第8話


「本当に素晴らしい腕前ですね」


 ミツエが詠んだ歌を書いた短冊をまじまじと眺め、ため息混じりにエリが言う。


 私には和歌の出来不出来は分からないが、やはり字は商品にできそうなくらい美しい。


 そんな様子を見てミツエも満足そうに微笑んでいる。

「奥様、私、好きな和歌があるんです。良ければお書き頂いてもよろしいですか?家に飾らせて頂きたいのです」


「あらいいわよ。どの歌かしら」


「瀬を早み岩にせかるる滝川の――です」


 当然だが、ミツエの和歌を堪能しても時間はまだまだ余った。

 私だけは不公平よ、とミツエが私たちの特技も見たいと言ってきたので、エリは得意のフランス語で歌を歌ってみせた。


 まずはクレモンティーヌ。

 日本のアニメの曲をカバーしたもので、サビはやはりクスリと笑える。


 次にフランス・ギャル。

 テレビCMに使われたこともある夢見るシャンソン人形だ、懐かしい。


 言うまでもない、エディット・ピアフ。

 時代が生んだ最高の愛の歌で、不世出かつ不朽の名曲。


 フランス語もだがエリの歌唱力も素人にしておくのも勿体ないと思えるほどだった。

 ストレス発散のためによくカラオケにも行っているからだとエリは言った。


「エリさん、最後に歌ってくださった愛の讃歌。特に素晴らしかったわ」


 ミツエはまだ歌の世界に浸ってうっとりとしたままだ。


「私もフランス語を勉強したいの。ねぇ、愛の讃歌の日本語訳を教えて下さらない?好きな歌ならきっと覚えやすいと思うの」


「ああ、いいね。私も日本語のカバーは知っているが原曲の翻訳は興味がある」


 ミツエが便箋があるからとエリに渡し、それに日本語訳と原曲をそれぞれ書いてもらって、ちょっとしたフランス語講座を開いてもらった。


 最後は私の番だ。


 披露できるような特技はないと開き直っていたのに、ミツエが「ほら、あなた、曽根崎心中の道行を」と楽しそうに言ってきた。


 避けられぬ運命に翻弄され、来世でまた必ずと死を選んだ男と女の話だ。

 これから邪魔な妻に死んでもらおうと考えているのに滑稽なことこの上ないなと思ったが、他にこれといって出来ることもない。


 変に拒否してこれからの計画に支障が出るようなことになっても困る。


「よし、三味線が欲しいところだが仕方ないな」


 ミツエがわざわざ座布団を持ってきてくれたので、そこに座り喉の調子を整え歌い出す。

「この世の名残り、夜よも……」


「トオルさん、ちょっと待って」エリが突然止めにはいってきた。


「なんだ、なんだ。気持ちよく歌っていたのに」


「私、曽根崎心中って名前は知ってるくらいの知識しかないの。歌詞を知りたいわ。まだ時間もあるんだし、便箋に書いてくれない?それを見ながら聴きたいわ」


「しょうがないなぁ」

 道行の段の原文を便箋にしたため、軽く解説も入れてやって再び歌い出すことにした。


 奇妙な特技披露パーティもたけなわとなり、ディナーを始めるのに丁度良い時間となった。

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