第21話 少女、竜と戦う

 これはナハトにも褒められたことだったが、アンジュは目がいい。

 単純な視力のみならず、動体視力だったり、視野が広いことなど、様々なことを含めたうえでの、目がいいのだ。

 おかげで大抵のものは動いていても見えるし多少遠くてもはっきりと見えている上に、これまでの訓練の成果か、相手の弱点を見つけることが出来るようになっていた。

 もちろん、弱点と言っても色々あるが、アンジュが最も得意としているのは、相手の重心や力の入り具合、動きから、どこを崩せば相手の姿勢を崩すことが出来るのか、といった、弱点であった。

 これまで、そのおかげで戦闘をする際には相手の体勢を崩し、勢いを崩し、そして致命傷を与えて即座に離れる、といったような、先手を取りに行くような戦闘ではなく、言うなら後の先のような戦闘スタイルを磨いてきていた。


 そして、今この状況において、心の底からこれまでの自分のスタイルで良かったと思っていた。

 黒竜と対峙してしばらくの時間が経過していたが、今なお動けているのはそのスタイルが生き残るためには最適な動きだったからである。


 アンジュを踏みつぶそうとしてきた足を、黒竜の身体の位置や周囲の状況、自分の体勢も鑑みて比較的安全な場所へと避ける。

 アンジュを打ち据えんと振られる丸太のような尾を、自身も屈みながらも剣の腹で少しだけ上に向かって逸らす。

 アンジュに向けて飛んでくる大量の魔術を、急所には当たらないように、避けきれないものも負傷を軽減するために自身も魔術を使って防御。

 焦れたように何度も吐いてくるブレスも、ほぼ直線にしか進まないので黒竜の顔の向きから着弾地点を予測し、吐かれる前に回避。


 一つでも失敗したら良くて重症、悪くて即死なのだから、一瞬たりとも気が抜ける訳は無かった。

 それでも回避行動をとるだけならば少しずつ慣れてきて、考え事をする余力ぐらいならば絞り出せるようになってきていた。

 そうなってから最初に考えていたのは、何故、黒竜がこんな森に降りてきているのか、という事だった。


 竜とは、普段は山の頂上や海の底、空の上などの自分の住処のあるところから出てくることは無い。

 それだけ大きい身体をしているのだから、食事のために多くの獲物を必要としそうなものだが、彼らはその身に余る魔力が、身体を循環しているので食事による栄養補給をさほど必要としていないのだ。

 稀に住処から出てくることがあるとしても、それこそ遠い空の上を飛行するのみで、森に降りてくるのは中々に珍しいことなのだ。

 降りてくるときなど、怒っている時か、機嫌のいい時しかないと思われていて、今現在、アンジュを襲っていることから考えるのならば明らかに怒っているのだろう。


 問題は、黒竜を怒らせるほどのことなど、早々には思いつかないという事なのだが。

 実際、アンジュが怒らせたわけではないだろう、黒竜と対峙するのは今が初めてなのだから。

 かといって、アンジュに対して何も思うことが無ければ、虫の居所が悪かったにしてもここまで執拗にアンジュに向けて攻撃を繰り返してくることは無いだろうから、今はアンジュに対しても何かしら感じているものがあるのだろう……存外粘るアンジュにプライドが傷ついたとかいう事でなければ。


 もともと黒竜はこの世界でも最強と思われる存在、だからこそ住んでいる場所も人跡未踏ともいえるような、厳しい環境なのだから、そこにちょっかいを出しに行けるような存在はそう多くはない。

 よしんば到達できたとしても、そこから黒竜の目を盗んで何かしらをしでかし、その後逃げ去ることが出来るというのも考えると、ほとんど何が起きているのか、アンジュには分かりようも無かった。


 そんなことを考えながらも、意識は目の前の黒竜にあり、今も自分のすぐそばを通過していく火球や石の礫を避けながら、時間は過ぎていくのだった。





 忌々しい。

 黒竜は目の前で自らと対峙してしばらく時間が経つというのに未だに動き回っている人間を見てそう思った。

 竜の中でも最たる強さを誇る自分が、こんな小さな人間を未だに消すことが出来ていないことが、なんとも腹立たしいことか。

 今のところ、この人間に何をされても自分の身体に傷がつくことはないので、負けることはあり得ないことだが、それでも未だに目の前の人間が自分の攻撃を全て対処しているというのは、非常に面白くないことだった。


「グルルルル……」


 うめき声に魔力を乗せて、魔術をいくつも展開して飛ばすが、徐々に対処する手際が良くなってすらいるようで、無傷でやり過ごしている。

 ……認めよう、この人間は強い。

 単純な膂力などの話でなく、自分の持てる手段を使い、そして組み合わせて自分の攻撃に対応してみせている、技術の幅と使い方が非常に上手いのだ。

 片手間で殺せるような存在ではないのだろう。

 そして、もう少しだけ遊んでみることにした。

 この人間がこの先どのような存在になるのかは知らないが、少しだけ、どこまで行くのかを見て見たくなった。

 もとはと言えば、我が住処に侵入してきて、それどころか自分から血を吸おうとした不遜な吸血鬼を滅するために出てきていたが、とりあえずは死んではいないだろうが深手は負わせたはずだし、もういいだろう。

 今はそんなことよりも目の前の人間に構っている方が楽しいはずだ。


 さて、一体この短い時間で、どのような成長を見せてくれるのかが楽しみだ。

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