名前のない過去

「……奴隷が何か、どのような存在かは、ご存知ですか」


「知ってるわよ。それぐらい」


 応えるリーア、だけど動揺を隠せていなかった。


「そんなに意外でしたか? それともそんな話は遠い世界のファンタジーだと? でも事実です。奴隷は未だに沢山とらわれていて、各地で取引されている。それはあなたの大好きなこの国でも奴隷貿易は行われいます」


「何よ。そんなわけ」


「事実です。証人はここに」


 偽姫、両手の指先で自分の顔を仰ぐように指し示す。


「もっとも、こちらは売る方ではなく買う方なので、特に問題にもならず、話題には上がらないようですけどね」


 コロコロと、これまでと同じように偽姫は笑う。


「お年寄りのお話では、建国時は労働奴隷を沢山買い込んでいたそうですね。ですがそれもひと段落、時代の流れに沿って禁止にされたそうですけど、裏ではしっかり文化が残っていたんです。ただし労働力ではなく愛玩用のペットとして、量より質を求めるように、ね。私もそんな中の一人でした」


 淡々と、まるで普通の会話のように話し続ける。


「私は物心ついた時から奴隷でした。親が誰なのか、攫われてきたのは売られてきたのかもわかりません。ただ、私はずっとあなたの、リーアの模倣だけをずっとさせられてきました。ご存知でした? リーアさんに耳掃除してもらいたいって人は多いんですよ?」


 そう言って椅子に座り直す偽姫の姿にリーアは息を飲む。


 その仕草、姿形、一瞬だったけど、まるで鏡に映したように、リーアそっくりに見えた。


「そういう人たちに満足していただけるように、あなたの代用品になれるようにずっとずっと、何が好きか、どんな風に笑うのか、何度も何度も練習させられてきたんですよ。おかしいでしょ? 自分のことは何にも知らないのに、あなたのことばかりわかってる。だけど私は、どんなに努力しても、結局あなたの代用品でしかなかったんです」


 偽姫、その笑顔が溶けるように、違う笑顔に、より生々しい笑顔に移り変わった。


「酷い話でしょ? 私もそう思っていました。それでも仕方ないことと諦めていたのですが、これを手に入れて全てが変わりました」


 そう言って手の赤い宝石の指輪をかざして見せる。


「それと『洗脳』の魔法、どちらも奴隷をよりスマートに育成するために持ち込まれたもの、こっそりと盗み出すのは大変でしたよ。それに長い時間練習が必要でした。けど、私には人の心を操る才能があったみたいで、見事この通り、国一つを私の思い通りにできるまでになったんです」


 そう言ってうっとりと指輪を見つめる偽姫が、急にリーアの方を向く。


「…………何で私が? いえ何で妾が? って顔ですね」


「……何よ。その通りよ。復讐するならその奴隷にした人たちにしなさいよ」


「もちろん、真っ先にしましたよ。この洗脳魔法の実験台としてね。そちらはご心配なく、ちゃんとすっきりしました。悪は滅び、正義はなされたのです。けれど私にはまだ暗い感情が、あなたに対して残っていました。だってずるいじゃないですか?」


「ずるい?」


 リーアの言葉に、偽姫は嬉しそうにうなずいた。


「だってそうでしょ? あなたはただそう産まれただけであなたになれる、あなたをしている。何不自由なく、努力も研鑽もなくて、ただそれだけであなたと、リーアと、姫様と呼ばれてる。対して私は、努力して研鑽して、それでやっとリーアの名前と、姫の立場を手に入れた。どちらが相応しいか、おわかりですよね?」


「何よ。わかるわけないじゃない」


 リーアの反論にまた、偽姫は嬉しそうに笑って見せる。


「そうですか? でも皆さんはそうは思っていなかったようですよ?」


 そう言って大げさに両手を広げて見せる。


「私は確かに洗脳の魔法に長けています。ですが、それだって万能ではないんです。例えば『最愛の娘を他人とを入れ替えなさい』なんてやったところで、早々かかるものではありません。こうまでうまく行ったのは依然話した例えで言えば燃えやすかったため、この場合はということなんですよ」


「な、そんなわけ!」


「ない、ですか? 本当に?」


 偽姫、笑いながらも声は鋭い。


「あなたは、姫として、リーアとして、相応しい行いをしてきましたか?」


「もちろんよ!」


 声を荒げるリーアに、偽姫は冷静に、だけど容赦なく問い続ける。


「本当に? そう思っているだけではないのですか? これまでどれだけ周囲にわがままを言いましたか? 迷惑はどれほどかけてきましたか? 最後に人にお礼を言ったのはいつですか?」


 ……応えられないリーアに、偽姫はすぅっと立ち上がり、鉄格子の取り出し口から、すープの入っていたボウルを取り上げる。


「これ、煮すぎてて味がなかったでしょ? でもそれが正しい、そういう料理なんです。名前は、忘れてしまいましたが、ここより北側の島国の料理だそうです。これ、実は私も一緒に食べてたんです。もちろん笑顔で、作った人たちにお礼を伝えるのはもちろん、どこがどんなに良かったか、今日はどこが優れてたか、ちゃんと感想を加えてね。あなたには、できますか? やろうとしてましたか?」


 そんなこと、考えもしてなかったリーアの前で偽姫はボウルを持ったまま軽く、優雅に踊って見せる。


「私にはできます。やってきました。何をされても笑顔を崩しません。演説も間違えませんし、退屈なイベントにも真面目に参加します。相手が望む姫になって見せますし、これまでもそうしてきたのです。私は、誰もが望むお姫様になり切る覚悟があります。そんな私と、あなたと、どちらが姫に相応しいと思いますか?」


 一方的に言われて、反論したいリーア、だけど言葉が上手く出てこない。


 そうしてる間に頭に浮かぶのが四人のこと、あの焼肉屋での、言ってしまった言葉足らずな酷い言葉の数々、それだけで全部論破されている気分だった。


「……でもこれだけは、お礼を言わせてください」


 そんなリーアに偽姫は、それこそお手本にしたいぐらい綺麗な微笑みで語りかけてくる。


「最初私は、あなたに酷いことをしようと考えていました。同じ奴隷に落したり、あるいはここにずっと閉じ込めておいたり、だけどそれではただあなたが可哀そうな被害者になるだけ、本当にあなたが姫に相応しいかどうかがわからないままで終わってしまうところでした」


 そう言ってやうやうしく、偽姫は頭を垂れる。


「逃げ出してくださり、ありがとうございました。あなたが逃げ出して、自由になった先で、あなたは本性を現してくれました。あちこちを破壊して、人々から仕事を奪って、時にはお祭りで遊んだりして、自由気ままに、姫ではない自分を満喫していた。これが姫という仮面を外した本当のリーアだと、証明してくださったんです」


 本当に、言葉に華の香りがついてそうな優雅な物言いだった。


「ですから、あなたの記憶だけは最後まで弄りませんからご安心を。こちらの雑務が終わり次第、また同じように自由にして差し上げますわ。そうしてみっともなく我儘に、みすぼらしくのたれ死んでくださいませ」


 華の香りのついた毒舌に、リーアに浮かび上がる感情が何なのか、理解できなかった。


 ただ、言いたいことは沢山あるのに何も言えてない自分が悔しくて、歯を食いしばり、目頭が熱くなってるのを必死に否定していた。


 それを満足げに見下ろす偽姫、その間禄は本物のひめであるかのようだった。


 そこに、横から現れたモコが偽姫へそっと耳打ちをする。


「……まさか、助けに来たと?」


 その一言で、リーアには想像がついた。ただ、にわかには信じられなかった。

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