nameless



「この国は、滅びる」


 夜が明けようとする暁の最中、主は予言を告げるかのように、そう言った。

 神に穢れを与えてはならぬとして、貴色である紅のほかに、国王をはじめとした王族の周りはすべて白で統一されている。

 主の居住も白の大理石で造られていた。磨き抜かれた壁と床は、まるで鏡面のように窓から差し込む朝焼けの赤を反射している。

 神の化身といわれている主は、まるで人ではないことをその身で現すかのような容姿だった。

 一つの色も持たない、慄くほどの白すぎる肌。男でなくとも、普通ではありえない長い長い、床につきそうなほど長い、どんな色にも染められない白髪。ただ唯一の色彩は、血のような赤眼。

 しかし、白き主は嘲笑った。


「王族の神性を保つため、血を濃くしすぎた。時には兄妹で。時には母子で。そうして自らの命を縮めた。民らが崇める我の色のない肌など、ただの皮膚病にすぎぬ。まともに発話できる者が国王の地位に就いたのは何代目ぶりであろうな。ふっ、頭がおかしくなっているものの言葉もまた、あやつらにとっては自分たちでは理解できぬ神の言葉だと有難がるだけだがな」


 呵々、と主は笑う。国民全てが尊び恭順する、その血の忌まわしさを。それに気づかぬ愚かな民衆を。

 国王に穢れを宿すことは許されない。であるから、国王が身を包むもの、身の回りの側近はすべて白のみを纏うことと命じられていた。とくに神たる王に直接触れることなど許されることでなく、手袋の着用は特に厳しく決められていた。

 主の側近たる己もその時はまだ、白の騎士服と、白の手袋を身に着けていた。


「もはや外の血をいれたところでどうにもならぬ。何より民は外の血が混ざることを許しはしないだろう。我とて女を孕ませる能力はなかろう。しかし、神の血はもはや継ぐことはできぬ。神を拠り所にしてきたこの国も、同じく滅ぶ。だから」


 赤く染まっていく部屋の中で、何色にも染まらない白の主は笑った。


「お前が我を殺せ」


 燃えるような暁が、目を焼くようだった。


「そのために、私を御傍に置いたのですか」

「そうだ。この国のものは神殺しなどできない。だが異教徒のお前ならば違うだろう。何よりお前にとって私は、故郷を滅ぼした仇なのだから。一族の無念を果たせるぞ」


 赤く染まっていく部屋。夜の因子が残る暗い空の中、赤い陽が、その時の記憶を呼び起こす。



 自分は、この国の生まれではなかった。

 小さな集落、小さな部族。土地を広げる野望もなく、自然と共生して暮らす村で生まれ、生きていた。

 けれど、それらは、一つの業火によってすべて崩れ去った。


 ――火を、という言葉が木霊する。燃やせ、という言葉が反響する。 

 火は等しく、平等に、小さな集落が大切に繋いできた、守ってきたものを奪っていった。

 家を。畑を。牛を。家族を。隣人を。

 赤い、赤い、赤すぎる光景。

 火と熱と悲鳴と絶叫と断末魔と肉が焼ける匂いが五感全てに侵入する。

 その中で、豪奢な神輿の上に、何にも染まらぬ白い存在があった。

 渦巻く熱と絶叫の中で、その声はあまりにも澄んでいた。


 『異端者には火を! 救済を望むものは灰を踏み踊れ! 燃やせ、踊れ! 

  罪人の魂に救いなし。天から戻る導の体を灰に帰せ! 燃やせ、叫べ!

  穢れを火で滅せよ。神に恭順するものは此処に示せ! 燃やせ、歌え!』


 白き侵略者たちは、歓声をあげ火をかけ、燃やし、灰になった村人を踏みにじった。

 侵略者たちは、死後、肉体に魂が戻り、然るべき時に神が楽園に導くのだと信じていた。

 だからこそ、侵略者たちは異端を、自分たちに恭順しないものは火にかける。肉体の消滅は楽園に至る資格を永久に失う。それは死よりも恐れるべきことであった。

 だから彼らは火をかける。

 自分たちの神を信じぬ、ちっぽけな集落を異端として、見せしめのように燃やす。

 


 その中で自分が生き残ったのは、神の化身の気まぐれに過ぎなかった。

 それでも、己の黒髪と浅黒い肌は蔑まれた。王族が白の肌と髪を持っているからこそ、この国では色が薄いことが好まれる。黒は明らかに侮蔑の対象であった。

 しかし、集落に火をかけよと命じた白き神は、生き残りの少年を自分の側近にすると命じた。

 神の言葉には誰も逆らえない。神の言葉に誰も反対することはできず、その代わりに、すでに全てをなくした少年から、人間である証を奪い、奴隷以下の身分にし、恭順を迫った。


『お前は異端の民であり卑しい身でありながら、陛下の恩情によって生き延びた。

その奇跡を神に感謝せよ。その身全てを主に捧げよ。その命賭けて王に仕えよ。

しかし自分を人間と思う勿れ。お前は神の恩寵を受けて生き延びた只の畜生以下。

名は人間にのみに許される。お前から名前を奪う。今後一切名乗ることを許さぬ。

さあ、恭順を示せ。お前たち異教徒の神紛いの絵を踏み、主に誓いを立てよ』


 目の前に用意されたのは灰を被り、自分たちの神話を模した焦げている板絵。

 名無しとなった自分は、己を蔑む白い騎士服の男たちではなく、まっすぐ、純白の王を見た。


 『……この身を、全て我が主に捧げることを、誓います』


 死んだ村人の灰を被った板絵を踏み、言祝がれることもなく、この国で最下層の身分を得て、主の側に仕えた。

 それから数年。名無しと黒い容貌を蔑まれながらも、少年から青年へと成長し、少しの反攻の意思も見せず、ただ静かに自分の主につき従った。時には自分の体を犠牲にしてでも主を守り、全ての言葉に諾と返し、静かに忠誠を尽くしてきた。

 そして今、自分の命を気まぐれに拾い上げた主は、次は主自身の命を奪えと命じている。


「我が命を受けるか」

「主の仰せのままに」

「我だけではなく、残っている数少ない王族もすべて殺すのだ。名を得ることで神たる証を捨て、人間となった傍系は手にかけなくてよい。むしろそのほうが都合がよい」

「全て貴方の意思通りに」

「我を殺した後、お前に二つの命を下す」

「我が主の望みのままに」

「我を殺した後、我の死体を残すな」

「御意」

「もう一つは」


 血色の眼で、主はひたり、と見つめてきた。

 まるで、呪いをかけるかの如く。


「お前が自死することを許さぬ」


 暁が明けた白い部屋の中、密命が下された。


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