第19話

セカンドシングルが順調に売れているそんなさなか。

学校では、色葉が隣にいていなしてくれるおかげで知らない人間に馴れ馴れしく話しかけられるという事態は一日で終わった。

ひそひそと否定的な事を言っていた人間が、さも以前からの友人であるように歌詞について話しかけてきていた事に、何だかなと思う。

パタパタと朝のHRに必要なプリントを、先生に頼まれて教室に運んでいたときだ。

まだ早い時間だから生徒は少ない。

紗々芽は朝起きてジョギングするのが日課なので、朝は好きだった。

「甘滝さん」

呼ばれて振り向けば、見覚えのない男子生徒が立っていた。

 紗々芽は何だろうと向き直ると、男はにこりと笑みを浮かべてみせた。

「俺、Bクラスの中村っていうんだけど」

「はぁ」

 突然の自己紹介になんと返したらいいのやらと生返事を返すと、中村が一歩前に出てきた。

 思わず一歩後ずさる。

 小さな紗々芽は男子と対峙するとかなり威圧感を感じるのだ。

 中村は平均的な身長だろうが、紗々芽は平均以下なのであまり近づかないでほしいと思う。

「いきなりなんだけど、君が好きだ」

「へ……?」

 思いもしない言葉に、紗々芽はプリントを手放しそうになったのを、すんでのところでこらえた。

 こんな場所で散らかしたら大変だとこんがらがった頭で思う。

「それで、付き合ってほしいんだけど」

「む、むり!」

 反射的に答えてしまっていた。

「どうしてか聞いてもいい?」

 秒速で断ったら中村が驚いたように口をぽかんと開けていた。

紗々芽は人がいないことをきょろりと思わず確認した。

 こんなところを見られて噂でもされたら、両方にとってよくないだろう。

 へにょんと眉を下げられて、即答した自分が悪いような気がしてくる。

「や、付き合う、とか……考えたことも、ないし」

 しどろもどろに答えながら、脳裏によく告白を断っている色葉がよぎった。

 よくもまあ、こんなことをズバッと終わらせられるなと思ってしまう。

「入学した時から気になってたんだ。けど多々見川さんがいつも一緒にいるから、声かけられなくて」

 中村がすらすらと喋るのを聞きながら、紗々芽はどんな反応をしたらいいかわからず、だんだんと俯いてしまった。

 長い髪が顔を隠していくなか、気のせいか耳が熱い気がする。

 男の子なんて中学の時もあまり話したことはない。

 あわあわと何か言わなくてはと思いながらも、なんと言っていいかわからず口を開閉する紗々芽に。

「甘滝さんのこと、俺が守りたいんだ。よかったら考えてみて」

「あ……」

言うだけ言ってしまうと、中村はじゃあと言って去って行ってしまった。

あとに残された紗々芽は初めての告白に赤くなったり、どう断ろうかと青くなったりしていた。

彼氏なんて考えたこともなかった紗々芽にとって、これはどう扱ったらいいかわからない案件だ。

しかもアイドルをしている以上、一応恋人は駄目なんじゃないだろうかと、真面目な紗々芽は考える。

それに好きでもない人間と付き合えるほど器用でもない紗々芽は、結局丸一日どうやって断ろうかと考えており、色葉や秋子に変な目で見られた。

二人には告白されたなんて言ってない。

どうせ断るのだから中村に悪いと思ったし、自分なんかが告白されたなんて恥ずかしくて言えなかった。

そんなわけで放課後、紗々芽はまだ中村が教室にいることを願って、Bクラスの教室まで足を運んだ。

色葉には用事があると言ったら教室で待ってると言われ、あいかわらずさに思わず笑いを零した。

カラリとBクラスの教室を少しだけ開けて中を覗くと、ちょうどよく中村が友人の男子と談笑していた。

この場で言うのは中村に悪いし、呼び出すのもなんだか邪推されかねないのではないかと思い、どうしようかと紗々芽が考えるようにうつむいてサラリと髪が流れた時だ。

 室内から話し声が聞こえてきた。

「お前、マジで甘滝に告白したんだ」

「いやだって色葉ちゃんとお近づきになれるかもしれないだろ?」

 中村の答えに、教室の外にまで笑い声が響いてきた。

「悪い男だな」

「守るって言ったらポーッとしてたぜ。それにあんな地味でもアイドルだからな、箔がつくだろ」

「胸ないけどなー」

 ゲラゲラゲラ。

 笑い声を扉の外でぼんやり聞いていると、そっと何かに両耳を塞がれた。

 何だと思ったけれど、それが体温のある人の手のひらであることに気付いた。

誰だろうと考えたが自分にこんなふうに近づいてくるのは色葉しかいない。

 待ってるなんて言ってたのに、ついてきてたのかなんて関係ないことが頭に浮かんだ。

 廊下の窓から差し込む夕日が二人をあけ色に照らし出す。

 影が教室の扉に伸びて、紗々芽はなんともなしにそれを眺めた。

 ガラリ。

 帰ろうとしたのだろう。

 目の前の扉が開き、二人の男子生徒が出てきた。

 耳を塞がれているので聞こえないが、二人とも目を見開いたあと青くなって口を動かしたので、しまったとかそんな事を言ったのかもしれないと紗々芽がぼんやり目の前の中村を見ると。

耳を塞いでいた手が離れ。

凛とした姿勢の後ろ姿が前に出て、バシンと甲高い音が廊下に響いた。

「てぇ」

「い、いろはちゃん」

 やはり、耳を塞いでいたのは色葉だったようで。

 紗々芽には真っ直ぐな背中しか見えないけれど、音で力いっぱい色葉が中村の頬を手のひらで叩いたのだとわかった。

 呆然として、いやこれはとか違うんだと言う男二人だったが。

「行って」

 色葉の短い命令に、顔を見合わせるとバタバタと廊下の向こうへと消えていった。

 あとには赤く照らされた廊下に色葉と紗々芽の二人きり。

「暴力は、だめだ」

 俯いたまま色葉の背中にぽつりと零したが、色葉は気が済まないというように手を握りしめていた。

 その手は力を入れすぎてか白くなっている。

「紗々芽を傷つけた」

「大丈夫、最初からそんなのだと思ってたから」

 慣れない事にあたふたしていただけで、何も本当に自分が告白されるような人間だなんて紗々芽はかけらも思っていない。

 だから、笑って平気だと言おうとしたら、ふわりとこめかみに色葉の唇が落ちてきた。

 なんだと小さく上を向くと、そのままぎゅっと抱きしめられる。

 柔らかな体といい匂いが鼻孔をくすぐった。

 色葉に抱きしめられるのは何回目だろうなどと思うと、今度は額にキスをされた。

「色葉?」

「こんないい女の価値がわからない人間なんて気にしないで」

「いい女って」

 あまりの過剰表現に小さく笑えば。

「いい女だよ」

 髪をさらりと撫でられた。

「可愛くて」

 目元に唇が落ちてくる。

「努力家で」

 頬に。

「優しくて、素敵な女の子」

そしていつかのように長い髪を手にとられ毛先に口づけられる。

「ば、ばか」

 頬がりんごのようになるなか、慌てて紗々芽は一歩後ろに下がった。

 するりと簡単にとけた抱擁に、自分の体温が上がっていたのだと気づく。

 キスなんてされて、女の子相手なのにドキドキとしてしまう。

「もう、なんだよ。うっかりときめいちゃうだろ」

 空気を壊したくて冗談まじりにおどけてみせたら。

「いいよ、ときめいて」

 存外、真面目な顔をした色葉がいた。

「あんな奴に守られなくたって、紗々芽の事は私が守るからね」

「守るって……まるで王子様みたいなこと言うなよ」

 長身の友人を見上げると。

「紗々芽の王子様になら、いつだってなるよ」

はっきりと真っすぐに見つめられて、紗々芽は一瞬、眉を下げた。

 そしてぽすんと色葉の胸に額をくっつけ。

「ありがと、嬉しい」

 少しだけ震える声で言葉を紡いだ。

 どうしてか、胸がとくんとくんと鳴っていて。

頬が、あつかった。

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