15. お洒落な事とかできないんだ


 来たる水曜日。すばるんをプロデューサー(仮)に向け入れ、カエデちゃんの前で初めて立つステージ。特別なモノが多く重なっている。


 自分の出番はともかく、今回限定でNew Portlandのサポートドラムを務めてくれる神田さんの練習時間が足りなさ過ぎるということで、早番後にその足でスタジオ入り。準備は万端だった。



「お疲れッ! 若造共!」

「あざっす神田さんッ!」

「……ういっす」


 で。たった今、New Portlandの出番が終了。楽屋に戻りながら三人で熱い抱擁を交わし、すかさずシェイクハンド。

 タオルで汗を拭く俺に続いてクールに決めるナオヤだが、珍しく口角も釣り上がっている。そりゃそうだ、一昨日とは比較にならない最高のライブだったのだから。



「流石は神田さんっす。マジでもう、パワーと威圧感がヤバいっすわ。ミスったら殺されるかと思いましたよ」

「フンっ、この程度のしょっぱい曲じゃどう足掻いても物足りねえからな。ヤキ入れてやったんだよ……それはともかくナオヤ、お前よくもやってくれたな?」

「……え。何がですか」

「惚けんじゃねえよ。俺にMCなんて出来るわけだろ。曲より緊張したじゃねえか、ったくよ」

「……サプラぁーイズ」

「可愛くねえ奴めッ」


 真顔でボケるナオヤの肩を割かし強めにグーパンする神田さん。あれだけハードな演奏をこなして飄々としているこの二人、やはり底が知れない。



「しっかしすげえ客入りでしたね」

「雨も降らなかったし、久しぶりに満員じゃねえのか。ユーマ様々ってところだな」

「ちょっ、よしてくださいよ、半分以上神田さんの客ですって。ライブ終わってあんなに騒がしくなるの久しぶりでしたよ」

「やめろやめろ。どうせ年寄りが生きているかどうか確認しに来るだけだ。法事みてえなもんだよ」


 現在、三組目の男性ギターデュオが本番中。六畳の狭い楽屋に設置された小型テレビにはフロアの様子が映し出されている。一組目のピンの男はすぐに帰った。名前も分からん。



「それにしてもStand By You、すげえ反響だな。10万再生とはやるじゃねえか」

「いや、急になんすか。嬉しくないっすよ」

「フンっ。まぁそうだよな……ガンギマリのコードジャカ弾きしか取り柄の無いお前が、下手くそなアルペジオ噛まして名前が売れちまったんだからよ」

「勘弁してくださいって……」

「今日もやるんだろ。少しくらい練習しとけ。New Portlandのノリでやったら大失敗するぞ」

「分かってますよ」


 一張羅の中古グレッチを壁に立て掛け、代わりのアコースティックギターを拵え最後の調整。建前では謙遜するが、今日の半分は俺の名前で予約されたチケットだ……30人以上の客が俺のステージを目当てに訪れている。


 いや、それも違うか。俺じゃなくて、スタバを聴きに来ているんだ。それだけは勘違いしちゃいけない。いけないんだけど……。



「……ユーマ」

「んっ」

「やれることだけやれよ」

「…………おう、分かってる」


 何かを訴えるような力強い瞳に、重ね合わせた拳とは対照的な頼りない返事。ナオヤには、今の俺はどのように映っているのだろうか。


 テレビ越しに届いた疎らな拍手は、まるで自宅で流し見るバラエティー番組のように心地良く耳を通り抜けていった。

 それこそが最も不要なモノであると、俺は証明したい。証明しなければいけなかった。他でもない、自分のために。






『……おはようございます。八宮のシノザキユーマですよろしく』


 前組が5分ほど早く終了したため、PAとの連携もほどほどにステージへ。薄暗い空間、ただ一人に当てられたスポットライト。三桁に迫る黒い瞳が荒い染髪と喉仏へ交互に集まる。


 すばるんは今日も変わらず後列右端に陣取り、パーカーのフードを深く被ってステージを見つめていた。隣には一緒に連れて来るよう頼んだカエデちゃんも一緒だ。



『たぶん、俺のライブ来たの初めてって人がほとんどだと思うんで。まぁ、いつも通りやらせて貰います。そこんとこ、頼みますわ』


 タイトルコールも無しに演奏を始める。一曲目は、数えて10作目のオリジナルソング『行けたら行くわ』という曲だった。


 コードを一心不乱に掻き鳴らすことを好む俺に珍しく、ゆったりと気怠く歌い上げるダウナーな楽曲。持ち曲の中では聴きやすい部類に入るし、次の「本命」に向けてオーディエンスの態勢を整える上でも効果的だと踏んでいた。



『急に誘うなよ 予定があるんだ』

『忙しいんだよ ほっといてくれ』


『行けたら行くわ そこには何も無いけど』

『行けたら行くわ 行けるところまで』



 棘だらけの荒々しいシャウト。どんなに喉の調子を整えても、スローな楽曲を歌っても、声質だけは変わらなかった。これが俺だ。俺というミュージシャンなのだ。


 どれだけ葛藤を重ねても、思い悩んでも。

 篠崎佑磨は、シノザキユーマにしかなれない。


 一番と二番は同じ歌詞だ。ギターのボディーを叩きテンポアップ。さあ、掛かって来い。もっと身体を縦に、縦に揺らせ。


 そうすれば、俺は俺で居られる。

 あんな曲を歌わなくたって……。




****




『…………ありがとう、ございました。シノザキユーマでした……』


 数えられる程度の拍手を背に、俺はステージを降りふらつく足取りで楽屋へと向かった。すぐ脇でライブを見ていたナオヤが声を掛けたような気がしたが、無視した。



(…………んなんだよ……ッ!!)


 楽屋の白い壁を叩き、テーブルの紙コップから水が零れ出した。タイムスケジュールが黒く滲んでいく。



 あの日と同じだ。


 一曲目の『行けたら行くわ』にはほとんどリアクションが無かった。この日のトリだというのに、後方にはスマホを弄り続けている客が何人もいて。そして二曲目の『Stand By You』を演奏し終わった瞬間、三分の一が帰った。


 受け入れ難い光景だった。誰もハイテンポのBPMに身体を揺らさない。音に耳を傾けていない。拍手は一つか二つしか聞こえない。そのうちの一つはカエデちゃんだったが、誰が送ったか分かる程度には疎らで、貧相で。



 違う。


 いつもの俺は、本当の俺は何処にもいなかった。スタバの幻影を引き摺って、どの曲も中途半端に終わってしまった。新曲などとてもやれなかった。


 初めからそうだ。スタバを活かすためのセットリストを組んで、弱腰のままステージに立ったのは、俺だ。俺が、俺自身が決めた、招いたんだ……ッ!


 

「……クソがッ!!」


 もう一度壁を強く叩く。楽屋にナオヤと神田さんが現れた。鏡に映った彼らは、俺になにか伝えようとして互いに顔を見合わせ、その口を啄んだ。



「あり得ねえ。あり得ねえよ……ッ! 安くないチケット代払って、なにを聴きに来たんだよ……ちょっとバズった程度の短い曲聴いて、それだけで満足か? 他の曲には一切興味が無いってのか? そんな……そんな馬鹿なことあるか……ッ!?」

「……落ち着けよ、ユーマ」

「落ち着いてられっかよッ!!」


 息を切らし振り返ると、その声の主が神田さんであったことに気付いた。大先輩への不躾な態度に俺は思わず我に返り、頭を掻き毟ってパイプ椅子へ腰を下ろす。



「……すんません、大声出して」

「分かりやすく迷いの出たステージだったな。いい勉強になっただろ……まぁでも、どうしようもなく悪いわけじゃねえよ。New Portlandよりかマシさ」

「…………えっ。ひど」

「お前はお前で客が見えてねえんだよ、ナオヤ……まぁ、パワーで押し切った分、差し引きゼロってところだな」


 唐突なdisに一人落ち込むナオヤを置いて、神田さんは俺の肩をポンと叩く。彼らしからぬ優しさも、今は傷口を抉り取るだけだった。



「お前の客、まだ何人か残ってるだろ。挨拶くらいしておけよ。大事だぞ」

「……少し時間ください」

「ああ、そうかい。ナオヤ、ちょっくら付き合え。老人のくだらねえ集まりには跡取り息子っつう肴が必要だもんでな」

「……えー。めんどくさ」

「つべこべ言わず着いて来い」


 神田さんはナオヤを引っ張って楽屋を出て行く。どんな言葉を掛けても今は届かない。彼もそう思ったのだろう。


 フロアには聞き慣れた神田さんセレクトのブルースロックが大音量で流れている。他の何よりも愛し憧れた、たった一つのプライド。



 なのに、どうして。

 聴きたくない。あまりにも、耳障りだ。


 どの口で言っているんだ。そう思う。


 裏切ったのは。裏切っているのは。

 いつだって俺自身なのに。


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