけてくる。

「おせーよ! すっぽかしたのかと思ったぞ!」「っぱキングってすっげんだな!」「アンタがいなきゃ始まらないよ!」「おい、そっち側! もう音頭取らせる準備しろ!」

 激励のつもりかわからないが、みんな好き勝手に僕の肩や背中をバシバシ叩いていく。おかげで人の波に乗せられてどんどん中の方へ入っていく。おい今頭ハタいたやつ誰だ。

 食堂の方まで流れてしまうと戻るのが大変なのでその場で踏んじばり、なんとか食堂入り口の横まではけたところでその辺の人に声をかける。

「悪い、さっきまで寝てたから状況がよく分からないんだけど……みんな、なんでこんなに騒いでるんだ?」

「なぁにトボけてんだよキング! 五千万イェル争奪戦の仕掛け人だろ?」

「は……五千万イェル争奪戦……?」

 とてつもない額の単語に思いっきり顔が歪むのがわかった。

 誰だそんなことを言い出した輩は――、

「おいおい、領の東端で〈泥被り〉大量発生の兆候を掴んだのはヴィル公だろ?」

 と、僕が探すより先に、不敵な笑みを浮かべた赤髪が人混みをかき分けて現れた。

 顔色、立ち姿、声の感じから特に変わりはないらしい。

 シャリゼがいつも通りなことを確認しつつ、僕は素直に浮かんだ問いを返す。

「〈泥被り〉大量発生の兆候?」

「おう。その報告を受けて、アタシらは戦える奴ら総出で受けてたとうって話になったのさ。そうだよな、みんな?」

 シャリゼが首だけを巡らせ周囲に意見を求めると、おうとかやったるぜとか血の気の多い返答が口々に湧き上がる。

 けれど僕は全く意味がわからない。

 怪訝な顔つきでシャリゼを見つめていると、シャリゼは「しゃあねえなぁ」と言いつつ大股で僕の元まで寄ってきて肩を組んでくる。僕は小声で話す。

「……なんなんだよ、この五千万イェル争奪戦って」

「ルールは簡単、カヴァス一匹を倒す毎に二万五千イェルの報酬が出る。早い者勝ちで数に制限もなし。レートぶっ壊れてる上に超簡単だろ? 参加しない手はないぜ」

「別に概要を聞いてるんじゃない! なんでそんな事になってるのかを聞きたいんだ!」

「決まってんだろ。領民を怖がらせず、真実を伝えずに、けど〈泥被り〉の対処にはモチベを出してもらう夢のような策がこれなんだよ。―― ヴィル公、三週間前に出た〈黒の侵蝕〉の事、パーティのメンツ以外には言ってないんだろ?」

「当たり前だろ。余計な混乱を起こしてどうする」

「今回だって同じさ。シオン嬢のことはヴィル公が〈黒の侵蝕〉を直接消しに行くってことで伏せてあるんだ。その方がいいだろ、ヴィル公がケリをつけるためにも」

「…………」

「わかったらこの話は終わり。今から話合わせろよ」

 シャリゼが肩を放し、僕を軽く突き飛ばして大仰に両手を広げる。

「これでわかったか? お寝坊さん」

 僕は一つ咳払いをして、状況整理も兼ねて言葉を紡ぐ。

「ああ、僕が報告だけして休んでる間にシャリゼがこの話を決めたってことだな」

「いんや? アタシがやったのは報奨金五千万イェルの提供だけさ」

「五千万イェルってそんな大金どこに持ってたん――いや、待てよ。まさかお前……不滅石リライト手放したのか⁉︎」

 掴みかかる勢いで再度近寄って問い詰めると、シャリゼは片頬だけで笑う。

「フィオルブ公には好き勝手やらせてもらう約束取り付けられたし、いーってことよ」

「……本当に? 何年も不滅石で武器の鍛造をしたがってたあのシャリゼが?」

 僕が問いかけると、シャリゼは観念したというように肩をすくめる。

「本音を言うと、どこぞの可愛いお弟子さんに頼まれたんだ」

 その時、食堂の入り口から真っ白な頭が覗き、声をかけられる。

「壇上準備できましたー! ししょーはどこですか――っていた!」

 ヒイロが白い髪を揺らしながらとてとてと近づいてくる。

「準備できてますから、早くこっち来てください!」

「えっちょっとまっ――!」

 手を取られるまま食堂へ入れば、机と椅子のほとんどが端へ片されて、ちょっとした大広間になっていた。真ん中には組み合わせた机にシートを敷いた即席のひな壇がある。

「……まさかあれに登れって言うのか?」

「モチのロンです! みんなのモチベーションが上がるような演説をしてもらいます!」

「嘘だろ? 誰だそんな悪魔的なこと考えたの。メリーさんか?」

「メリーさんだけじゃないですよ。りょーしゅさまやヒューゴさん、わたしも一緒になってししょーをヨイショしつつ、みんなが参加してくれる方法を考えました!」

「ヨイショされなくていいんだよなぁ……しかもヨイショされた結果が演説て……」

 さらに今の発言通りならみんなのモチベーションが上がるかどうかは僕の演説にかかっていることになる。荷が重い。

 いきなり押し付けられた重責にキリキリと痛み出す胃を押さえていると、ヒイロが思い出したように声を上げた。

「あっ、わたしも参加しますから! 何言われたって引きませんよ!」

「……どうしてもか」

「どうしてもです!」

 言って、ヒイロが僕の手を取った。今度は優しく、包み込むようにキュッと。

 微笑みと共に、まっすぐ告げる。

「あなたの大切な人は一番手柄を上げて帰って来ますから、だから……楽しみに帰りを待っててください」

「……ああ、楽しみにしてるよ」

 僕の返事に、ヒイロは満面の笑みを浮かべて白い髪を揺らした。

 そうして手を繋いだまま、壇上へ向かう。

 途中、『熱いなぁ……』『甘いねぇ……』というヤジ馬のささやき声が《風》に乗って届いたけれど、きっと気のせいだろう。


 ◇


 ヴィルがギルドへ来たのは本当にギリギリの時間で、ヒイロはすぐさまヴィルを壇上に立たせた。

 演説内容の大まかな台本を渡そうとしたけれど、大丈夫と断られてしまった。

(ししょーの性格的に演説が得意とも思えないんだけど……)

 不安になるヒイロを余所にヴィルは聴衆の前に立ち、手のひらに収まるほどの魔音石エコーズを右手に取る。

『あー、聞こえますか?』

 魔音石エコーズを介した音は洞窟の中で発しているような独特な効果を持つ代わりに、遠くまではっきりと届けてくれる。

 聴衆は広間となった食堂にギッシリと詰め込まれ、なお入り切らない人たちが外に溢れ出ていた。その数、数百はくだらないだろう。

〈桜魔ヶ刻〉所属の冒険者で戦闘技能を持っているのは五百人強。その半分以上、あるいはほとんどがこの場に集結している事になる。

 肉体を磨き上げてきた屈強な荒くれ者、あるいは力を研鑽してきた魔法使いが己の得物を携え、一言も喋らずヴィルに注視していた。

 ヴィルは小さく息をはいて、喋り出す。

『今、すぐそこまで大量の〈泥被り〉が迫ってる。規模だけで言えば九年前に僕たちを襲った【大侵蝕】にも匹敵するほどだ』

 淡々と告げられる事実に、聴衆の間でわずかな動揺が走る。

『けど、希望もある。〈黒の侵蝕〉はここ数年で減少の一途を辿っているんだ。この半年に限っては今日この日まで一度も観測報告がされていない』

 そこで一拍。ヴィルははっきりと告げる。

『おそらく――いや、断言する。これを収めれば〈黒の侵蝕〉は二度と発生しない』

 今度こそ聴衆のどよめきは確かなものとなった。

「二度と……?」「ほ、本当かい?」「とんでもねえ……」

 だんだんと波紋が大きくなっていくが、次の一声で黙らせる。

『今日この日! 僕たちは歴史に残る偉業を成し遂げる! この国を、僕たちを変えた、変わらざるを得なくさせた大災害に自ら終止符を打てる。……もちろんそんな事に興味がない人もいると思う。荒稼ぎができるから、ただ誘われたから、そんな理由でここにいる人もいるはずだ。だからまあ、ややこしいことは言わない』

 次の瞬間、ヴィルは背に掛けていた杖を左手で抜き取り、床に打ち付ける。

 ガツンッと音が鳴り、激しい風が聴衆の間を吹き抜けた。

 ヴィルは不敵な笑みを浮かべ、挑戦的に言いつける。

『やるぞ、てめえら。――宴の時間ショーダウンだ』

 その言葉、口調、声、姿に聴衆は心の底から震えた。

 それは恐怖や怯えではなく、歓喜や武者震いの。

 何故あの青年が最強なのか、理屈で理解するのではなく本能で納得させられる。

 ――英雄性の《イデア》。

 袖から横顔を見ていたヒイロも、自分の身体が奥底から震えるのを感じていた。

 その在り方に、と思ってしまう。

 何度見ても変わらない。

 老若男女も、きっと関係ない。

 そりゃそうだ。人はいつだって英雄を求心する。

 満潮のような興奮が限界ギリギリまで達した所で、ヴィルは締めの言葉を放った。

『自重することはねえ。命尽きるまで踊り明かせ』

 ――――、――――、――――!

 幾百もの声が湧き上がる。

 空間がビリビリと震え上がるほどの大声量に、ヴィルは苦笑しつつ降壇した。

 そのまま外へ向かったヴィルの元へ、ヒイロは跡を追う。

 すでに浮かび上がっていたヴィルに下から声をかける。

「ししょーっ!」

 杖に足をかけた状態で、ヴィルが下を向く。

「戻って来てください。必ず」

 興奮冷めやらぬ中、ヒイロは本心それだけを口にした。

 瞳に魔力光を宿し、ヴィルはあどけない少年のように笑う。

「約束する。そっちこそな」

 無言で頷く。

 ヴィルは手を振って、空を駆けていった。

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