第15話 狼の群れ

 草原地帯に入ってから既に二日が経っていた。なかなか草の民は見つからない。草原は街道の東西に広がり、見渡す限りどこまでも続いており際限がない。時折、遠眼鏡で周りを確認するが、羊一頭見つからない。


 横道に逸れても出会えるか分からないので、ひたすら街道を南に進んでいく。もし草の民に出会うことが出来なければ、自力でエデンを探すしかない。あの老人は大陸の南の端といっていた。信用できるできないではなく、信用するしかないのだから、とにかく南に向かって行きつくところまで進むしかない。


 さらに数日経ち、まだ草原は続いている。交代制とはいえ、さすがに皆の疲れが限界にきていたので、今夜は草原の草地で野営をすることにした。街道から逸れて草原の中に入っていき、適当な所で野営の準備を始める。五人が座れる程度の範囲の草を刈り、中央の地面に薄く土を掘り拾ってきた石を並べて焚火の準備をした。コルヌが草原に入れば薪になるような枝木はなく水も貴重だと言ったので、村を出立するときに薪と水だけは積み込んでおいた。


 焚火が出来ると周りを囲んで食事にした。市で買い込んだ野菜や果物など傷みやすいものは既に食べ切っていた。食事はパンと少量の干し肉だけだ。鍋で湯を沸かしカップで白湯をすする。

 

 食事が終わると女たちは荷台で寝てもらうようにした。ヴァンとコルヌは外の地面に寝転がる。雪が積もる中で外で就寝した狩猟小屋の時よりは、寒さも和らぎ幾分ましである。見渡す限りの草原には動物の姿はなく隠れる場所もない。追手が近づけば馬蹄の音で気付くだろう。そう考えて今夜は見張りをしなくとも問題ないと、コルヌと焚火を挟むようにして眠りについた。





 地面を伝わってくる地響きのような不快な音で目が覚めた。ヴァンは音を立てないように起き上がり周囲を見回してみるが、なかなか目が慣れない。焚火の火はだいぶ下火になっている。焚火をぐるりと回り、反対側で寝ているコルヌを手でゆすって起こした。


 何かいる。


 気配の方向にじっと目を凝らす。少し離れたところに黄色い小さな玉状のものがいくつか光って見えた。二つで一対だ。獣の目だ。先ほどの不快な音はどうやら獣の発する唸り声のようだ。狼か野犬か群れに囲まれたようで、左右からも声は響いてくる。時折、ダダダっと集団で駆けまわる音がする。狙いは馬か人か。


 ヴァンは腰に下げていた二本の短剣を左右の手に逆手に持つ。腰を落とし、顔前で両手を交差させて防御の姿勢をとった。鼻の利く獣たちは、既に幌の中に人がいることは分かっているだろう。急いで仲間を起こさないとならない。そう考えていた矢先、幌が少し開いてポシェが顔を出す。


「こっちも気付いてる。悪いけど焚火の火を強めて」


ヴァンはポシェが差し出した薪の枝木を受け取り焚火にくべる。薪に移った火は、増援が到着したかのように活気づき、深紅の炎となり燃え立つ。照らされて周囲が明るくなったので、コルヌに近寄り目だけで言葉を交わす。 


 コルヌが懐から投げナイフを取り出し、群れの方向に向かって投げる。ギャンという悲鳴のような声が二つ前方から聞こえる。まずは二頭、さすがコルヌだ。群れの総数は分からないが、数頭でも倒せばこちらの抵抗の意志は伝わるだろう。うまくすれば諦めて退散してくれるかもしれない。


 コルヌは緩やかに風魔法をかけてこちらが風上になるようにし、自分たちの臭いを消す。ヴァンも刈り取った草を焚火に投げ入れ煙を出すように燻す。煙がコルヌが起こした風に乗って群れの方向に流れていく。そうして敵の目と鼻を潰ぶしていく。


 ポシェが荷台から降りてきて、馬車の陰に身を潜めると、腰にかけた鞄から玉のようなものを取り出した。低い姿勢のまま焚火に近付くと、玉から伸びている紐状の末端に焚火で火をつける。紐の末端はチチチと小さくぜる音を立てて燃えている。ポシェはタイミングを計るように間を取ってから、おもむろに玉を中空に投じる。緩やかに弧を描き獣の群れに飛んでいった玉は、突然パンっと空中で弾けたと思うと、まるで太陽のように光を放った。一瞬であたりが明るくなり、ヴァンは獣の姿を捉えた。


 狼の群れだ。十頭以上はいるだろう。思っていたよりも多い。逃げるべきか戦うべきか迷う。狼はポシェの投げた光に怯えているのか、近寄るのを躊躇しているようだ。少なくともコルヌの投げナイフが届く範囲には近寄ってこない。光玉の効果が減衰し、周囲が徐々に暗くなってくる。ヴァンはポシェに向かって、もう一発投げろと叫ぶ。

  

 ごめん、あれは一発しかないの、と背後でポシェが謝っている。

 完全に暗闇に戻ったと思った瞬間、先頭にいた一頭が、猛然とヴァンに向かって突っ込んでくる。ヴァンは短剣を構えて正対する。直前で方向を変えて反転する。数頭でそれを繰り替えし、少しずつ距離を詰めてくる。狼の鼻先がヴァンの腕に当たる。左から突っ込んできた狼の牙が肩をかすめ、刃物で切り裂かれたように服が破れる。ヴァンも狼に向けて剣を振るが動きについていけず、短剣は空を斬る。狼の動きを止めないことには攻撃できない。視野の端でコルヌを見るが、同じく自分の防御だけで精一杯のようだ。ヴァンは徐々に後退する。


 何度目かの攻撃で、狼がヴァンまであと一歩の距離で上方に飛び上がった。回転してヴァンの背後に着地する。ヴァンは振り向きざまに短剣を振り抜くが、むなしく空を斬る。振り下ろした剣を戻す瞬間に狼が飛び掛かってくる。ヴァンは自分の左腕を差し出し、食えるものなら食ってみろと叫び、狼に腕を噛みつかせた。


 牙が深く入り込み狼は腕から離れない。体重が掛かり肉が引き裂かれそうだ。ヴァンは右手の短剣を順手に持ち変えると、左腕にぶら下がる狼の喉に向かって突き刺す。短剣が肉に深く入り込む感触がし、左腕を噛んでいた狼の顎の力が抜ける。刺さった牙が外れないのか、腕にぶら下がたままのため、ヴァンは力づくで狼を剥がす。噛まれていた傷口から血が滴る。


「ヴァン、大丈夫か」


 コルヌの叫び声が聞こえる。大丈夫だ、何とかなる。


 それを見て、荷台にいたグランがヴァンに駆け寄る。アリサも続く。グランが適当な布切れでヴァンの上腕を縛り上げる。傷口を観察して、傷は浅いから大丈夫と言っている。興奮しているからか痛みはあまり感じない。

 

 先ほどまで狼に怯えていたアリサが、腹を括ったかのように立ち上がり、大きな声でポシェに向かって叫ぶ。


「松明を狼に向けて投げて」


 言われた通り、ポシェは松明にしていた薪を、狼の群れに向かって思いっきり投げ込む。群れまでは届かなかったが、松明の明かりで群れの様子が確認できた。狼の群れを見定めて、アリサは動じる様子もなく前に進み出ててくる。


 両手を肩幅にして上に向けて突き出す。短く詠唱すると、広げた手のひらの上に炎の塊ができていき、みるみる大きさを増していく。次第に周囲が炎に照らされて明るくなる。狼の群れは炎の塊にたじろいでいるが、リーダーの命令がないからか逃げ出しはしない。


 こんな凄い魔法は見たことがない。なんという魔力だ。

 炎はどんどん巨大化していき、太陽のように辺りを照らし出す。魔法の影響を受けない獣には直接に魔法攻撃は通用しないが、これだけの大きさになれば地面ごと吹き飛んでしまうだろう。空中に放り出されたまま、爆発の音と光で気を失えば、まずは命は助からない。頭から地面に叩きつけられれば終わりであり、飛んでくる岩や石礫も避けられまい。


 アリサの腕と肩に力が入り、いよいよ群れに向かって放出するかと思われたとき、先端の鏃に火が付いた矢が、皆の足元に音を立てて次々と突き刺さる。みんな咄嗟に後ろに飛びのく。アリサは驚いて態勢を崩して尻もちをつき、炎の塊は霧散してしまった。


 矢が飛んできた方角をみると、いつのまにか、馬に乗り矢をつがえる騎馬群に囲まれている。今度は火矢が狼の群れに向けて飛んでいく。騎馬群は狼の周囲を駆け回り、後方に追い込んでいく。火矢を放つ者、なにやら口笛のようなものを吹く者、太鼓をたたく者、紐につけた松明を円状に回して狼を追い立てる者、やっていることは様々だったが実によく統率が取れている。やがて狼が遠ざかっていく音が聞こえる。


 みな呆気に取られてその光景を見ている。敵か味方かすら分からない。

 ヴァンは横になっているため音しか聞こえないが、どうやら助かったらしいことは分かった。横でグランがヴァンの服の袖をめくり、血を拭っている。アリサやコルヌもヴァンが横になっている所に集まってくる。


 方々を駆け回っていた騎馬の一団が一箇所に集まる。先ほどまでの喧噪は消え去り、周囲に聞こえるのは風の音と微かに聞こえる馬のいななきぐらいだった。


 暫く様子を窺っていた騎馬群の中から、一頭の馬が近づいてくる音が聞こえた。

 狂うことのな一定のリズムでゆっくりと歩いてくる。コルヌは意識は向けるが、戦う意思は示さない。いざとなれば抵抗はするが、先ほどの集団行動を見せられては勝ち目がないことは明白である。逆に、自分たちが捕まるのは構わないから、ヴァンを助けてほしいと頼むつもりでいる。


 地面に横たわるヴァンは徐々に意識が薄れて瞼が重くなってくる。遠くで、おい、大丈夫か、という声が聞こえる。耳では聞こえるが、もう眼が開かない。頭が霞んできて眠りに落ちるように意識が無くなった。

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