8. 僕らに足りないのはいつだって


「ヴェ゛ァ……死にてェ゛ェ……ッ゛!」

「吐くなよ、絶対にここで吐くなよッ!?」


 案の定ゲロゲロに酔い潰れてしまった玲奈を背中に乗せ、八宮から一駅離れた自宅まで運んでいる。夜空は馬鹿みたいに眩しい。街灯が仕事をしていない。


 なんなら電車に乗らなくても良いくらいのご近所さんである。出逢った当初はしょっちゅう宅飲みしていたが、双方あまりに部屋が汚いので最近は断り気味。



「もう無理だァ……死にてぇー……死にてェよぉぉ゛ぉォ……ッ!!」

「アイドルってなんなんだろうな……」


 これでもコアなファンに支えられている立派なビジュアルシンガーだというのに。写真でも撮られたら音楽家人生終わりだな。俺も。


 玲奈の自宅は俺より更にグレードダウンした賃貸の二階。風呂どころかトイレさえ無い今どき早々お目に掛かれないタイプの安物件。

 人間一人背負って階段を上るというこの世で最も残酷な仕打ちをどうにか乗り越え、やはり鍵の掛かっていないドアをサイドスローでブチ開ける。


 我が家に負けず劣らず、入った瞬間から煙草の匂いがエグい。全人口の喫煙率20パーセント以下とか絶対嘘だよな。玲奈でさえストレスで頭おかしくなってるのに。


 

「ほい、水。飲めるか」

「あ゛ーー助かる゛ーー……ッ」


 ベッドに叩き落しキッチンへ。

 水道水を汲み手渡す。


 回復体勢を取り器用に水をすすり飲む玲奈。道中死ぬほど吐いていたおかげで、どうやらこれ以上は部屋を汚さずに済みそうだ。俺の靴はビチャビチャだけどな。



「明日は? バイト?」

「遅番なんで問題無いっス……」

「起きたらいい加減に水回り掃除しろよ。排水溝からウンコみてえな匂いしてたぞ」

「玲奈嗅覚弱いんで……」

「よくそれで女やってるよな」


 自らビジュアルが強みと言い放つように、普通にしていれば玲奈はただの可愛らしい女の子だ。

 酒癖の悪さとタバコ臭いところと部屋中を覆い尽くすゴミ袋とパチンコ雑誌に目を瞑れば。瞑り切れない。失明する。


 音楽なんてやっていなければ、今頃大学生として真っ当なモラトリアムを謳歌していただろうに。つくづく勿体ない女だ。まぁ、俺が言えたことじゃないが。



「…………んだよ」

「いやぁ……寂しいなぁって」

「なに馬鹿なこと言ってんだよ。女か」

「うわぁ、残酷ぅー……」


 いくらスパッツ履いてるからって、ミニスカートでグダグダしやがって。不用心な奴だ。一人暮らしの部屋に男上げてる時点で何かが狂っていると気付け。


 ……マジで勘弁してほしい。そういうの、もうとっくに終わってるんだけどな。



「…………します?」

「この期に及んでなんだよ」

「それはそうなんスけどぉ……ワンナイトくらい良いじゃないっスかぁ……っ」


 とか言いながらアッサリ上を脱いで肌着を露出させる。人目も気にせず着替え出しただけか、暑いから脱いだだけか。そのどちらかであって欲しい。



「いやぁ。実際ユーマくん以来ずーっとご無沙汰なんでスよねぇ……相手も見つからんし」

「努力しねえだけだろ」

「ねーねー……一回で良いですからぁ。あっ、写真はダメっスけどね? 普通に、極めて普通に一発。ねっ?」


 物欲しそうに枕の隙間からこちらを窺う。

 いくら酔ってるからって、お前な。



(だから来たくなかったんだよ……)


 今でこそこんなダルい間柄だが、出逢った当初は玲奈も上京したての、割かしお淑やかな普通の女の子で。猫を被っていたと気付いたのは、なし崩し的に関係を持ってしまって一年ほど経ってから。


 お互い初めて同士でそのまま交際に至ってもなんらおかしくなかったのに、不思議とそのような流れにはならず。

 一年ほど前「今日からアイドル路線なんで禁欲します」と一方的に告げられ今日日に至る、なんとも説明し難い俺たちの関係性。



「正統派アイドルにセックススキャンダルはご法度なんじゃねえのか?」

「知らねえっスよそんなの……アンスコ履かないで客席ダイブするアイドルのどこが正統派だってんスか。ええ?」

「それはお前の裁量次第だろ……」

「もう無理なんスよぉぉ……こんな調子で続けてたってリンゴ姉さんにはなれないんスよ玲奈はぁ……限界なんスよぉォ……っ」


 十年以上も第一線で活躍し続けている女性アーティスト『星野林檎』に玲奈はずっと憧れている。確か出身が同じなんだっけ。


 愛嬌と色気を兼ね備えながら、どこか退廃的なオーラで老若男女を惹き付ける唯一無二のシンガー。玲奈も高校時代は星野林檎の所属しているバンドのコピーをやっていたらしい。


 が、芸術性を高く評価される星野林檎とは対照的に、今の玲奈は危ういパフォーマンスとポップロックでその場を凌ぐ無名アイドル。彼女も俺と同様、理想と現実の狭間で自分を見失ってしまった哀れな夢追い人なのだ。



「……もうちょっとだよ、玲奈。こないだのほら……名前忘れちまったけど、誰かのリリースイベント。完全に相手食っちまって、良いステージだったじゃねえか。絶望的にポップで暑苦しくてよ。マジで最高だったぜ」

「……ユーマくん」

「自棄になんなよ。やるしかねえんだ、他に活路はねえ。目の前の出来ることから始めんだよ」

「ホントっスよ……あんなゴミカスみたいな曲で……帰って来いや令和最強のロックンローラー……」

「……最初からいねえよ。そんな奴」


 ついぞ力尽きてしまったのか、伸ばした手がパタリと倒れ寝息を立て始める。姿勢が悪い、ちゃんと寝かせてやろう。眠っている奴を無理やりハメ倒す趣味は無い。



(笑っちまうよ。ホントに)


 自棄になるな?

 他に活路は無い?

 どこの誰が言ってんだよ。


 玲奈の言っていた通りなんだ。俺は俺に自信が持てなくて、とにかく分かりやすい結果が欲しくて、作りたくもない、歌いたくもない曲作って、ちょっとバズって、馬鹿みたいに喜んで。


 裏技? 近道? 違う、道から外れただけ。

 俺は、俺になるのを諦めようとしている。


 ムカつくわ。ホントに。

 何にどうムカついてるか分かんないけど。

 でも、ムカつくわ。なんか。



「…………帰るぞ、玲奈」

「……ゆーくん……っ」

「その呼び名、禁止。じゃあな」


 悪い、玲奈。たぶん俺も、お前に甘えたいんだよ。まぁ分かりやすいモノで、今現時点で死ぬほどおっ立ててるわけだから。身体は正直なのさ。


 でも、意地は張らせてくれ。

 お前だってそうなんだろ。

 自分に嘘吐いて、頑張ってんだろ。



「これ、迷惑料だから」


 冷蔵庫から缶ビールを取り出し、彼女の部屋を出た。きっと届いていない。


 星は馬鹿みたいに明るい。羨ましいものだ、こんな真っ暗な世界で必死に輝こうってんだから。誰の力も借りず、一人で光り続けてるんだろ。すげえわ。



 あー。でもどうなんだろう。俺たちから見えている星って、実はもう宇宙には存在しなくて。本当はとっくに爆発してるって、ニュースかなんかで聞いたな。


 もしかして、最後の力振り絞って届けてくれてんのか? だったら似た者同士かもな、俺たち。まぁ、こっちの声は何光年掛けたって届きやしねえけど。



「チッ。ハイボールかよ。選択ミスったな」


 寒い寒い。飲み歩きなんてするもんじゃない。

 とっくに五月なのに。

 ちっとも暖かくならねえ。


 

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