第5話

 やがてリリーナは目を開けると、静かに微笑んだ。


「もう大丈夫ですよ」


 魔法の光はすでに消えている。

 リリーナの前に跪いた女生徒は、少し呆けた顔をしていた。


「私……なんだか……悪い夢を見ていたような気がします」


「ええ、そうね、あなたは悪い夢を見ていらっしゃったのですわ。でも安心なさい、夢はもう、消えたでしょ?」


「はい、でも……」


「いいのよ、思い出さなくていいの。さあ、教室に戻りなさい」


「はい……」


 こうしてリリーナの許しによって、この騒動は終結した。

 しかしおさまりがつかないのは俺の気持ちである。


 リリーナを陥れようとした人物がいる。

 それは確かだというのに、それを突き止めるための手がかりを、リリーナは自らの手で消してしまったということだ。


 しかし、そうしてまでたった一人の女生徒を守ろうとした優しさを思えば、これ以上突っ込んだことをリリーナに聞くのははばかられる。


 そこで、こういう時のチヒロ頼みだ。

 俺は旧校舎にチヒロを呼び出した。


 旧校舎は新校舎のすぐ裏手にある木造の、いかにも『十数年前に使われなくなって、表向きは生徒たちの立ち入りは禁じられている』といった風情の、ボロい建物だ。

 もっともセキュリティは甘く、一階の一番奥の窓が壊れていることは生徒たちの間では公然の秘密であり、キモ試しスポットとして潜り込む生徒も少なくはない……という設定なのだが。


 この旧校舎に潜り込んだチヒロは言った。


「ふうん、いい場所選んだじゃない。ここ、ゲームでは夏の納涼イベントの時にしか使われないから誰も来ないし、内緒話をするにはうってつけよね」


「その納涼イベントって……」


「もちろんホラーイベントだけど?」


「まさか……」


「ああ、どっちかっていうと単にお化けが出てくるだけの、お楽しいイベントだから大丈夫、怖くないから」


「そうか……」


「それより、あんたが私を呼び出したのって、リリーナを狙っているのは誰かって話でしょ」


 さすがはチヒロ、話が早い。


「めっちゃ正直な話、アインバッハ皇子がいちばんクサいのよね」


「そんなまさか! 仮にもリリーナの婚約者だろ?」


「『親の決めた』ね。アインバッハ皇子はこの婚約を解消したがっているのよ」


「すればいいじゃん」


「そんな簡単にはいかないわけよ、だってこれ、政略結婚だもん」


 つまり王家の敵となる可能性のあるシュタインベルグ家を王家側に取り込んでしまうのが目的、それを心得ている親たちが婚約解消に応じてくれないと。


「だったら手っ取り早くリリーナを悪人に仕立て上げれば、素行不良と王家への忠誠心ナシってことで婚約破棄できるじゃん?」


「つまり、アインバッハ皇子さえなんとかすれば、リリーナが不幸になるエンドを回避できるんだな?」


「どうかなー」


 校舎内には誰もいないというのに、チヒロは少し声を潜めた。


「例えば、こないだ話を聞きに行った筋肉マッチョのテレスなんかは、シュタインベルグ家を『商売の邪魔をする嫌なやつ』と思っている節があるのよ。ま、本当は親がシュタインベルグ家にゴマをするのを見て育っているから、《金持ちの自分をバカにしている偉そうなやつ』って勝手に思い込んでるだけなんだけどね。その思い込みでリリーナを潰そうとしている可能性はあるわけよ」


「よく調べたな」


「こういうゲームでは、主要キャラの情報は『噂話』って形でばら撒かれるものよ。それを拾い集めただけ。他にもサレス先生、文官として王宮に上がるはずだったのに、その地位をシュタインベルグ家の長男に取られたことを根に持っているらしいわ。ま、サレス先生よりその長男の方が優秀だったってだけなんだけどね。他にも……」


「わかったわかった、つまり、リリーナを追い落として得をする奴はいくらでもいると、そういうことだろ?」


「ま、そういうこと」


「そうか、アインバッハ王子だけをマークしても意味がないと……」



「そこで、私の作戦はこうよ!」


 チヒロはババーンと胸を張って声高に告げた。


「アンタにはパーティー当日、リリーナの護衛を任せるわ! 毒の入った飲み物を私に渡すイベントが発生しないように、さりげなくリリーナを誘導して!」


「お前は?」


「私はアインバッハを徹底マークするわ。あいつが一番怪しいってのは確かだからね。つまり私が第一容疑者であるアインバッハを、あんたがそれ以外の容疑者を見張るって作戦よ」


「理解した。だけど、本当にそれでうまく行くのか?」


「さあね。でも少なくとも、ゲームの中では通過できなかった『リリーナ断罪』を回避することができるじゃん?」


「なるほど、ループから抜け出せる可能性は高い、ということか」


「そういうこと」


 チヒロは、この作戦がいよいよ終わりに近づいていることを確信している様子であった。


「ま、私の勘だと、『リリーナ断罪』を回避した瞬間に、あっちの世界に引き戻されるような気がすんのよね。だから、後のことは悩まなくていいんじゃないかな」


「つまり、『リリーナ断罪』を回避するためならどんな手段を使っても構わないということか」


「そ、なんなら私、毒入りの飲み物を用意したやつと刺し違えててもいいかなーなんて思ってるし。ま、そうなる可能性は少ないけど」


「そもそもリリーナが毒入りの飲み物に近づかないようにすればいいってことだろ、よゆーだよ」


「そう、じゃあ、そっちは任せたわ」


 こうして俺たちは『リリーナ断罪回避作戦』を胸に抱えて、パーティーの前夜までを過ごした。

 いよいよ明日は創立記念祭のパーティー当日……という晩のこと、ほんの小さなトラブルが俺の元に舞い込んできた。

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