七の宝〜地の巻

第二体育館の周りに、人だかりができていた。

此処は別名【武闘館】とも呼ばれ、主に剣道部・柔道部・空手道部が試合や公開演武に使用している。

時空も、練習試合で幾度も利用した場所だ。


入口から中を覗くと、独特の空気が漂っていた。

黒帯の少女が二人、素手で構え合っている。


「何かの試合でしょうか」

鈴が小声でつぶやく。

「空手の組手くみてのようだな」

横に並び立つ時空も、静かに呟いた。


天津女学院のスポーツレベルは高い。

中でも空手道部は時空の率いる剣道部と並び、常に優勝候補に挙がっている。

特に主将を務める朱雀幽巳すざく ゆみの実力は抜きん出ており、『剣の神武』『拳の朱雀』と並び称されたりする。

もっとも当の二人はプライベートでの付き合いは無く、学校対抗の遠征試合などで挨拶を交わす程度だ。


「動くぞ」


時空がささやくと同時に、幽巳が仕掛けた。

一瞬で間合いを詰められ、動きの止まった相手に正拳突きが決まる。


「いっぽんっ!」


審判の旗が上がる。


寸止すんどめとはいえ気迫のこもった一打は、受けた方にかなりの心理ダメージを与える。

離れて一礼する相手選手の膝が、微かに震えているのを時空は見逃さなかった。


「すごい。全然見えなかった……」

鈴が目を丸くして、感嘆のため息を漏らす。


自陣に戻ろうとする幽巳の動きが一瞬止まる。

気付くと、こちらに視線を向けていた。

射るような眼光は、明らかに時空に注がれている。

鈴はハッとしたように時空の顔を見た。

そこにもまた、鋭く険しい視線があった。

両者の間に、細い糸が張られたような緊張感が漂う。

鈴の背筋に冷たいものが走った。

やがて幽巳は、挑戦的な笑みを浮かべながら背を向けた。


「出ようか」

緊張が解け息を吐き出す鈴の横で、時空もまた背を向けた。



「強い方ですね。お知り合いなんですか?」

並んで歩きながら鈴が尋ねる。

「朱雀幽巳……空手道部の主将だ。何度か言葉を交わしたことはあるが、詳しくは知らない」

「なんか、こっちを睨んでましたけど……」

恐る恐る切り出す鈴の言葉に、時空は無言で首を振った。


正直なところ、時空にも心当たりは無かった。

あの時の幽巳からは、尋常ではない殺気が放たれていた。

明らかに、時空に対してのものだ。

何故あいつは、俺にあれほどの敵意を持つのだろう。

試合をしたことも無ければ、稽古をしたことも無い。

会話すらほとんどしていないのだ。

なのに何故、あれほどの闘志を向けてくる。

時空の中の疑念が、不安となって膨れ上がった。




やはり、やるしかない……


道着を着替え終わった幽巳は、唇を噛み締めた。

ポケットから取り出した物体を掌に乗せる。

それは、黒色のだった。

「姉さん……」

幽巳の口からため息が漏れる。

暫く眺めた後、意を決したように両手に装着する。

「神武……時空!」

時空の名を口にした途端、幽巳の体から闘気がほとばしった。

その源泉とおぼしきリストバンドの表面に、が浮かび上がった。




「結局、収穫は無かったですね」

夕暮れの下校路を歩きながら鈴が呟く。

顔に残念そうな色が浮かんでいた。

「仕方ないさ。まだ初日だしな……悪いが明日も頼むよ」

申し訳無さそうな時空の声に、鈴は微笑みでこたえる。

他のメンバーとは、すでに途中で別れていた。

万一に備え、家まで鈴を送り届けている最中だった。

「私なら一人で帰れるから大丈夫ですよ。これでも神器の継承者ですし」

「だが、お前の神器は攻撃向きじゃないからな」

執拗に辞退する少女を説き伏せ、時空はボディガードを買って出たのだ。


鈴の道返玉ちかえしのたまの真髄は、神器の能力向上というサポートに特化したものだ。

神器を所持する者とペアを組むならいいが、単独では闘うすべを持たない。

長須根ながすね伊織いおりが襲われた先例もあるため、時空は慎重を期すことにしたのだ。


「そう言えば、神武天皇の件で一つお話ししておく事があります」

鈴は足を止めて、時空の顔を見た。

その目には、僅かな戸惑いの色があった。

「神武天皇……当時の彦火火出見ひこほほでみが東征を行なった理由です」

彦火火出見とは、まだ天皇となる前の神武天皇の呼び名である。

「理由?確か、騒乱の世を平定へいていするためじゃなかったか」

「『旧事紀くじき』ではそうなっています。天照大神あまてらすおおかみの命を受けた饒速日命にぎはやひのみことがその任を与えたと」

「違うのかい」

時空は、険しい顔で話す鈴の目を見つめた。

「それが他の文献、特に『日本書紀』では少しニュアンスが違ってるんです」

「ニュアンス?」

眉をひそめ、聞き返す時空。


「そこにはこう記されています。彦火火出見が大和国やまとのくにを目指したのは、饒速日命が住むというその地にから。そこに至るまでの道中で国々を制圧してまわったのは、自らの傘下に置くことでだと」

「……そんな……」

時空は、思わず声を詰まらせた。


「それじゃ何か!?神武……彦火火出見はいくさをしたってのか」

「史実の内容だけ見ればそうなります。ただ、いずれが正解なのかは分かりません。あるいは混在してしまっているのか……どちらも間違っている可能性だってあります」

言いづらそうに説明する鈴の顔を、時空はただ眺めるしかなかった。


世の治安に尽力した偉大な人物──


神武天皇に対しそんな好印象を抱いていただけに、今の話はショックが大きかった。

もし日本書紀の方が正しい史実とするなら、神武天皇は私利私欲のために民衆を圧制した事になる。

権力を欲せんと人々をあやめた事になる。

それは……

それでは、単なる独裁者だ。

そして自分は、そんな人物と繋がりがあるかもしれないと鈴は言ったのだ。


一体、どれが本当の神武天皇なんだ……


自分との繋がりとは何だ……


湧き立つ猜疑心さいぎしん焦燥感しょうそうかんに、時空は苛立いらだちを覚えずにはいられなかった。


「でも、大丈夫だと思いますよ」

そんな時空の心を見透かしたように、鈴が付け加えた。

曇った表情のまま、振り向く時空。

真っ直ぐで澄んだ瞳が、そこにあった。


「何があっても、時空さんは時空さんですから」

少女の見せた屈託の無い笑顔が、時空の心をわずかに解きほぐすのだった。




鈴を送り届けた帰りに、そいつは現れた。

通い慣れた神社の境内で、待ち伏せていたらしい。

全身、黒い甲冑かっちゅうで完全武装した謎の人物だ。

首から上をおおった兜で、顔の識別は出来ない。

体から漂い出る殺気が、おのずと危険人物である事を示していた。


「誰だ!?」


反射的に身構えながら、時空が叫ぶ。

右手が、神鏡の入ったポケットにかかる。


「俺に何か用か……」


時空の言葉が終わらぬに相手が動く。


あっと言う間に間合いを詰めると、胸元にこぶしの一撃を放ってきた。

咄嗟とっさに縮地法でかわすも、衣服の一部がカッターで切られたように裂ける。

凄まじい衝撃だ。


「その正拳突き……」


時空は神鏡を取り出すと、鋭い眼光で睨みつけた。


「朱雀……幽巳か!?」

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