姫が姫でなくなることを願うわけ

 赤い奇跡がほぼ直角に曲がる。


 リーアが叫ぶのとトーチャが急に方向転換して見せたのはほぼ同時だった。


 残る残火に鼻先を焙られながらもその身にこげの一つもつかなかったお父様、この国の王であるらしき男は、しかしその場にへたり込み、ばたりと倒れる。白目をむいて気絶している様子だった。


 それを前に、ただ純粋な驚きの表情を見せる偽姫、その背後の玉座の裏、隠されていた秘密通路からぬぅっと現れる影があった。


 それは大きな人影だった。


 その背丈はケルズスよりもわずかに劣りながらも体重は間違いなく超えており、赤と黒のドレスに包まれたほぼ体は、ほぼ三角錐に大きめの胸のふくらみを付けて辛うじて女性らしさを保っている。だけれどもその全身はまるで液体が詰まった皮袋のように張り、弾んでいた。どことなくリーアに似た吊り上がった眉毛、その上の眉間には皺をよせ、さらに上の銀の髪の上には王冠が乗せられていた。


「お母様」


 リーアがそう呼んだ女性は、一瞬だけ表情を緩めるも、すぐにまた眉間に皺を寄せ直す。


「立ち去りなさい侵入者たちよ。ここは己らのような下賤なもの共が老いそれと踏み入れて良い場所ではないぞ」


 威厳と威圧感、張りのある声には、この四人でさえもが思わず身構えてしまう威厳があった。


「嫌です」


 けれども、リーア一人だけが真正面から受け止めていた。


「妾はリーアです。ハードエッジ王国ファーストフォリオ王家次期女王後継者、七代目女王のレイア女王とその婿王ブラッド、お母様とお父様の娘の、リーアです。お覚えでないのはそこにいる、偽物による魔法にかかってのこと、お疑いでしたら今一度、王冠の魔力をお便りください」


 家族観とは思えない、大人びて他人行儀な会話、だけどもリーアはヘソの前で組んだ手を強く握りしめていた。


 感情に流されず冷静に、王女への正しい応対をすることこそが最善手、リーアが絶える理由だった。


 そんなリーアを前に、女王は終に母親の顔を見せる。


「何故なのです。何故、今日なのです。せめて日にちが違っていれば、こんな大変なことにはならなかったはずなのに」


 この言葉に、一番の驚愕を見せたのは偽姫だった。


「まさか、私の洗脳が?」


 問いに、女王は頷く。


「だいぶ前に解除されていました。いえ、正確には解除できる状態のまま、ずっと放置してきました。そうすることがリーア、あなたのためだったのです。そしてそれは今からでも遅くはありません。今すぐこの国を出るのです」


「お断りしますお母様、せめてその理由をお教えください。でなければ、妾はこの者たちと共に、場に留まります」


 なんかそれっぽい、王族っぽい会話に入れこめない四人は、急に振られてどうしていいかわからず、とりあえずそれっぽいポーズをとった。


 そこに女王の小さなため息、普段なら侮辱とぶちぎれてるところながら、流石に場の空気がそれをさせなかった。


「リーア、落ち着いて聞いてください。もう間もなく、この国は滅びます」「ぷえっくしゅん!」


 ……重い告白に割り込む下品なくしゃみは、ダンからだった。


 反射的に向けられる非難の眼差しにダンは鼻を啜る。


「仕方なかろう、先ほどまでの戦いで体が汗で濡れておるのだ。体が冷えればくしゃみも出るだろう」


「それでももう少しおしとやかなくしゃみの仕方があるでしょう。せめて手で口を押さえるとか、ちゃんとやって下さい」


「すみませんねぇ。どぉぞ、お続けになって下さい」


「おいちょっと待て、国滅びるってこたぁ、王族も無効ってことで、別に俺っちがへりくだる必要ないんじゃねぇか?」


「何を言ってるのよ。この国が亡びるわけないじゃない。これは比喩的表現ってやつなのよ」


 そう、リーアが取り繕うも、女王の目は伏せっていた。


「お母様?」


 返事の代わりにダンが黙らない。


「しかしなんだ? 私には滅びると言ってもその兆しはなかったように思える。民は普通だし、軍は、問題あったが、それでも犯罪を隠蔽しようとしてた当たり小物、反乱の兆しもなかったように思えるが?」


「珍しく僕と同意見ですね猫のくせに。対外的にも問題ないかと。戦争前段階ならば観光客は逃げ去ってますし、僕たちも入国できなかったはずです」


「疫病もねぇ、天災もねぇ、くいもんは売るほどあった。ちっとも滅びそうにないぜ」


 マルク、トーチャ、普通に会話始めた。


「はぁん。てぇこたぁ、目に見えない原因てぇことだなぁ。例えば経済とか」


 ピクリ、ケルズスの発言に女王の眉が反応したのを見て、それが正解だと知れた。


「そんなはずないでしょ。この国は安泰よ」


 それをリーアが否定する。


「ここ最近は大きな災害もなかったし、今年はウマイモが豊作だったし、鉱物資源だって、トパーズの採掘量が過去最大よ? 他の鉱物も順調で、なのに経済がピンチとか」


「それです」


 ポン、とマルクが手を叩く。


「トパーズのような宝石の使用方法は主に二つ、一つは文字通り宝石として、そしてもう一つが魔法の触媒としてです。そして絶対数は後者の方が多い。そしてその大半は武器として、即ち軍地転用に用いられています。鉱物もまた、剣に盾に鎧に、軍事利用されるのが一般的です」


「だから何よ。武器になるようなものを売っててもここは永久中立国よ? お金さえもらえればどこへでも中立に物を売るの、敵なんか作りようがないじゃない。もしできたとしてもだったらさっきの戦争の話、その兆しは無いんでしょ?」


「えぇ全くありません。それどころか、世界中で戦争が激減してるんです。大きなものはそれこそ、あの魔王との戦争までさかのぼらなければなりません。それさえも十年近くは前の話ですがね」


 マルクの言っている戦争、世界を二分した大戦のこと、当然この国は参戦してなかったけれども、魔王が貿易を行うはずもなく、一方的に同盟軍に色々と売り付けていたと、リーアは教わっていた。


「あの戦争は、当時は百年続くと言われてました。けれども突如として魔王が封印され、混乱の中で事実上休戦、現在に至っています。ですがもしも、そのまま戦争が続いていたとしたら、この国が売る鉱石類は莫大な利益を生み出していたでしょう」


「ちょっと待ちなさい。それって、つまり」


 混乱するリーアの中で何かが繋がり駆ける。


「周りくでぇ、つまり何なんだよちゃっちゃと言いやがれ焦がすぞてめぇ」


「それが人に話しを、まぁいいでしょう。つまり、その時に立てた経済計画で借金重ねて、だけども収入へって計画狂って、今更首が回らなくなってるんです。何で、首が回るって表現なのかは僕にもわかりませんがね」


 それで、全部が繋がった。


 やる気のない公務員、下まで降りない予算、無駄に大きな箱もの、裏金を作ろうとする軍部、全部が昔の繁栄のツケを今払ってるからだった。


 だけどもそれでもまだ疑問が残る。


「待て。それで借金があるというのはわかる。だがしかし、それでも国が亡びるほどではなかろう。その前の前段階、国土なり貿易権なり技術なり、売れるものはまだあるだろう。それができなくなって初めて滅びるのではないか?」


「そりゃあ、人間相手にしたらな、話し合いで何とかできるだろぉぜ」


 ダンの指摘、リーアと同じ、これにケルズスが真面目な声で応える。


「だけども精霊は別だ」


 一言、それを肯定するように女王は目を瞑った。


「そもそも我ら王族とは何か、それは権力でも血筋でもなく、交渉人である。この国に住む人の中の代表として、精霊たちと交渉し、向こうからは魔法を貰い、代わりに供物をささげる。個々の精霊との契約は各貴族が行うにしてもその中心は必ず我ら王族が行う。そしてその契約は絶対であり、破られれば一切の魔法を失うことになる」


 女王はそっと目を開き、そして天井を仰ぐ。


「……契約したのは先代の女王、余の姉でした。鉱物の需要は伸びると、採掘量を増やすため無茶な契約を結び、そこにほころびが出る前に引退なされた。そしてこの崩壊は始まっていたのです」


 そして再び正面を見据えた女王の表情は、よりリーアに似て見えた。


「余が女王になって初めて露になった返済計画の失敗、慌てて様々な試みを試すも空回り、上手く行かぬままに、次の期日、即ち今日までにどちらかを選べと言ってきました。一つは魔法の停止、これはジーン教会も含まれており、選べば国際紛争どころか治癒魔法の停止による直接的な被害が、計り知れない。そしてもう一方は、生贄を、王族の血を捧げよと」


 まさかの発言に場が凍る。その中で、女王がやっとの思いで頷いて見せる。


「王族の血筋の体を捧げよと、しかし先代女王は行方知れず、当代女王の余は更に次の返済のために生きる義務があり、そして婿であるこの男は血筋でもない、と」


 そうして残された一人、リーアが口を開く。


「つまり、妾が死ななければ、国が亡ぶと」


「そうはさせません!」


 即答、女王が否定する。


「今現在も精霊とは交渉を重ねています。結果更に借金を増やすことになろうとも必ずあなたの安全だけは守り通して見せます。精霊も事情を知れば」


「それは、私のことですか?」


 声の主、偽姫が玉座より立ち上がる。


 忘れてたわけではない。けれどそれよりも優先度の高い話に置いてかれて、だけどもその表情は、不気味なほどににこやかだった。


「つまり、私は代わりの生贄だったんですね」


「違う。そうでは」


「ではなんです?」


 クルリクルリ、偽姫は一人、みなが囲う中でスカート揺らして優雅に踊る。


 皆さんが洗脳の魔法にかかりやすかったのはリーアが嫌いじゃなくて好きだったから、私が姫であり続けられたのは私の努力じゃなくてそっちの方が都合が良かったから。これで、精霊のもとに連れて行って、あわよくばそのまま生贄に、ダメでもこんな事情があったから勘弁してくださいと言い訳できる。完璧じゃないですか」


 クルリ、大きく揺れてスカート広げ、そして優雅に御時期して見せる。


「つまり私は、偽物から身代わりになれたんですね」


 その顔は、痛々しいほどに笑顔だった。


 そしてそこに、女王が言葉をかける前、リーアがその顔を心に刻む間、四人が察して飛び出す前に、二人が、本当に忘れられていたモカとモコが動き出す。


 飛び掛かったモコが四人をけん制、道を作ると、モカが両手を伸ばし、右腕がリーアを捕らえ、同時に左手がに偽姫を抱きかかえるや駆けだした。


「安心してください」


 偽姫、言葉を残す。


「女王様が選べなかった二択、私が選んで差し上げますわ」


 そうしてリーアまたしも攫われた。

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