第10話

 ミツエにマサシの話を聞かせたのは、例の手紙の件で話をした後のことだ。


 狼狽するミツエはその身を千切れんばかりに捩らせ「あぁ……こ、殺してやる……ぁあの女ぁ……もぉ、殺す……」呻くように呟き続けた。


 エリももはや私にとって邪魔な存在だった。


 この機を逃すまいと私は、頭を抱え憤怒怨嗟するミツエに「考えがある」と告げた。


 そして私は邪魔な二人を始末するため、二重スパイとなったのだ。


 エリの死の筋書きも考えてある。

 夫の裏切りに激怒した正妻の手で、無理心中よろしく毒を盛られて死ぬ可哀相な愛人。

 エリにはこの、可哀相な愛人になってもらう。


 もちろんミツエにはエリだけを亡き者にする計画を伝えてある。

 正妻との略奪戦争に敗れた悲しみの中、死を選ぶ愛人を装えばいいのだ、と。


 エリのワインにはミツエの手によりトリカブトが仕込まれている。

 そうして命尽きたエリの遺体のそばに、エリ直筆の愛の讃歌の日本語訳を置けば自殺現場が完成するというものだ。


 ミツエがエリにリクエストし日本語訳を書いてもらった、愛の讃歌という歌。

 これはその昔、日本人歌手にもカバーされている。


 その際に日本語訳され発表されたものは、ひたむきで情熱的な愛の歌になっているが原曲はどこか死をにおわせる歌としても有名なのだ。


 ――もしも運命が私からあなたを遠ざけても、もしもあなたが先に逝ってしまっても、大丈夫よ。だって愛があるのだから。死んで二人の愛を永遠にするわ。私たち、確かに愛し合っていたわよね?果てしなく青い空の向こう、憂いなどもう何もない天国で、神様がまた二人を結びつかせてくれる――

『エリによる愛の讃歌訳詞一部抜粋』


 エリに特技のフランス語を披露させて彼女の遺書を用意するためと偽り、ミツエに和歌を書かせる流れを作った。


 まさかミツエも他人を陥れるための目くらましのひとつに過ぎないはずのそれが、自分を殺す計画のために利用されるとは思ってもいないだろう。


 我ながら良い計画を立てた。


 二人の協力者のおかげで、その二人ともを消す段取りがここまで順調に進んだ。


「乾杯」


 グイとワインを飲み干した。


 ミツエもエリも気持ちよくグラスを空にしたのを見て、私は不意に寂しさを覚えた。

 お別れの時なのだ。


 このような時に、このような時だからこそなのか、二人との楽しかった時間とその思い出が、掘り出されてすぐの湧き水のように溢れてきた。

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