8



 時刻は正午を少し過ぎたころ。

 けれど、〈桜魔ヶ刻トパゾライト・ブロッサム〉の大食堂エールハウスは昼夜問わず人々の声が響き渡っている。

 笑い声や怒鳴り声、ところにより困惑の絶叫。

 そのいずれもが酒杯を掲げ、料理を囲んで交わされている。

 そしてそれは僕たちの席も同様なのだけれど、

「なあ、なんでここなんだ」

「なんでって、アタシがここで食べたいからだけど」

 ダメだ、まるで気づいてくれていない。

 首をかしげるシャリゼの奥、酒杯を片手にこちらを見てくる奴らの声が《風》で聞こえてくる。

『おいおい、〈風の王〉が女二人侍らせてメシ喰ってんぞ』

『あの赤髪と白髪は誰だ』

『両方ともえらい上玉じゃねぇか』

『やべっこっち見た!』

 下手な魔獣の素材よりも希少であろう僕たちの食事シーンを肴に呑んでいる奴らを睥睨して視線と話題を逸らさせる。けど直ぐに別方から似たようなことを話す声が聞こえてくる。諦めて料理に舌鼓を打つことも考えたけど、やっぱり疑問が浮かび上がった。

「それにしたってこの量はどうしたんだよ。フードファイターでも目指し始めたのか?」

 僕の見つめる先、三人で囲むには少し大きいくらいのテーブルを繋げた卓上には魂叫根マンドラゴラのスープ煮や隣竜ネイザードのステーキ、付与式野菜エンチャンタブルの盛り合わせに黒烏賊ブラックスクイドの白スミパスタ、その他諸々の料理が所狭しと並んでいた。おまけにどれも山盛りだ。

「別にアタシが何頼んだっていいじゃねぇか。ここにはお前のメシを勝手にくすねるヤツもいないんだ。好きなだけ食えよ」

「好きなだけ食えって言われても、目覚めていきなりこんな所に連れてこられたから腹なんて減ってないぞ」

 ブン殴られたことは記憶にある。けどその後は綺麗さっぱり覚えていない。

 シャリゼ曰く気絶していたとのことだけど、目を覚ますと『メシいこうぜ! ボコっちまったお詫びに奢るからさ!』と、殴られた時と同じくらいの乱暴さでここに連れてこられた。そうして始まった豪華絢爛な昼餐会(ただし三人)。動じるなという方が難しい。

 まさか何か企んでいるのではと勘繰った瞬間、隣にいるヒイロが己の慎ましい胸をドンと叩く。

「だいじょーぶ! ししょーの食べきれない分はわたしが食べますから心配しないでください!」

「……そうか、そういえばヒイロがいたな」

 それは昨日の夜。

 僕たちは晩飯を取ろうと適当な屋台に入った。

 席に着くとヒイロがメニュー表を見ながら何処と無く物憂げな顔をして僕を見た。

『どれくらい食べていいんですか?』

 その問いで、人に奢られることに慣れていないのだなと誤解した(ココ重要)僕は心配させないように力強く答えた。

『好きなだけ食べればいい』

 二時間後。

『頼むっ、食材がもう尽きちまう! これ以上は勘弁してくれぇ!』

 屋台の店主に泣きつかれるその瞬間まで、ヒイロは一秒たりとも食べる行為を中断しなかった。僕の財布からは金が八割消えた。

「確かにヒイロなら残す心配は無いな。ところでここにあったパスタどこにやった?」

「え、わたしのお腹の中ですけど」

「何をさも当然のように答えてんだ今すぐ吐き出せ僕の分まで取るんじゃない!」

 満足そうにお腹を叩くヒイロの頬を摘んで伸ばす。

 むにぃぃと意外なほど伸びてこちらが驚かされるけど、ヒイロは動じる様子もない。

「まふぁふぁのふぇふぁいいふぁふぁいへふは(また頼めばいいじゃないですか)」

「こ、こいつマジで……」

 サラダの怪力葉ストレングスを口端に付けて胸を張るその姿に、怒る気も失せてしまう。

「沢山食べて、沢山強くなってくれよ」

 頬の怪力葉を取ってやってから立ち上がる。

 注文を受けるカウンターまでの距離が遠く、この喧騒の中では声が届かないのだ。

「腹が減ってはなんとやら、ししょーもいっしょに強くなりましょう!」

「そうだな。今度その言葉の意味を身を以て教えてやるからな」


 ◇


 空の大皿を持ってカウンターまで歩いていくヴィルの寂しい背中を見送ると、シャリゼとヒイロは顔を見合わせた。

「行ったな」

「行きましたね」

 ここまでは予定通り。

 そして、ヒイロはここへ来る直前に鍛冶屋で交わしたやり取りを反芻する。



 自分は何をすればいい。

 ヒイロが問うと、シャリゼは言った。

「ヴィル公に仲直りの席を設けてやるのさ」

「仲直り……?」

 首をかしげるヒイロを前に、シャリゼは芝居がかった口調と仕草で語り出す。

 そうして語られたのは、ある昔話だった。

 

 ――昔々、あるところに四人の冒険者がいました。

 彼らは〈花〉・〈風の子〉・〈霹靂〉・〈要塞〉と呼ばれていました。


 ――多くの依頼を次々にこなしてみせる八面六臂はちめんろっぴの活躍は瞬く間に広まりました。

 遂には『国難級の依頼を任せたい』と王都へ招聘しょうへいされることになりました。


 ――王都に発つ直前、彼らは最後の依頼に向かいました。

 準備のために〈霹靂〉と〈要塞〉は残り、〈花〉と〈風の子〉の二人です。


 ――けれど、依頼の帰りで二人は黒き災いに遭ってしまいました。

〈花〉は帰らぬ人となり、武器だけが遺品として残りました。


 ――その後、〈風の子〉は一人で冒険に出るようになりました。

〈霹靂〉と〈要塞〉のことも拒絶して、一人で依頼をこなし続けました。


 ――いつしか〈風の子〉は誰よりも強くなりました。けれど、代わりに笑わなくなり、孤独な〈風の王〉と呼ばれるようになりましたとさ。


 話を聞き終えたヒイロが呟く。

「そんなことが……でも、ししょーは」

 半ば呆然としながら思い出していたのは、師弟契約を結んだ時のヴィルの横顔だった。

 ――いないよ。五年前にどこか行ったきりで帰ってきてない。

 あの時、思いつめたような表情などはしていなかった。自分に余計な気を使わせまいという配慮なのか、それとも。

「ヴィル公がどうかは知らねぇが少なくとも向こう側……〈霹靂〉と〈要塞〉はヴィル公に謝りたいってずっと言ってる。できればもう一度やり直したい、とも」

 シャリゼの口から、遣る瀬無いその気持ちごと大きなため息が吐き出される。

「アタシはどっちの味方でもない。口出しできる立場じゃないからな。アイツらとパーティを組むのが嫌ってンなら嫌なままでいいと思ってる。けどな、それなら直接言えってのさ。……言える機会があるうちに」

 虚空をにらむ彼女もまた、ヴィルのことを思っている一人なのだろう。

 こんなにも思ってくれている人がいるのに、ヴィルは自分はひとりだと言う。

 ヒイロは己の手中にある剣を見下ろして、想像してみる。


 まだ幼さの残る顔立ちで、けれど並大抵を凌ぐ魔法で依頼を解決していく姿。

 仲間と笑い合い、切磋琢磨していた時間はとても楽しく充実していたことだろう。

 けれど最愛の師がいなくなったことで、突然の終わりを迎えて。

 失意の底で戦い続けて、孤独な王と成り果ててもなお進み続け――自分と出会った。


「……わたし、やるべきことがわかった気がします」

 でも、わからないことがひとつだけ。

「シャリゼさんはどうしてそこまでやってくれるんですか?」

「あん?」

 口出しできる立場じゃないから、と言っていた。

 それでもシャリゼはヴィルのために動こうとしている。

「どうしてってそりゃ……」

 シャリゼは気恥ずかしそうに髪をガシガシやっていたが、ヒイロのまっすぐな目を見ると、素っ気なく答える。

「ダチだからさ」

 

 

 改めて情報を整理する。

 至上命題は『ヴィルを〈霹靂〉と〈要塞〉の二人と引き合わせること』。

 シャリゼの言い方から察するに確執が生まれてからヴィルと彼らは一度も会っていないか、そうでなくてもまともに話していない。

 そういった事情を鑑みれば、当人たちだけでは解決し得ないほどに凝り固まった感情を崩すために第三者が介入することも有用な手段の一つだろう。

 でも、とヒイロは考える。

 果たして自分にその役が務まるのだろうか。

 孤独な王と揶揄される師匠の心を開かせる前に〈霹靂〉、〈要塞〉などという物々しい異名を持った人たちを相手にせねばならないという。

 ふとした懸念は靄のように心を覆い、筋骨隆々なTHE・荒くれ者といった出で立ちの冒険者たちに囲まれる場面を思い描き、身震いしてしまう。

(……ダメダメっ! こんな気持ちじゃできるものもできなくなっちゃう!)

 弱気な思考をした自分を心の中で叱咤して、頭を振ってリセットする。

「どうした。虫でもいたか?」

「いえ特には! ……それでこのあとはここに居ればいいんですよね?」

「〈霹靂〉が目ざとくアタシの存在に気づくヤツでな。ここにいるのは確認してっから少し目立つ行動でもしてやればすぐに気づくだろ」

「はあ、なるほど」

 目立つ行動って具体的に何をすれば良いんだろうと思いつつ、ひとまず食事を再開し始めると、ふいにシャリゼが問うてきた。

「そういえばヒイロ嬢ってヴィル公と会って結構経つ感じ?」

「? 昨日会ったばっかりですけど」

「ぶーーーーーーーーっ!!」

 何気なく答えただけなのに、突然シャリゼが目の前でエールを噴き出した。飛沫しぶきが陽光を反射してキラキラと輝きながら迫り来るが、ヒイロは皿ごと持って距離を取る。

「うわぁ汚ったな⁉︎ なんですか急に⁉︎」

「オッホェ……だって完全に夫婦めおと漫才まんざいしてるんだもんよ。てっきりアタシの知らないところでアイツ女でも作ったのかって思って」

「なんですか夫婦漫才って。もしかしてばかにしてます?」

「してない! むしろすげーとすら思ってる! アイツ普段はもっと静かでよそよそしいからな」

「え、そんなししょー想像できない……たまたま機嫌が悪かっただけじゃないですか?」

 ヒイロは何かの間違いだろうと思ったが、シャリゼはすっかり減った杯の中身を見下ろして首を振る。どうやら本当らしい。

「だとしたら四六時中ヘソ曲げてることになっちまう。そうじゃなくて本当に楽しそうなんだよ。あんな楽しげなの何年ぶりって感じだ」

「何年ぶりなんですか」

「五年以上ぶりだな。アイツの師匠――〈花〉がまだ健在だった頃は毎日のように大食堂ここでメシの奪い合いしてたよ。いっつも奪われっぱなしだった」

「想像できる……」

 若かりし頃の――と言っても今も若いが――おかずを取られてぷんすかと怒るヴィルの姿が思い浮かぶ。だが、その隣にいるはずの〈花〉の姿を思い描けないことに気づく。

「そういえばなんですけど、ししょーのししょーってどんな人だったんですか?」

「あー?」

 シャリゼはジョッキを傾ける手を止めてしばし考え込む。

 が、やがて諦めたように長い息を吐く。

「……わからん。どんなやつだったんだろな、アイツ」

「えぇ……それってどういう……? 気難しい人だったんですか?」

「いんや? メーローカイカツって感じでギルド職員にまで慕われてたぜ。強さに嫉妬こそすれ、アイツ自身を嫌ってるやつなんて一人もいなかったんじゃねーかな」

「へぇぇ……強さじゃなくて人となりに惹かれてたんですね」

「あたぼうよ。ヴィル公を見てみろ、強さだけで慕われんなら軽くハーレムで建国できちまう」

「それはないです。ししょーのこと好きな人がいるわけないので」

「はっは! それヴィル公には言ってやるなよ、ショックで寝込んじまう」

「言いませんよ。言う理由もないですし」

「……ま、確かにそうだな」

 シャリゼが頰杖をついて笑うその意図に、ヒイロはついぞ気づかなかった。

「そういえば、ししょーとししょーのししょーはどうやって知り合ったんですか?」

「あー、どうだったかな。天涯孤独だったヴィル公をアイツが拾ったみたいな話を聞いた気はする」

「へえ……」

 なんというか、意外だった。

 自分と同じ境遇だったとは、むしろ同じだから自分に何かを見出したのだろうか。

「気になんならイイ感じの雰囲気の時に直接聞いてみろよ。素面じゃ答えねーだろうし」

「わかりました。聞いてみます」

 素直に頷き、もうひとつの疑問を投げかける。

「ところでシャリゼさんはししょーたちとパーティを組んでなかったんですか? 一緒に暴れ回っても遜色なさそうな感じしますけど」

「ないね。だってアタシ冒険者登録してないし」

 言われてみれば、ヴィルに教えられた彼女の肩書きは元騎士で現鍛治師。

 冒険者とは一言も言っていなかった。

「まあ暇つぶしで勝手に付いていくことはあったケド」

「あったんですね……」

「それに言ってなかったがアタシは王都生まれでね。六年前、ヴィル公と魔女が王都に来た時に出会ってそれからここに来たのさ」

「えっ、王都からわざわざここまで?」

「王都暮らしに飽き飽きしてた中で出会って、こいつらと居れば飽きないって思ってね。事実、アイツらがいた頃は毎日がお祭り騒ぎだった」

 ヒイロの問いに答えながら、シャリゼはジョッキを片手に天井を仰ぎ見る。

 

 

 見上げた天井に吊り下がる魔光石は、バカ騒ぎをしていた頃と変わりがない。

 光に舞う埃も、周囲の喧騒も、舌にのる麦酒の味も、何ひとつ変わらない。

 変わったのは鋼鉄になった左腕と、疼痛を覚えるようになったこの心だけ。

 なんて、郷愁に駆られたシャリゼがガラにもねぇと鼻で笑い飛ばそうとしたその時――

 声が聞こえた気がした。

『シャル、ぼーっとしてるとそのお肉もらっちゃうよ?』

師匠せんせいは僕の分まで取っただろ! 返せよ!』

『おいこら、弟子が師匠に対してそんな口きいていいと思ってるのか? そんなだとこのお肉は返さないぞ?』

『きかなくても返すつもりないだろ!』

『あっははは! よくわかってるじゃないか少年!』

『笑ってんじゃねええええええ!』

 純白の剣と刀をそれぞれ背中と腰にいて笑う師匠と、この時はまだ剣を扱っていた弟子の熾烈な夕食の奪い合いを幻視する。

 それは多分、一度も見たことのないやり取りだ。

 けれど、似たようなやり取りなら無数に見た。

 ついさっきも……と視線を戻した先にいたのは優雅に揚げ物を食す艶やかな黒髪、ではなくサラダの残りをかき込んでいる、真っ白な髪と肌の少女だった。

 葉の一枚まで嚥下したヒイロが首をかしげる。

「シャリゼさん、どうかしたんですか?」

「……あぁ、そういう、」

 重大な事実に気づいたシャリゼが目を見開いたその時、甲高い女声がヒイロの頭越しに飛んできた。

「わ〜シャリゼさんだ〜!」


 ◇


 ヒイロが振り向くと、まず視界に飛び込んできたのは色鮮やかな塊だった。

 それは正確無比かつ高速でこちらの卓へと飛んでくる。あわや激突かと身を引こうとするが、塊はそれより先にヒイロの視界を横断していく。

 そしてシャリゼの胸元めがけて一直線に飛び込んでいき、

「んぐふぇっ!」

 シャリゼの蹴り出したつま先にクリーンヒット。

 潰れた蛙のような声を出してそのまま汚い床に転がった。

「なっ何事ですか⁉︎」

 ヒイロはとっさに側へ寄り、塊の正体を確かめる。

 それは小柄な女性だった。

 色とりどりの絵の具をぶちまけたように色鮮やかな外套を羽織っており、豊かな胸がそれを押し上げている。今は倒れた際に捲れ上がった外套によって白く肉つきの良い太ももが露わになっており、そこに携えられた二本の魔法短杖マジックワンドもお目見えしていた。

「だ、大丈夫ですか……?」

 ヒイロが声をかけると女性はゆっくり目を見開く。そして爽やかな黄色の瞳で天井を見つめると、一瞬後に恍惚な吐息を漏らした。

「はぁぁ……シャリゼさんに蹴ってもらえたぁ……しあわせぇ」

「………………え?」

 まさか蹴られた悦びに打ち震えているとは思わなかったヒイロは未知の反応を示す女性を前にして固まり立ち尽くす。

 シャリゼは頬杖をつくと、足蹴にした女性を見下ろしてニヤリと笑う。

「ようメリー嬢。元気そうだな」

 すると、メリーと呼ばれた彼女はばね仕掛けのようにその場で器用に飛び起きる。

「メリーはいつでも元気ですよ〜。シャリゼさんこそどうしてここに? って、今日はなんだか良い匂いする〜!」

 速やかにシャリゼの足元に擦り寄ろうとして、再び足蹴にされる。けれど笑顔だ。

「ちょっと野暮用があってな。アタシだって公共物を利用するときは身だしなみくらい整えるさ。ところで相方のデカブツは? 剥製にでもされたか?」

「ヒューゴくんですか〜? それなら〜」

 ふわふわと笑うメリーが振り向いた先をヒイロも見やると、その方向から大槌を背負った大男が向かってくる。

「メリー! なにをやってるんだ!」

 青い顔をして駆け寄ってくると、そのままメリーの肩を掴んで揺らしだす。

「未成年には手を出すなとあれほど!」

「だ、出してないってば〜!」

「流石に保釈金を払うほどの面倒は見切れないぞ!」

「だから何もしてないんだって〜!」

 わちゃわちゃともみ合う彼らを横目に、ヒイロはそっとシャリゼに顔を寄せた。

「この人たちはいったい……? 道化師ジェスターですか?」

「初対面の相手にクソ失礼だなお前。目的の奴らだってのに」

「目的の? ……っ⁉︎」

 遅効性の驚愕に見舞われたヒイロは一瞬で目を見開き、ババッと音の立つほど激しく彼らの顔を交互に見やる。何度も確認した後、怪訝な表情でおずおずと彼らを指さす。

「疑うなよ、コイツらだ。胸に自前のタンク抱えてんのが〈霹靂〉のメリー嬢で妖熊バグべアーみたいな図体してんのが〈要塞〉のヒューゴ公だ」

「……想像と……違いました」

「はは、コワモテのいかちーやつ相手にするよかよっぽどイイだろ」

 確かに当初想像していたTHE・荒くれ者といった感じは全くもって無い。

 即座の戦略的撤退も視野に入れていた身としては拍子抜けもいいところだ。でも。

「もしかしなくても我が道をゴーイングマイウェイな人種じゃないですか? 別ベクトルで話つけられる気がしないんですけど」

「おーよく分かってんじゃねーか。まぁノリと勢いでなんとかなるさ。あとは誤魔化そうとせず正直に話せばそれで」

 シャリゼはオッケーと手でジェスチャーをする。そしておもむろに肩を揺さぶられ続けているメリーの頭を鷲掴みにして引っ張り上げた。

「あっ痛いシャリゼさん左手で掴まないでメリーの頭はリンゴじゃないよ」

「なんだよせっかく脳震盪の危険性から救ってやったのに礼のひとつも無しか」

「そうなったら仕返しで脳挫傷させるだけですよ〜」

「こわっ! その過激思考まだ治ってないのかよ。まぁいいや、今日は連れがいるんだ。紹介させてくれよ」

 メリーの頭から手を離したシャリゼがヒイロを見やる。

 ヒイロは一度瞑目し、カッと目を見開く。そして、

「YO! わたしはヒイロだYO! 新参者だけど初心者にはならないYO! よろしくYEAH!」

「「「…………………………」」」

 この瞬間、この卓だけが世界から隔絶されてしまったのかと錯覚するほどの静寂が訪れた。

 周囲の喧騒がはるか彼岸に感じられる空気の中、ヒイロは今にも泣き出しそうな顔でシャリゼを見る。

「ヒイロ嬢、今のはなに?」

「お、王都で流行ってるって聞いた韻律歌ラップですけど……」

「今のをラップって言い張るなら真面目にやってるヤツに謝った方がいいし、そもそも数年前に流行終わってんぞ」

「っ⁉︎ や、山に住んでたからそんなの知らないし……シャリゼさんがノリと勢いでなんとかなるって言ったからだし……っ!」

「いやアタシのせいかよ! 確かにノリと勢いでなんとかなるって言ったけどさ!」

 マジでノリと勢いで突っ込む奴がいるかよ!と頭を抱えるシャリゼに言ったのはシャリゼさんじゃないですかと泣きつくヒイロ。

「……ぷっ。ぶわぁっはっはっは!」

 そんな二人のやりとりを見ていたヒューゴがふいに吹き出した、かと思うとメリーも抱腹絶倒の勢いで笑い出し、耐えられないとばかりに机をバンバンと叩く。たっぷり十秒ほど笑い、ようやく落ち着いたふたりは目尻の涙を拭う。

「あなた面白いねえ〜! せっかく良い挨拶してくれたからこっちも応えなくっちゃ! メリーはメリーっていうの。こっちの大きいのがヒューゴくん。とっても強くて優しいの」

「よろしく頼む」

 差し出された手を握るが、大きさが違い過ぎて中の指三本を握るのみとなった。

 ここに親交は結ばれた。

 そして、今からヴィルが戻ってくる前に話をつけなければならない。

「よしゃー! 新たな出会いに乾杯だ! すんませーん大ジョッキ四つー! お前らも喰え喰え! 今日はアタシの奢りだぞ!」

「ふむ、新たな友との語らいのためだ。ご相伴にあずからせていただこう」

「わ〜いシャリゼさんの奢りだ〜!」

 シャリゼが盛大に盛り上げて二人を席に着かせる。この時のために注文していた料理だ。二人の視線はすぐ卓上の料理に釘付けになる。

 ヒイロは覚悟を決めて声を上げた。

「あ、あのっ! わたし、おふたりにお願いがあるんですけど」

 二人の視線がヒイロに集まる。

 ヒイロはぐっと息を吸い込み、言った。

「わたしと――わたし達とパーティを組んでくれませんか!?」


 ◇


 再び静寂が訪れる。

 だが、今度は比較的短い時間で周囲の喧騒が戻ってきた。

 およそ常人であれば当惑が表情となってしかるべき場面だが、ヒューゴとメリーはわずかに眉根をひそめると顔を見合わせる。

「これまたずいぶん唐突な提案だな。メリーの思いつきだけの行動と良い勝負だが」

「ヒューゴくん酷いよ〜。メリーはただ短いヒトの一生を精一杯謳歌しようとしてるだけなのに〜」

「それならただでさえ短い一生をさらに短くしようとするのはやめて欲しいものだが。……ひとまず話だけでも聞いてみよう。何か込み入った事情を有しているやもしれぬ」

「だね〜。ヒイロちゃん話してみて〜」

 短い話は済んだようで、ふたりはヒイロの話に耳を傾けようとする。

(聞く耳を持ってくれるなら勝算はあるっ!)

 そして、ヒイロはシンプルなどというものではない直球勝負を仕掛けた。

「わたしはヴィルの弟子で【勇者隊選抜】に向かうためヴィル……ししょーとパーティを組んでいます」

 視界の端でシャリゼがギョッと目を剥くのが見えた。ヒイロ自身、これが策とすら呼べない物であることくらいわかっている。けれど、結局これしかないと思った。

「シャリゼ殿、それは本当か」

 ヒイロの明かした事実に流石の二人も目を瞠る。が、鵜呑みにはせず即座に裏を取ろうとする。

「本当さ。ヒイロ嬢が魔法を使えないってんでアタシのとこにも取りに来た」

「へぇ……ホントなんだぁ〜」

 シャリゼが何よりの証拠である〈不毀ノ器〉を指さすと、目つきを変えたメリーがヒイロを流し目で捉えた。あまりの眼力にヒイロは顔を伏せぎみになる。

「それで〜? ルー君のお弟子さんがどうしてメリーたちとパーティを組みたいの〜?」

「ししょーと二人ではどうしてもわたしが足手まといになってしまって……だからお二人に力を貸して欲しいんです」

「……それだけ?」

「えっ?」

 ヒイロが思わず顔をあげると――魔力の充填したことにより蜂蜜色に変化した瞳がそこにあった。それはスッと細められてヒイロを射抜き、

「嘘つかないでよ」

 そう呟いたメリーの周囲でいくつか小さな光が明滅したかと思うと、パチパチと静電気の発生する音が断続的に発生する。

 次の瞬間、幾つかの事が同時に起こった。

「メリー、早まるな!」

 叫ぶヒューゴがヒイロを椅子ごと引いて、かばうようにして己の後ろへ持っていく。

 場がにわかに騒然となる。なんだなんだと野次馬の視線も集まりだした。

「どうどう落ち着けメリー嬢。ここにお前をダマそうとする詐欺師はいない。いるのはお願いをしたいだけのいたいけな少女だ」

 静電気によってわずかに髪の逆立つメリーをシャリゼが必死にたしなめる。だが、彼女の視線はヒイロに吸いついて離れない。

 ヒイロは背筋が凍る思いをすると同時に、この豹変した雰囲気には心当たりがあった。

 種類が違えど、何度か目撃したもの。

「あれがメリーさんの《イデア》……」

 こわごわと呟くヒイロに、その背でかばうようにしたままヒューゴが頷く。

「過去に虚偽をつかれて夢を失う結果になったことがあってな。嘘をつくのもつかれるのも極度に厭うんだ。シャリゼ殿のそれを誠実性とすれば、メリーは否・虚飾性だ」

「わたし、嘘はついてないと思うんですけど……」

 先ほどまで眩いばかりの光が灯っていた瞳は今や虚ろな穴のようで、孔があきそうなほど見つめてくる。

 と、やりとりを見守っていたシャリゼが思い出したように「ああ」と声を上げた。

「言い忘れてたけど、メリーは人の心の状態が色でわかるから嘘じゃなくても隠し事してたら色でバレるし、そういうの嫌いだから消し炭にされるぞ」

「へぇぁっ⁉︎ なんですかそれ⁉︎」

「《アビリティ》だよ。ヴィル公から聞いてねえのか」

「なんっにも聞いてないんですけど⁉︎」

「そうか、ならいいや」

「えぇ……」

《アビリティ》の説明はしてくれないのかとツッコミを入れたくなるが、ここはグッとこらえることにした。

「『わたしが足手まといになってしまって』、だけじゃない。ほかに理由があるはず」

 ヒューゴの言葉を証明するように、メリーがヒイロの発言に言及する。

「暖かくて強い色。切実な何か。悪意はない。でも、白日に下すまで信じるわけにはいかない。だから答えて」

 心を見る能力だというのに、口調と雰囲気にはまるで心が感じられない。《イデア》がそういった背反性を有しているのは興味深いと思う反面、このような状況では緊迫感を高めるだけだった。

「だってよ、ヒイロ嬢。早く答えねーとその白い髪真っ黒にされんぞ」

「うぅ……」

 消し炭にはされたくないから観念して白状する。

「実は……ししょーのためなんです」

「ヴィルのためと? いったいどういうことだ」

 皆が耳を傾ける中、ヒイロは己の中に生まれた思いを訥々と話す。

「ししょー、今はひとりぼっちですけど昔はメリーさんたちとパーティを組んでたって聞きました。それで想像してみたんです。一緒にパーティを組んだらどうなるのかなって」

 思い描く、そこは石が象り桜が彩る冒険者の街。

 日々新たな依頼が生まれ、旧き秘宝を求め人々が興る場所。

「毎日みんなで朝早くに集合して、今日はどの依頼に行こうってご飯を食べながら決め合ったりして――」

 東に望むは魔花の山、越えれば人の手付かずの大魔境。

 山門異界の先で自然に潜む獣を討つべく奔走する冒険者たち。

「依頼を達成したらみんなでハイタッチして、帰ったら宴だなんだって言いながら帰路についたりして――」

 死と隣り合わせの異郷から帰還すれば、生の喜びを共に分かち合う。明日命尽きるとも知れぬ身、報酬金はご馳走と安酒に泡沫うたかたと消える。

「夜もいっしょの卓を囲んで楽しい時間を過ごして、明日もまた頑張ろうって杯を交わし合ったりして――」

 一日を謳歌して眠りにつき、目覚めればまた人々は興りだす。

 そうして、少しずつ人は進んでいく。

 そんな想像。きっと、どこかにあった冒険譚。

「それってすごく楽しいだろうなって。だから、もう一度そういうことができたらいいなって思ったんです」

 それに、と今は会えない孤児院の弟妹たちを思いながら言う。

「……ひとりぼっちは寂しいじゃないですか」

 紛うことなき本心だった。

 初めから知らなければ、苦しむことはなかったことだろう。

 勝利の美酒もそれを分かち合う喜びも、一度も味わなければ望むことはない。

 けれど一度経験してしまえば、それは心を苛む毒となる。

 そしてその毒を和らげさせることができるなら、取らない手はなかった。

「……そう。あなたの想いは理解した」

 ヒイロの本心を聞き届けたメリーがひとつ頷き、瞑目する。

 十秒ほどだろうか。ふいに、わずかに逆立っていた髪がふわりと落ちた。

 それが《イデア》から元に戻った合図だった。

「あなたは優しいのね」

 メリーは目を開けて、微笑する。

「でも、ルー君とパーティを組むことはできないかな」

 ヒイロはわずかに目を見開いた。


 ◇


 メリーは瞑目し、過去を想う。

 あの日、〈桜魔ヶ刻〉から“最強”がいなくなってから数日後。

 全く姿を現さないヴィルをメリーとヒューゴはギルドのロビーで辛抱強く待ち続けていた。

 ――彼がやってきたらなんと声をかけよう。そうだ、まずはあの日のことを謝ろう。

 そんな風にやまない思いが胸中で塒を巻く中、メリーは視界の端で蠢いた異物に気づいた。

 最初、ヒトの形を成した泥濘が歩いているのかと錯覚した。

 そのくらい彼の心が昏く淀んでいるのだと気づいた次の瞬間には立ち上がって駆け寄っていた。

『ルー君っ! 待ってよ!!』

 真新しく、弧を描くようになった杖を背負い、ひとり出立しようとするその後ろ姿に、縋るように声をかけた。けれど、そうして返ってくるのは飢えた野狼のような瞳。剥き出しの牙のような言葉。

『待てません。どうして今さらこんなガキ一匹に構うんですか。あなた達を求めていた〈最強〉はもういないのに』

 メリーは目尻に浮かぶ涙を振り払うように首を振る。

『どうしてって、友だちだからだよ! シオンちゃんだっていつも言っていたでしょう!友だちなら助けなきゃって、』

『それならッッ!!!!』

 メリーの言葉はヴィルの大音声だいおんじょうさえぎられた。

 反射的に顔を上げたメリーはその瞳に宿る悲痛と悔苦の色を見て、彼女の名を出したことを後悔する。全てが遅かった。

『僕とあなたたちは友だちじゃない。仲間でもなんでもない。……ただの同業者だ』

『そん、な……』

 何より重い絶交宣言に切り裂かれたメリーは力なく床に座り込み、遠ざかる背中を見つめるしかなかった。

 それ以来、ヴィルはたった一人で、狂気的としか表現しようのない速度で依頼をこなし始めた。誰も比肩しようのない量の貢献度を積み〈最強〉の地位を確固たるものにした。それでもまだ足りないというように彼は依頼をこなし続けた。

 ――このままではヴィルが潰れて死んでしまう。

 そう思ったメリーはギルド長であるフィオルブに相談した。

『ルー君への依頼許可を今すぐにでも停止してください! 本来ならソロで活動する冒険者に依頼を受ける権利はないはずです!」

 相談というより半ば糾弾だった。

 鬼気迫る表情で訴えるメリーに、けれどフィオルブは首を振る。

「そんなことをしたら、恐らく彼まで消えてしまうだろう」

「っ……⁉︎」

「今の彼は依頼をこなすことである種の鬱憤うっぷんを晴らしている状態だ。けれど、それすらできなくなったら次に何をするかわからない。シオン君の後を追ってしまう可能性すらある」

 否定できなかった。むしろ、そうなる可能性の方がずっと高い。

「だから、私たちは彼の可能性を信じるしかない。折れず、腐らず、また元の彼が戻ってくることを」

 メリーにはどうすることもできず、忸怩たる思いで頷くしかなかった。

 何もできない無力さに打ちひしがれて俯く彼女の肩に、「でも」という言葉と共に手が置かれて顔を上げる。

「それは今だけの話だ。いつか彼を手助けできる機会が訪れたなら、全力で手助けしてやろう。私はそのためならどんな手段だって使うつもりだ」

 フィオルブは歳と顔に似合わぬ悪童のような笑みを浮かべた。あんまりにも似合っていないものだから、つい吹き出してしまう。

「ふふっ。領主様、その顔やめた方がいいですよ〜」

「もうしないさ。君を笑わせるためにしたことだ」

「ありがとうございます。……メリーも決心が今つきました。その時が来たら、脅迫でも尾行でもなんでもやってやります」

「自分で言っておいてなんだが、君のは冗談に聞こえないな」

 それから五年。

 今日の昼前、メリーとヒューゴの元に見覚えのない伝書鳥から差出人不明の手紙が届いた。内容はたった一文のみ。

『今すぐ〈桜魔ヶ刻〉の大食堂へ向かうべし』

 向かってみれば、そこにはシャリゼと、ヴィルの弟子を名乗りシオンの剣を授けられた真白の少女がいた。

「わたしと――わたし達とパーティを組んでくれませんか!?」

 その言葉をかけられた時点で、やるべきことは決まっていた。


 わずかに目を見開いたヒイロに、メリーは続きの言葉を投げる。

「ルー君には前に絶交されちゃってるから、何を言っても拒絶されちゃうと思うの」

「……絶交?」

 突然飛び出た単語に、ヒイロは異国の言語を聞いたような反応をする。

 普通はそんなものだろう。

 けれど、自分たちの中には確かな不文律として存在したのだ。

「メリーたちのリーダー的な存在の人がいつも言ってたんだ。『友だちが困ってたら助けるんだぞ』って。だから、絶交したら助けてあげられない」

 遺跡で絶体絶命の罠にかかった時も、魔境連野で夥しい数の魔獣に囲まれた時も、自分たちは互いの背中を預けて戦った。

 今だって友のためなら命を懸けられる。

「だからヒイロちゃん、メリーと友だちになってよ。メリーは、メリーたちは友だちなら手助けしてあげられる。本当に、なんだってできる」

「と、友だちですか……」

 どう答えればよいか決めあぐねている様子のヒイロにメリーがたたみかける。

「とってもオトクだよ〜? プライスレスだし、ヒイロちゃんの修行もつけてあげるし、今ならヒューゴ君も付いてくる〜。ね、どう?」

「……なっ、なります! ならせてください! 今度はちょっとやそっとじゃ絶交できないようガッチガチに保障契約も付けましょう! ガッチガチですよガッチガチ!」

「ふふふ、いいね〜それ」

 ここに確かな親交が結ばれた。

 契約書は本当に作ってしまおうなど藹々あいあいと話していれば、一人で杯を傾けていたヒューゴがふっと鼻で笑った。「――浅いな」

 むっ、とメリーは顔を上げる。

「……なに〜、ヒューゴ君は文句でもあるの〜?」

「そうではない。ただ、友とはなろうと言ってなるものでもない。互いに歩み寄る意思があり、かつ馬が合えば自然となっていくものなのだ」

 そこで言葉を切り、ヒューゴは先ほど届いたばかりの杯をひとつヒイロに手渡した。

「そして歩み寄るには共通の話題を話すことが有用だ。たとえば……」

 ヒューゴの手中だとおままごとに見えてくるそれをヒイロの杯に軽くぶつけて、ニッと笑う。

「ヴィルの話はどうだろう。こちらは君と知り合う以前のヴィルについて話す。君は俺たちの知らない、今のヴィルについて話してくれればいい」

「それいいね〜! じゃあまずはメリーがとっておきの話をしたげるね! あれは採集系の依頼で湖沼に行ったらルー君が湖のヌシに食べられちゃった話なんだけ……ど、」

 メリーが嬉々として話し始めようとする。――が、それは途中で遮られた。

「勝手に他人ひとの黒歴史暴露大会おっぱじめないでくださいよ」

 皆が一斉に視線を向ける。

 そこにはパスタの大皿を持ったヴィルが立っていた。


 ◇


 数分前。

「わたしと――わたし達とパーティを組んでくれませんか!?」

 その声は《風》にのって、僕の耳にも届いていた。

「なにしてんだあのバカ弟子っ……!」

 まず、いくつかの疑問が同時に浮かび上がった。

 なぜあの人たちがここにいる、だとか。

 どうしてヒイロがその提案をする、だとか。

 大方シャリゼに吹き込まれたのだろう。基本的にずぼらなくせに、ときどき野暮なことをしやがる。そんな答えを類推するより今行われようとしている話し合いを止めることが先決だ。

 カウンターでもうもうと湯気を立てるパスタを受け取り、大急ぎで戻ろうと踵を返したところで――僕は立ち止まった。

「やあ、美味しそうなパスタだね」

 あの日と同じように、領主様がにこやかな笑顔でそこにいた。

 その時点で全てを理解した。けれど僕は平静を装って笑い返す。

「アルデンテに仕上げてもらったのですぐに食べないと」

 失礼します、と一礼だけして領主様の横を素通りしようとする。

 そのとき、領主様が口を開いた。

「手紙は読んでくれたかい?」

 立ち止まり、諦めのため息をつく。

「…………国から支給されてる紙を使うなんてずいぶんと贅沢ですね」

「招待状には気合を入れるものさ。覚えておくといい」

 この喧騒の中でも、肩越しに領主様が笑ったのがわかった。

「それに私は目的のために手段は選ばない主義でね。ヴィル君はどうだい?

 ――過去の確執を無かったことにしてでも叶えたい願いはあるのかな」

「……そんなの、決まってるでしょう」

 領主様の笑う雰囲気が遠ざかるのを感じながら、ヒイロたちの元へ歩き出す。

『わたしと――わたし達とパーティを組んでくれませんか!?』

 その言葉が聞こえた時点で、やるべきことは決まっていた。


「勝手に他人ひとの黒歴史暴露大会おっぱじめないでくださいよ」

 皆がいっせいに僕を見る。すると食堂全体の喧騒は水を打ったように消え去り、なぜだか周囲の野次馬まで僕らの様子を伺ってくるが、この際無視だ。

「ところで、そんな黒歴史を暴露できるくらい僕のことを知ってるなんて、もしかして以前どこかでお会いしましたか?」

 僕は冷静を装い、努めて明るくメリーさんに話しかけた。

「……さぁ、どうだろうね〜」

 震えて上ずった声が耳に届く。どうやら、彼女はまだ僕に怯えているみたいだった。

 いや、怯えているのは僕も同じだ。

「それなら、」

 もう怯えなくていいように、笑いかける。

「確かめるため、お話ししませんか。良ければ一緒にパスタでも」

 そう言って、手に持った大皿を少し掲げてみせる。

 外側は冷めてしまっているけれど、中はまだ温かいことだろう。


「……良いね、パスタは大好物なんだ〜」


 メリーさんがふわりと笑うと、どことなく堅かった周囲の雰囲気が一気に弛緩する。

「うおらあああお前ら呑め呑めえぇーーっ! 今日はアタシの奢りだああああ!」

 シャリゼがジョッキを突き上げ叫ぶと、場が一瞬で湧いた。シャリゼを中心にして宴の輪が形成されていき、即座に注文が飛び交い始め、先ほどまでの静寂は尻尾を巻いて逃げ出した。

 果たしてシャリゼの懐は保つのだろうかと心配になるが、僕が支払うわけでは無いので気にせずに元いた席――ヒイロの隣へ腰を下ろす。

 と、向かい側で黙って酒を呑んでいたヒューゴさんが僕を見てニヤリと目を細めた。

「成長したな、ヴィル」

「急になんですか。さっきの会話に僕の成長した要素なかったと思いますけど」

「いいや、会話の中で婉曲的な表現を織り交ぜられるようになった。口を開けば相手構わず噛み付いていた頃からしたら大進歩だ」

「ぐっ……! そっちこそ人の弟子と仲良くなろうとするのは構いませんけど、せめて別の話題にしてくださいよ。ほら、メリーさんが酔ったフリして師匠に絡んだら縛り上げられて野ざらしにされた話とか」

 適当に思い出したことを言っただけだったのだが、メリーさんは耳聡く反応して僕の胸ぐらを掴みあげた。

「わーーーーっ⁉︎ なんでルー君その話知ってるの⁉︎ 女子三人の秘密ガールズ・シークレットなのに!」

「今もそこで呑んだくれてるシャリゼレディーが懇切丁寧に話してくれましたよ」

「ぬわあああああああん!! どおしてえええええええ!!」

「待てメリー! 落ち着け!」

 泣きわめきながらシャリゼの元へ寄っていったメリーさんとそれを止めに行ったヒューゴさんを傍目に、隣で黙りこくったままの弟子に声をかける。

「よく頑張ったな」

「っ!」

 かけられた言葉が意外だったのか、ビクリと肩を震わせたヒイロが僕を見上げる。

「途中、メリーさんを怒らせかけたときはどうなるかと思ったけど……まあ、結果オーライってやつだ」

 多分僕も同じことしてたよ、と付け加えるとヒイロは小さく息をはいた。

「い、いつから見てたんですか」

「いつからもなにも、最初から聞いてた」

「へっ?」

「言ったろ、僕は耳が良いんだよ。そういう《アビリティ》なんだ」

『周囲の空気に載った魔力=《風》』を媒介にして常人よりずっと多く、細かく音を捉えられる。時々聞きたくないことまで耳に入ってくるけどこういった場合は便利だ。

「魔法行使以前の魔法、なんて難しい言い方もできるけど要は『魔力の繋がりの強い人に現れるちょっと特殊な体質』ってことだ。人より迷惑被ることもあれば得することもある」

「それはわかりました、けど……それなら途中で助け舟出してくれてもよかったじゃないですか! わたしっ、すっごく緊張したんですよ⁉︎ すっごく!」

 こんくらい!と両腕をいっぱいに広げて表現してくるがよくわからない。

「そう言うなよ。僕だって最初は止めるつもりだったけど、逆にそれを止めさせられたんだ」

「え……誰に?」

 僕は無言で奥を指さす。

 そこには食堂とロビーを空間的に隔てる幾つかの柱があり――右端の柱の陰からこちらを伺う領主様は僕たちと目が合ったことに気づくと、無言でサムズアップしてきた。

「あそこで後方パトロン面してるおじさん。僕たちに手紙を出してきたのもそうだよ」

「りょーしゅさま……なにしてるんですか……」

 なんでも領主様はシャリゼとは十年以来の知り合いらしい。王都で何かあったとか無かったとか。鍛冶屋〈赫刃の腕〉の存在も知っていて当然だ。

「僕たちが鍛冶屋を出た時点でメリーさん達の方にも手紙を出してたらしい。領内の詠鳥に大規模な感覚共有の魔法で監視の目を担わせるのは知ってたけど、まさか伝書鳩代わりにさせてるなんて思わなかった」

 国から支給された紙を使うわ、領の防衛機能を勝手に弄るわ、職権乱用どころの騒ぎじゃない。

 僕がヒイロ以外とパーティを組むつもりはないと答えた時、『こちらにも考えがある』と言っていたのを不穏に感じたのは間違いじゃなかった。ああ言われた時点で、僕たちは最初からこの席につくことが半ば決まっていたのだ。

「言ってみれば、このお祭り騒ぎは企画フィオルブ・レントの主催シャリゼ・エデン。そして主賓が――」

「わたしたち、ってことですか」

「そういうことになるな」

 ひとつ頷いて、僕とヒイロはしばらく何も言わずお祭り騒ぎを眺める。

 いつの間にかパスタの皿は空になっていた。

「……これから忙しくなるぞ、覚悟はできてるか?」

「もちろんです! 死ぬ気で死なないよう頑張りますよ! ししょーこそ、本当は一人のままがよかったとか思ってたりしてないですか?」

「ないよ。ヒイロの言った通り、もう少し誰かを信じてみることにしたんだ」

「え、わたしそんなこと言いましたっけ」

「お前な……」

 その時、突然シャリゼが後ろから肩を組んで僕らの間に割って入ってきた。すっかりできあがっており、呼気が酒くさい。

「なぁにふたりでくっちゃべってんだ! みんなお前らと話したがってんぞ! 特にヒイロ嬢!」

「わ、わたしですか?」

「あたぼうよ! 長年孤高だった〈風の王キング〉がいきなり連れてきた真白の美少女だぜ? 気にならないわけがねえさ」

 言われてそちらを見てみれば、荒くれ者どもが杯を掲げて反応数する。メリーさんやヒューゴさんもすでに宴の輪に加わっているようで、こちらに手を振ってきていた。さらに奥では領主様がまたサムズアップしている。あの人は仕事に戻らなくていいのだろうか。

 ヒイロが照れ笑いしながら輪の中に入っていく。それを見たシャリゼがヒイロの座っていた席にどっかりと腰を下ろす。

「ヴィル公ともようやっと酒が呑めるって喜んでるぜ。お前、どうせソロになってから誰とも呑んでないんだろ」

「呑んでないよ。けど、そもそもあまり強くないから呑んでないだけであって、決して誰とも呑む機会がなかったからとかそういうわけじゃ、」

「あーうるせぇ、みみっちぃから言い訳すんな! 来るのか来ないのかはっきりさせろ」

「……酒は勘弁だ。可能な限り呑みたくない。だから、その理由でも話すとするよ」

 ひとつ息をはき、腰をあげて歩き出す。

 どうしてこんなことになったと胸中で呟いてみるが、なぜだか悪い気分はしなかった。

「さあ――語らいの時間バンケットだ」

 

 そうして、怒涛の日々が幕を開けた。

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