第7話 恋人形

 乾いた足音がゆっくり入ってきたときには、足の悪い御仁がお出でになったのかと思いましたが、いたって幼い声で、さえ、と名乗った女は、座するときに抱えていた何かをゆっくりと置いたのか、かたり、とこれも乾いた音を一つ響かせて、次のような話を語りました。


 この人は、さる人形師の家に生まれ、幼いころから父親の人形を作る姿を見て育ちました。ですから、誰に言われることもなく、父親の傍らで人形作りのまねごと、遊びで人形を作っておりましたこの人は、いつのころからか父親の手ほどきを受けるようになって、いずれは跡を継いで人形作りを生業にするものと思うておりました。年頃になりまして、近所の若い者は眉目のよい娘に心を奪われておりましたけれど、そんな娘達よりも、この人は人形の美しさにずっと魅かれておりました。

 そんなある日、父親に言われて家の奥にあります蔵の中に入って探し物をしておりましたときに、桐の箱に長く入れられて誰からも忘れられておりましたわたくしを、この人は見つけてくれました。

 蔵の明かり取りからこぼれる光に斜めに照らされたわたくしの顔を、この人は不思議なものを見るように眼を大きく開いて飽きることなく見つめておりました。わたくしは恥ずかしさを覚えながらも微笑みましたそのときに、父親に呼ばれて我に返ったこの人が返事をした刹那、明かり取りの窓からこぼれておりました光が雲に遮られたのか、急に陰が差して、わたくしはなんだか切ないやら哀しいやら、心が苦しくなりました。

 それから、この人は暇を盗んではわたくしに会いにきてくれました。この人が来ると、わたくしはうれしくなって、そのうちにこの人はわたくしに言葉を投げかけるようになりました。わたくしは、声を出してその言葉に応じることはできませんでしたけれど、わたくしの思うことがこの人にも伝わるようになりました。

 そんなこととはつゆとも知らぬ父親は、すっかりこの人を跡継ぎと決めて嫁をもらう算段を始めました。この人は、まだ修行中の身だからなどと言いながら、持ち込まれる縁談を断わっておりました。縁談を進めるのは、蔵の中のわたくしを裏切ることになると感じていましたから……

 と言って、いつまでも父親に逆らうこともできず、父親の作る人形をいたく気に入ってくれていた大家の娘を、この人は娶ることにしました。

 祝言を挙げる前の日に、この人はわたくしに別れを告げましたけれど、わたくしはその眼を恨めしげに見つめるばかりでしたから、この人はとても困惑した顔をしました。

 妻を迎えてしばらくは、この人が蔵に足を踏み入れることはありませんでした。けれど、半月経って、この人はわたくしに会いに来ました。わたくしはうれしくてうれしくて、以前のように気持ちを通わせましたら、もう歯止めはききません。

 夜になると、妻の身に触れることなく、この人はわたくしに会いに来ました。夫婦の営みもせず、夜な夜な蔵に入るこの人を、妻は問い詰めました。

「いや、蔵にある古い人形を見たり文書を読んだりしているだけだ」

 と答えてその場は言い逃れましたけれど、

「それなら、夜中にこそこそと蔵に入らなくても、昼間に見て差し支えはありますまい」

 こう言われては、抗弁のしようもありません。

 それからいろいろ悶着があって、この人はわたくしを抱えて家を出ました。

 はじめのうち、わたくしもうれしく幸せに過ごしておりましたが、それからひと月もせぬうちに、この人はわたくしに話しかけなくなりました。わたくしを見つめることさえしなくなりました。

 家を出てからこの人は、はじめて世の中というものを知って、夢から覚めたのかもしれません。

 もしそうなら、わたくしを捨てて家に帰ってもいい、と心にもないことをこの人に伝えましたけれど……


 そこでまた、かたり、と乾いた音が聞こえて、私はそれに近づいて両手で触れてみました。でも、そこには、男女一対の人形が寄り添うように座しているばかりでございました。


 さて、今宵は何を弾じましょうか……

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