少女ニュートン

朽木桜斎

00 少女ニュートンの誕生

 どうして空は、青いのかな?


 どうして雨は、るのかな?


 どうしてにじは、出るのかな?


 少女・葛崎美咲穂かつらざき みさほは、広い空をながめながら、そんなことを考えていた。


 彼女にとっては、空が青いのも、雨が降るのも、虹が出るのも、フシギでフシギでたまらないのである。


 同じ幼稚園にかよう子どもたちからすれば、そんな彼女こそ、フシギに映った。


「ミサホちゃんは、ヘンなことを考えるんだなー」


「空が青いのも、雨が降るのも、虹が出るのも、ぜんぶ、あたりまえ・・・・・じゃないか」


「ほら、ミサホちゃんは、フシギちゃん・・・・・・だから、ね?」


 ふーん、ほんとうに、あたりまえ・・・・・、なのかなー?


 小学校へ上がる日も近づいた、ある夜のこと。


 春の温かいそよ風がときおりせる中、家の縁側えんがわにちょこんと座った美咲穂は、またボーっと空をながめていた。


 宝石を散りばめたような星空の中心に、バカみたいに大きな満月が、まるで王様のように輝いている。


 美咲穂は縁側で両足をらしながら、その満月とにらめっこをしていた。


天体観測てんたいかんそくかい、ミーシャ?」


 かっぷくのよい着流きなが姿すがたの父・征志郎せいしろうが、星空をずっとながめているむすめのことが気になって、後ろから話しかけてきた。


 征志郎はこの愛娘まなむすめを『ミーシャ』と呼んで、かわいがっていた。


「パパー、こっち座ってー。お月さまがとってもキレイなのよー」


「ほう、どれどれ」


 居間いまのほうからのそのそと歩いてきて、征志郎は美咲穂のとなりに、ゆっくりと腰かけた。


「わあ、ほんとだ。でっかいお月さまだねー」


「ねー、おっきいでしょー」


「なんだかこっちを、ジッと見ているような気がするね」


「ふえっ!? さすが、パパ! そうなのよー、そんな気がするのよー。だからこうして、にらめっこしていたのよー」


「わはは、ミーシャとお月さまと、どっちが勝つかなー」


「もちろん、わたしだわよー。お月さまを負かして、落っことしてやるんだわー」


「ははは、それは面白いね! じゃあ、がんばって、あのお月さまをいっぱい、にらんでやらないとねー」


「ぐぬぬ! ぜったいに、負けないわよー」


 美咲穂はしばらくまた、にらめっこを続けていたが、幼稚園での出来事をふと思い出し、ちょっと暗い気持ちになった。


 そしてそれを、信頼しんらいする父・征志郎に相談そうだんしてみようと思って、話を切りだした。


「ねえ、パパー」


「うーん? なんだい、ミーシャ?」


「幼稚園のみんなが、わたしのことを、フシギちゃんって呼ぶのよー」


「ほう、ほう」


「わたしは、空が青かったり、雨が降ったり、虹が出たりするのを、フシギだなーと思っているのに、それをみんなに言うと、みんな、わたしのほうがフシギだって、言ってくるのよー」


「ふむ、ふむ」


「ねえ、パパー、どう思う? わたしはヘンテコなのかな? 頭がおかしいのかな?」


「うーん、フシギちゃんかあ。なんともたいそう、名誉めいよな呼び名じゃないか」


「もう、パパ! わたしは真剣しんけんに、なやんでいるのよー」


「でも、ミーシャは、そんなふうに、空が青かったり、雨が降ったり、虹が出たりするのを、あたりまえ・・・・・とは、思えないんだよね?」


「そうなのよー。だからこうして、悩んでいるのよー」


「むっ、あたりまえのことを、あたりまえだと思っていると……」


「いると……?」


「いつかチンボツする!」


「チンボツって、どういうことなのー?」


「それにしても、キレイなお月さまだなー」


「ちょっと、パパ! 話をそらさないでよー!」


「なあ、ミーシャ。どうしてお月さまは、落ちてこないんだと思う?」


「え……」


「おかしいじゃないか。あんなに大きなお月さまだ。落っこちてきたって、フシギじゃないだろう?」


「ちょっと、パパ! 何を言っているの!? お月さまが落っこちるだなんて、考えたこともなかったわー!」


「ミーシャ、どうしてお月さまは、落っこちてこないんだと思う?」


「それは……うー……なんでだろう……?」


「それだよ、それ!」


「ふえっ!?」


「むかーし、むかし。いまのミーシャと、同じことを言った人がいたんだ。お月さまが落っこちてこないのを、なんでだろう、ってね」


「なんてこと、そんな人がいたなんて……パパ、それはいったい、だれなのー!?」


「ニュートン。アイザック・ニュートンという人さ」


「ふえっ! にゅーとん!?」


「ニュートンさんは、お月さまが地球とりあっていると考えて、その理由りゆう説明せつめいしたんだ。『万有引力ばんゆういんりょく法則ほうそく』というんだよ」


「ふえっ!? バンユウインリョク!? それに、お月さまとこの地球が、引っ張りあっているって、どういうことなのー!?」


「そうだなあ。そうだ、こうしよう。これを使って説明してみようか」


「その小石こいしが、なんだっていうのー?」


 征志郎は縁側にころがっていた石ころをひとつひろい、顔の高さまで持ち上げたところで、スッとつかんでいるその手をはなしてみせた。


 落下らっかした石ころは、かたい地面じめんにぶつかって、ポスっという音を出した。


「ほらね」


「なにが『ほらね』なの、パパー?」


「小石はこんなふうに、パパが手を放すと、ストンと落っこちちゃうだろう?」


「そんなの、あたりま……」


「んー? なんだって?」


「はわわ、わたしとしたことが、あぶなかったわー。でもパパ、それはいったい、どういうことなのー?」


「小石はすぐ、落っこちちゃうのに、どうしてお月さまは、落っこちてこないか、ということだねー」


「うーん、それは……なんでだろう……」


「おっ、いいね、ミーシャ。『なんでだろう』、また出たね」


「パパー、いじわるしないでよー」


「小石とお月さまの違い、何が違うのかを、考えてごらん」


「そんなこと言われたって、パパ。小石はお月さまより、ずーっと近くにある、それくらいしか、思いうかばないわよー」


「それだよ、それ!」


「ふえっ!?」


「ミーシャが指摘してきした、それが正解せいかいさ」


「セイカイって、パパ。キョリが関係かんけいあるっていうのー?」


「そう、それそれ、距離きょりなのさ。距離が大きくなるほど、引きあう力は小さくなってしまうんだよ」


片方かたほうが大きくなると、もう片方が小さくなるというのは、なんだかフシギだわー」


「フシギだろう。このフシギを調しらべるのが、物理学ぶつりがくという勉強べんきょうなんだよ」


「ふえっ! ブツリガク!?」


「いまのお月さまと距離の関係や、ほかにも、どうして空は青いのか、どうして雨は降るのか、どうして虹が出るのか、これらもブツリガクという勉強の仲間なんだよ」


「なんと、わたしが『フシギ』だと思っていたことは、ぜんぶつながり・・・・があったのねー」


「こういう勉強をまとめて、科学かがくと呼ぶのさ」


「カガク! 言葉が多すぎて、おぼえられないわー」


「ふふふ、ミーシャ。ノーベルしょうとか、取っちゃうかい?」


「ふえっ!? のーべる……って、なんなのー?」


「すごーい科学の研究けんきゅうをした人にあたえられる、すごーい賞なんだよ。どうだい?」


「ふえっ! わたし、ノーベル賞を取るんだわーっ!」


「ミーシャなら、100回くらい取れちゃうかもね、ノーベル賞」


「ふえーっ! 100万回ぐらい、取ってやるんだわーっ!」


「わはは、その意気いき、その意気」


 父・征志郎のはげましによって、美咲穂の心はすっかり晴れていた。


 ピカピカ光る満月が、そんな彼女を祝福しゅくふくしているかのようだった。


 このようにして、『少女ニュートン』は誕生したのである。

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