第3話



 俺がアインザッハ皇子を見つけたのは会場の外、ひとけのない中庭に出たとき。

 もっとも、俺だってアインザッハを探すためにそこに行ったわけではなく、本当にたまたま……トイレに行きたかったのだが、会場に一番近いトイレがあんまりにも混雑していたから、それを避けて校舎のトイレへ行こうとして……本当に偶然だったのだ。


 だから、チヒロは近くにいなかった。

 もちろん知らせる手段もない。

 俺ひとりでは不安なところもあるっちゃああるが、皇子の動向を探る千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない。

 俺は物陰に身を潜めて、そっと皇子に近づいた。


 皇子は何者かと対話している様子だった。

 植え込みの陰に隠れるようにしてそろり、そろりと皇子に近づく俺の耳に最初に届いたのは、嬉しそうにはしゃぐ皇子の声。


「この毒を適当な料理の皿に仕込めばよいのだな!」


 俺の心臓がドキリと鳴る。

 毒だって!

 俺は皇子に毒を与えた相手を確かめようと、さらに植え込みの中を這い進んだ。

 しかしそこからは、皇子の前に立つ人物の履いた、先のとんがったピカピカに磨かれた靴の先しか見えなかった。


(くっ、もう少し近づかないとダメか)


 もう一歩手前の植え込みにうつろうか、それとも引くべきかを悩んでいる間に、どうやら皇子と謎の人物の間で話はまとまったようだ。


「任せておきたまえ、皇子である俺には、誰にも疑われずに食事に毒を混ぜるなど造作もないこと!」


 アインザッハ皇子の足元は、カツカツと靴音を響かせて遠ざかってゆく。

 俺は一瞬、彼を追いかけてぶん殴って毒薬を取り上げるべきかと思った。


 しかしここで俺が彼を追わずとも、会場にはチヒロがいる。

 彼女はアインザッハ皇子を強く疑っているわけだから、彼が少しでも不審な動きをしたら、俺をすぐに取り押さえてくれるはず。


 だとしたらここで俺がするべきは、アインザッハ皇子に毒を与えた『黒幕』の正体をつかむことだ。

 俺は思い切って植込みの端から顔を出してみた。

 そして「あっ」と小さく声を漏らした。


『その人物』は真っ直ぐこちらをみていた。

 そして、その人物は……俺が良く知る人だったのだ。


「やあ、学年主席の君がのぞきとは、感心しないな」


 嘘くさい笑いをうっすらと浮かべたそれは、闇属性魔法クラスの教師であるサレス先生だった。


 ちなみにミララキの正規ルートでは彼も攻略対象キャラの一人であり、つまり、いわゆる……『顔がいい』。

 軽い天パで緩やかなウェーブがかかった髪と36歳という年齢設定に似合わない若々しい容姿で、女生徒からの人気もあつい。


 いつもにこやかなのは外面だけ、内面は悪人であるが、その悪心も悲しい過去の記憶に引きずられてのことであり、ヒロインと心通わせるうちに本来の優しくて明るい自分を取り戻していく……というルートがあったはず。

 ここにチヒロがいればもっと細かな設定もわかるのだが、ミララキに詳しくない俺にはスチル絵しか思い浮かばない。

 それもすでに改心後、白いタキシードを着て「君が私の心のドアをこじ開けてしまった」と言いながら優しく微笑む結婚式の光景しか。


 今回はチヒロによる攻略が行われていないのだから、目の前にいるサレス先生は悪人のままであるはず。


 俺は咄嗟に植え込みの中に身を隠そうとした。

 しかし、である。


「そうはさせないよ、コルケア拘束せよ


 彼がパチンと指を鳴らすと、俺の体は末端の足の小指一本に至るまで痛いほどに強ばり、全く動くことができなくなってしまった。


「くっ! 拘束魔法か!」


 指一本動かせないのだから、解術の呪文すら使えない。

 これにできる抵抗といえば、せいぜいがサレス先生に向かって挑発の言葉を吐く程度だった。


「たかが生徒相手に全身拘束とか、随分と用心深いんですね、それとも、俺が怖いのかなぁ?」


 サレス先生はさすがは大人だ、俺の挑発に動じる様子は少しもなかった。


「ああ、怖いね。学年主席の君に本気を出されたら、私でも勝てないかもしれない。私はねえ、君の潜在的魔力量ポテンシャルを高く評価しているんだよ」


 そういえば、チヒロは言っていた。

 ミララキでは魔法が使われることはあまりないから気づかれないだけで、俺--ダレスの潜在的魔力量ポテンシャルはとてつもなく高いのだと。


「さて、だからこそ、君を敵には回したくない、どうかな、私の仲間になってくれないか?」


 サレス先生はあくまでもにこやかだが、俺はその笑顔の裏に何かどす黒いものを感じて身震いした。

 それでも指一本動かせないレベルの拘束魔法を受けている以上、あまり強気に出るわけにはいかない。


「へえ、仲間って、なんの? いくら僕だって、得体の知れないものは考えようがないですよ」


「そうか、これは失礼。実はね、私は革命派なんだよ。つまり、共に王家を潰す戦いをしてくれないかと、そういうことだね」


「あれ? でも、それだとおかしくないですか? 先ほど先生は、リリーナを殺すための毒を皇子に渡していましたよね?」


「ああ、あれ、別にリリーナ嬢じゃなくてもいいんだよ、死ぬのは。もちろん、うまくリリーな嬢が死んでくれれば、それが王家と大公家の関係は破綻するだろう、それが私たちのいちばん望む展開だけどね」


「つまり、標的はリリーナでなくてもいいと……」


「そうだよ。要するには皇子が国民の不信を煽るような行動さえしてくれれば、死ぬのは誰でも構わない。だから私はね、パーティーの料理に無差別に毒を入れるように仕向けたわけさ」


「いくらアインザッハ皇子でも、そこまで馬鹿じゃ……」


「いや、馬鹿だったよ。何かの騒動が起これば婚約発表どころの騒ぎじゃなくなる、そう吹き込んだら、大喜びであの毒を持っていったよ」


「マジか……馬鹿なのか……」


「さて、ここまで私の秘密を聞かせてしまったんだから、君に残された選択肢は二つ、私の仲間となり秘密を共有するか、秘密を抱えてここで死ぬか」


「まてよ、アンタ、仮にも教師だろ、なのに生徒である俺を殺すとか!」


「ダレス君、賢い君ならわかるだろう? 教壇を降りたら教師だって一個の人だ」


 サレス先生は片手を上げた。

 その手のひらに向けて風が吹く。


デスレスアントス集え闇の風よ


 低く呟かれた呪文と共に風はゴウと唸りをあげ、渦を巻いた。


「さて、恐れることはない、風なんて気まぐれなものさ、もちろん色良い返事を聞かせてもらえれば、そよりと君の頬を撫でて通り過ぎるだろう」


「断ったら?」


「ふふ、君さあ、カマイタチって知ってる? 渦風が吹いた時にその中心が真空状態になる、それが人の体を切り裂く現象なんだけどさあ……この大きさの渦風なら、切り裂かれるのは皮膚だけでは済まないだろうね」


「つまり、断ったら殺す、と」


「そういう言い方はやめてくれるかな、私も一応は教師なのでね、好きこのんで可愛い教え子を手にかけるわけじゃないんだよ?」


 先生の手のひらで渦を巻く風はさらに強まり、ついにはその吹き荒れる音がキィンと金属を掻きむしるような音に変わった。

 あれを食らって無事でいられる自信は、はっきりいって、無い!


 この期に及んで俺は、強く圧縮されて球状に固められてゆく風を見ながら、ひどく呑気なことを考えていた。


(あれ、知ってるわ、漫画で見たことあるわ、千鳥じゃね?)


 いや、呑気なんじゃ無い、恐怖で心が少し麻痺していたのだ。


 そもそも、『ダレスが死ぬエンド』は、このゲーム世界を8周回した俺でも初めてのパターンだ。

 いったい、ダレスが死んだ場合、俺はどうなるのか……


 このループの脱出条件は『リリーナトゥルーエンド』であったはずだ。

 いまごろ会場では、アインザッハの不審な行動に気づいたチヒロが謎解きと大捕物を演じて、麗しのリリーナ嬢を窮地から救っていることだろう。

 だとしたら俺は、もう物語の舞台から退場したモブ……つまり俺の生死はこのルートのクリアには無関係。


(つまり消滅……か)


 それも悪くない。

 リリーナが幸せであるのならば。


 俺は薄く笑みを浮かべてサレスに言葉を返した。


「協力はしない」


 サレスがふうっと呼吸を吐いた。


「いいでしょう、ならば、死んでください」


 俺は死を覚悟して、固く目を閉じた。

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