第5話 魔導士アリサ

 教都ルブニールの中心には荘厳な趣の聖イブルス教会が建っている。創建は五百年ほど前で元は現在の半分もないの大きさだったが、戦争後、魔道教会の本部となったことにより大幅に増築され、拡張された敷地の中央に高さ七十メートルに及ぶ大聖堂が建設された。


 ルブニールの北側にある丘にはかつて国王が座す城があり、王城こそがルブニールの中心であったが、王制が廃止されイブルス教国が成立した後に城は取り壊され城址となり、変わりに街の中央に建設された大聖堂がいまはルブニール最大の建築物として街の象徴となっている。


 聖イブルス教会は、魔道教会の本部としての機能を持ち、大聖堂を最前面にし、奥に向かって建物が直線上に続く。教会全体は大聖堂を除けば上からみると十字の形状をしており、奥に続く建物の途中で左右に右棟・左棟が飛び出るように並ぶ。さらにその奥には教皇の寝所や執務室を含む高位魔導士のみが入れる特別棟が建っている。


 まだ十代後半で、正式に魔導士に叙任されていない見習い期間の三等魔道士であるアリサにとって、国の法を司る高等法院がある教会の左棟に足を踏み入れるのは初めてのことだった。正式な魔導士として教会に叙任されるためには、まずは三等魔導士として修道院に寝泊まりし、魔法の修練や司法および行政の体系を学ぶ。同時に教会の雑務や実地での研修を行いながら数年をかけて二等魔導士を目指す。二等魔導士として認められれば教会から正式な魔導士として叙任がされ、教会の役務につくか地方教区の下級司祭として派遣される。その後、職務経験を積んで一等魔導士になると司教として重要な任についたり教区長としてより広い権限をもつことができる。


 アリサは修道院のある通路を奥に進み、上部塔のガラス窓から採光されて明るく照らされている中央交差部で通路を曲がり左棟へと歩いていく。棟の通路は中庭に向かって開くアーチ状の柱が続いており、直接外とつながる外回廊のため冷気が体に押し寄せる。外は雪もちらついており、リヤサと呼ばれる薄手の外套だけでは体の芯まで冷えてしまいそうである。


 棟の中ほどにある階段を小走りに駆け上がり二階の通路を更に奥に進むと、突き当りの部屋が高等法院最高司教のブランダート枢機卿の執務室である。扉の前には警備の任につく魔導士が両脇に立っており、用向きを伝えると中の秘書官に取り次いでくれた。了解が得られると扉が開けられ中に入ることができる。アリサは緊張したまま部屋の中に一歩踏み出したがそこはまだ秘書官室であり、部屋にある奥の扉が執務室に通じているらしかった。

 

アリサは執務机に座して書面に目を通している、壮年の男性秘書官の前に立ち用件を伝える。


「三等魔導士のアリサと申します。本日、ブランダート枢機卿に面会のお約束をいただいております」


 秘書官は顔を向けることはせず、視線だけを上げる。


「秘書官のモンテです。お話は聞いております。部屋の前の椅子に座って入室の合図があるまで待っていてください」


 横柄というよりは単に仕事が忙しく、余計なことに時間を取られたくないという態度だった。アリサは言われた通りに扉の前の椅子に腰掛け、執務室からの合図を待った。


 しばらく待っていると、執務室の中からハンドベルの音がチリンと鳴る。モンテ秘書官を見ると頷くのが見て取れたので、入室許可だと思いアリサは扉に向かい取っ手に手をかける。背後から秘書官が「ノックを」と忠告したので、慌てて二度ほどノックをし呼吸を整えて扉を開けた。


 中にはブランダート枢機卿の他にもう一人若い魔導士が待っていた。

 枢機卿執務室は質素な作りで、赤色が臙脂色に変わるほどに年季の入った絨毯の上に、普段アリスが使っている物とさしてかわらないような簡素な執務机と袖机、そして椅子が一脚あるだけだった。


 枢機卿はアリサを一瞥すると、椅子から腰を上げ


「どうぞ、お入りなさい」


 柔らかく落ち着いた声で話しかける。


「まずは、彼を紹介しておきましょう。司法取締役官でラグの隊長をしておるアッシュ君です」


 枢機卿に紹介された若い魔導士は尊大な態度で首だけを動かし会釈をする。

 アリサは司法取締官に体を向け先んじて挨拶をする。


「初めまして。三等魔導士のアリサと申します」


「ラグ隊長のアッシュと申します。以後、お見知りおきを」


 お互いに自己紹介を終え、アリサは枢機卿に向き直る。


「ブランダート枢機卿様、本日は面会のお時間をいただき有難うございます。まだ魔道修習の身、このような機会をお作りいただきましたこと大変感謝いたします」


 深く頭を下げてお辞儀をする。アリサは挨拶は丁寧にするよう常に心掛けている。


「形式的な挨拶はこの辺でよろしいでしょう。早速だが本題に入ります。アリサ魔導士、貴方が教皇宛に具申してきた密告制度に関する嘆願書の件ですが、拝見するとどうも大変な誤解があるようですね。まずは貴方の考えのどこに誤解があるか、自分の目で確かめてもらおうと思い、今日はこちらに来ていただきました」


 そうなのだ。いまやルブニールでは街を歩けば密告とラグの話ばかりである。最近も密告制度を悪用して金稼ぎをしていた何某が、ギルドの成敗にあったという噂話で持ちきりだった。アリサのような黒色の修道服を着ているものでさえ、教会魔道士というだけで避けて通られるほどである。そのような状態が正常であるわけがない。


 問題視したアリサは、街に出て可能な限り具体的な情報を収集し、正すべき点を書き連ねた嘆願書を書き上げ、様々な伝手つてを辿り教皇に直接歎願できるよう上程してもらっていた。それがどういう理由わけか寄りにもよって高等法院最高司教であるブランダート枢機卿の手に渡るとは。


 アリサは自分が書いた請願書のどこにも誤解などないと信じて疑わなかったが、ここで司法については強力な権限をもつ枢機卿と問答しても不毛である。請願書が教皇の手に渡らなかった時点で完全な敗北なのだ。


「枢機卿様、それで私は何をすればよろしいのでしょうか」


「うむ。貴方に真実を知ってもらうため、実際に捕縛し牢に投獄している人に対して直接面談する機会を挙げようと思いましてね。案内は隊長に頼んであります。アッシュ君、後は宜しく頼みますよ」


 言葉遣いは丁寧だが一切の拒絶を禁じるような冷たく強い口調で命じた。


「承知しております。それではアリサ魔導士、早速案内をするのでついてきたまえ」


 アッシュは枢機卿に軽く会釈をすると扉に向かって進んでいく。促されてアリスも枢機卿に挨拶をし執務室を退室した。扉の外では次の面会者が椅子に座って待っている。枢機卿との面会はものの五分程度。それでも次の客が待っているということは、この面会の短さもスケジュール通りということか。


 とはいえ、投獄されている云わば密告の被害者に、直接話が聞けるのは悪いことではない。事前の根回しをされたりラグ隊長が同席している状況では本当の真実は聞けないかもしれないが、それでも何か端緒でもつかめれば儲けものだと思い直し、素直にアッシュについていくことにした。


 アッシュは司法院棟の階段を一階まで下りると、中庭と反対側に向かって進み北側にある裏庭に通じる扉を開けた。扉の先には回廊が続いており、直進すれば外壁の石壁につきあたり木戸を開ければ外に通じているようである。回廊の途中で道が左手へ分岐しており、その先には乳白色の漆喰壁で囲まれた教会と思しき小さな建物があった。扉の前に衛兵が二人立っている。アリサが三等魔導士として修道院に寄宿するようになって数年は経つが、裏庭にこのような建物があることは知らなかった。


 アッシュはその建物に向うと衛兵に目だけで控えているよう指示し、自ら持参した鍵で南京錠を外して扉を開けた。元々は礼拝堂だったものを改築したのか、吹き抜けの天井にある窓には荘厳華麗なステンドグラスがはまっている。何より目を見張ったのが、広い空間に整然と並べられた膨大な写本であった。


「驚きましたか。ここには教会の図書館に入りきらない蔵書が収められています。また、あまり公にできない稀覯書きこうしょや古い時代の文書類も保管してあります」


 書庫の通路を進むと奥にはまた扉があり、促されてアリサは先の部屋に入っていく。扉の奥は宿直室のようになっており、ベッドや執務机、円形のテーブル、簡素な炊事場、トイレ、そして暖炉が備えてあった。暖炉にはすでに火が入れられており、部屋の中はとても暖かい。南側にはガラスの入った窓があり、鎧戸を解放された窓から入る日差しは、室内を照らすに十分な明るさであった。


 部屋の中には長身で肢体の美しい魅惑的な女性が立っており、アリサに向かって深々とお辞儀をする。


「初めまして。しばらくアリサ様のお世話をさせていただきます、グランと申します」


 腰ほどまである金色の髪は細くストレートで、時間をかけて櫛でといたのだろう綺麗にまとめられている。目鼻立ちがよく綺麗と云うより艶やかという印象である。歳は三十歳前ぐらいだろうか、淑女という言葉が似合う品位と年相応の女の色香が同居し、内に秘めた強い意志のような強さも感じられた。男性に付き従うことを是とする一般女性とは少し違うようだ。


 アッシュが戸口に立ったまま話を進める。


「この部屋は以前まで書庫を管理していた司書が宿泊していた部屋になる。司書が常駐しなくなって随分経つようだが、生活するのに困ることはないだろう」


「生活するって・・・。私がここに住むということでしょうか」


「うむ。こちらの部屋を囚人との面会部屋として使ってもうらう。とはいえ、囚人も司法官の尋問や法廷代理人との面談、実際の審議などもあって何かと多用で、連れてくるにも衛兵をつけねばならず、好きな時に都合良く呼ぶということはできない。ただですら人手が足りないご時世に、我々からすれば余計な手間とし言いようがない」


 アッシュは面倒以外の何もでもないと話しながらやや不機嫌になる。


「囚人は我々で調整し連れてくる。貴方には我々の都合に合わせられるように、こちらに常駐していただく。空いた時間には書庫にある写本を好きなだけ読むがいい。枢機卿様の許可もでている」


「急にそう言われましても。囚人との面談については有難いお取り計らいと思いますが、写本などは図書館でも読めますし、通いでは駄目なのですか」


「すべては枢機卿様の計らいだ。こんな三等魔導士のために随分な酔狂だと思うが」


 大げさな手振りまで付けて皮肉たっぷりに言うと、世話係のグランに向かい二言三言指示を伝える。


「それでは、私も忙しい身なのでこれで失礼する。何か用事があればグランに頼むように」


 最後まで尊大な態度でそそくさと部屋を出て行った。

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