19.愚弟のほうが何も知らんな

「は?」

「……」


 セヴリールがほんの僅か開いた扉の隙間から、ティオロードの張りのある声が響いてきた。瞬間、ローザティアの手の中でみしりと扇が軋む音が聞こえる。学園長がひくひく、と顔をひきつらせるのが彼女の視界の端に見えた。

 これはだめだ、と頭を振るセヴリールだが、ティオロードは彼らの存在に気づいていない。そのまま、話を続けている。


「クラテリア・ツィパネットに対する侮辱及び暴行の数々、俺が知らぬとでも思ったか!」

「殿下が何をご存知なのか、わたくしの方が存じ上げませんが」


「愚弟のほうが何も知らんな」


 王子の指摘に対するアルセイラの呆れ声に重なるように、ローザティアも同じ声で呟く。

 学園長からの報告書や学園に放った影たちの報告も総合して、クラテリアがアルセイラないし他の学生から侮辱や暴行を受けたことはない、とローザティアは断言できる。


「それと、クラテリア様。フランネルの娘として申し上げますが、婚約者をお持ちであることを知って殿方に近づくような下品な真似はおやめになったほうがよろしいですわよ」

「ひどいです! アルセイラ様、わたしの制服を破ったり教科書を汚したりしたじゃないですか!」

「アルセイラ! クラテリアに文句があるのならば、言葉で言えばよかろう!」


「……」

「セヴリール、発言を許す」

「はい。今言葉で申し上げているのが、クラテリア嬢への文句ですよね。仰せのままにしておられるじゃないですか、アルセイラ嬢は」

「そうだな」


 要するに、セヴリールはティオロードに突っ込みを入れたくて仕方がないらしい。気持ちはわかる、とローザティアは扇を持ち直した。先ほどは軋んでいたが、特に問題はないようである。

 なお、学生の制服や教科書の破損はいくらか報告があるが、いずれもクラテリアとは関係のないものである。学園内でのみ必要な品々であるため調達も学園内で行われ、その全ては報告書としてローザティアの手元に届けられていた。


「さて。そろそろ参られますか、殿下」

「無論だ。私が行かねば、フランネルに要らぬ罪を押し付けることになるからな。学園長、手はず通りに。そなたに罪があるわけではない故、軽い叱責で済むだろう」

「心得ております。殿下のお心遣いと、寛大な措置に感謝を」


 いつまでも、弟の無駄な糾弾に付き合っていることはないだろう。そう考えたらしい腹心の声に、王女は頷いた。控えている学園長もまた、深く頭を垂れる。

 それに呼応してセヴリールは、軽く一礼した後に扉を大きく開いた。途端、会場のほぼ全ての視線がローザティアに集中する。


「何をしているか、ティオロード」

「は?」


 本来ならば行われているはずの楽団の演奏は、彼女がここに到着する前からずっと停止している。故に、ローザティアが自身の弟を呼ばわる声は、会場内に響き渡った。

 ティオロードは、自身の背にクラテリアをかばうように立っている。その後ろにはジョエル・オーミディ、二ルディック・ワンクライフ、そしてステファン・ガルガンダが並んでいた。それぞれに、家で用意されたであろう正装をきちりと着こなしているのはさすがである。


「あ、あ、あ、あねうえ? いつこちらに」

「今朝だ。陛下の名代として、セヴリールと共に愚弟の卒業を祝いに来たつもりだったのだがな。これはどういうことか」

「だ、だってアルセイラが! 俺のクラテリアにげふっ」


 弟の言い訳を最後まで聞くことなく、ローザティアは真っ直ぐに歩み寄ると扇を軽く突き出した。鳩尾に正確に叩き込まれたその一撃に、腹を抱え込んでうずくまるティオロードを見下ろした彼女の口から、低い声が流れ出る。


「貴様の婚約者、私の親友の名を悪しざまに呼ぶな。我が一族の名に傷がつく」

「あ、あねうえ……ひどいです……」


 いやどちらがだよ、というセヴリールの心の声を共有する者は、この場には多かろう。公衆の面前で一方的に己の婚約者を糾弾しようとする王子と、それをたしなめる姉王女という図なのだから。

 さて、と周囲を見回したローザティアは、セヴリールと床にうずくまっているティオロード、そしてぽかんと自身を見つめているクラテリア以外の全員が頭を垂れていることに気づいた。第一王女の登場なのだから、至極当然のことではあるのだが。

 やれやれ、と軽く肩をすくめて王女は彼らを許すこととした。


「ああ。皆の者、楽にせよ。発言も許す。……アルセイラ、愚弟が迷惑をかけているようだな」

「はい。わたくしは大丈夫ですわ、お気遣いありがとうございます、ローザティア殿下」


 そうして最初に声をかけられた相手、アルセイラは一度顔を上げると正式な礼を見せて微笑む。先んじて情報を入手し、覚悟していたことも関係あるのだろう。


「ジョエル・オーミディ、二ルディック・ワンクライフ、ステファン・ガルガンダ」

「はいいっ!」

「はいっ!」

「は、はい!」


 許されたことで慌ててティオロードに駆け寄った三人の貴族令息の名を、ローザティアが呼ぶ。慌ててひざまずいた彼らを一瞥し、王女は扇で自分の手のひらを軽く叩いた。


「各地の貴族や、優秀な者の保護者などが揃うこの場でそなたらは何をしておる。愚弟が王族とは言え、愚行は諌めるのが友として、配下としての役目であろうが」


 ぎろりとにらみつける王女の冷徹な視線と、その背後で感情を浮かべぬまま同じ温度の目で彼らを見つめているセヴリールの気配に三人は、反論するどころか指一本動かすこともできなかった。

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