第27話 ノルデンの魔法使いたち

 石畳の上に降り立つと、そこはもうフューレンの町の中だ。目の前には、見覚えのある、古びた石積みの城壁に取り囲まれた街並みが広がっている。

 「きゃ」

狭い路地を抜きぬけてきた風に煽られて、フィオが思わず声を上げてケープを押さえる。

 「ここも、…風が」

重たく曇った空を見上げて、ロードは呟いた。城壁に囲まれているお陰で他よりはだいぶマシだが、ヒュウヒュウと唸り声を立てるような音がそこかしこに反響している。通りは閑散として、以前見た黒ローブの魔法使いたちの姿もない。ただ、城壁の上にはやけに見張りの数が多い。高い塔の上には、ノルデン王国の旗が強い風に煽られながらはためいている。

 「広場のほうかな…」

レヴィが歩き出す。心なしか不機嫌そうだ。顔を見合わせて、ロードたちも後に続く。

 間もなく行く手に、城門前の広場が見えてきた。門の脇の壁に残る痕跡は、忘れもしない、<影>の二人組みと戦った時のものだ。今日は、門は硬く閉ざされ、広場には兵士たちが走り回っている。武器、食料。戦いの準備なのだ。バタバタと駆ける足音と、甲冑のこすれる金属音があたりに響き渡る。

 「おい、お前たち。」

その中の一人が、三人に気づいて近づいて来る。

 「民間人がこんなところをウロつくな。さっさと家に帰れ」

 「出陣はいつなんだ?」

と、レヴィ。

 「知るものか。それは将軍様と<王室付き>の主席魔法使い殿が決められることだ。」

 「主席魔法使い? この町に来てるのか」

 「今朝ついたばかりだがな」

兵士は、一瞬ちらりと塔のほうを振り返ったあと、三人を追い立てた。「さあ、ほら。帰った帰った」

 言われるまま大人しく引き下がったものの、レヴィはますます不満げになっている。

 「将軍に主席魔法使い? 軍と<王室付き>両方ってことは、本気で攻める気じゃないか、どういうつもりだよ」

 「そりゃ戦争なんだから本気だろ。」

 「そういう意味じゃない。様子見の戦争じゃないってことだ」

レヴィは、塔のほうを見上げる。

 「気に食わないな。本気で”攻める”準備をしてる。<影憑き>を生み出してるのがアステリアだなんて荒唐無稽なことを言い出すのもそうだが、不確かな情報で、こんな大量の軍を動かすわけがない」

 「何を気にしてるんだ」

 「自分の行動を、他人にいいように利用されるなんてのは、まっぴらだってことだよ。」

はっとした。

 「お前、もしかして――<影憑き>が大量発生したの、自分のせいだとか思ってるのか?」

 「少なくとも、"賢者"の不手際のせいには違いない。」

腑に落ちた。ロードはようやく、レヴィがなぜこの件について積極的に関わろうと思い始めたのかを理解した。

 <影憑き>を生み出していた<影>、アガートとハルガートを保護していたのは、”森の賢者”だった。そして、アステリア東部の海からノルデン北部の青い森まで、<影憑き>は、その二人組がレヴィを追いつめるために、実験を兼ねてばら撒いたものだったのだ。

 「不可抗力だろ。お前、何にでも責任感じすぎだよ。」

 「そうだよ。レヴィのせいじゃないよ?」

 「いや。この件は間違いなくぼくらの責任だ。そもそも”三賢者”が全員そろってまともに仕事してれば、こんな事態にはなってない」

苛立った様子で言い、彼は腕を組む。「けど、表立って動くわけにはいかないからな」

 「どうするの?」

 「……。」

レヴィは、もう一度塔を見上げる。以前来た時、黒ローブの<王室付き>の魔法使いたちが頻繁に出入りしていた場所。多分、そこが彼らの本部なのだ。




 日が暮れかかり、城壁の町には闇が押し寄せつつあった。灯りは灯されていない。灯しても強風ですぐに吹き消されてしまう上、火の粉が飛んで危険だからだ。ロードとフィオは、一軒だけ営業していた喫茶店で時間を潰した後、塔の近くの路地まで戻ってきていた。レヴィは別行動だ。

 「狙うなら魔法使いのほうだな。まだ少しは話が分かりそうだ。」

そう言い残して、アテを調べてみると鴉に姿を変えて、風に逆らうようにしてどこかに飛び去ってしまった。そして夕方、この辺りに戻ってくることになっていた。

 「そろそろだな」

ロードが呟いた時、頭上で羽音がした。足元に舞い降りてきた鴉が、二人の前で人間に姿を変える。

 「おかえりレヴィ!」

 「ただいま。」

 「どうだった?」

 「ああ、見つけたよ。塔の上にいた」

レヴィが探していたのは、この町に来ているという<王室付き>の代表者、主席魔法使いという人物だった。出陣を決めるという二人の代表者のうち、片方だけでも説得できれば、状況は変わると踏んだのだ。

 「塔の中で、<扉>の繋げそうなとこを適当に回ってきた。突っ込んだら後は見張りに見つからないうちに探すしかない」

 「…適当な作戦だな」

 「仕方ないだろ。偉い奴は個室持ってるのがお約束だが、どの部屋かまでは分からなかったんだから。」

言いながら、レヴィは辺りを見回し、手近なところにあった、鍵のかかっていない民家の裏口に狙いをつけた。手を当てて小さく何か呟くと、扉全体に光の波が走って、輪郭がかすかに輝く。簡単に見えるが、それが”風の賢者”にしか使えない、<扉>を通じて離れた空間同士を繋ぐ時の手続きなのだ。

 「心の準備はいいか?」

 「ああ」

 「じゃ、行くぞ」

扉を開くと、その先に広がっているのは民家の台所ではなく、灯りに照らし出された狭い石の廊下だ。今回のは一方向だけ、しかも扉を開いてから閉じるまでの一度きりの道だ。

 背後で扉が閉まる。廊下は、しんと静まり返って人の気配がない。窓の向こうでは、闇の中でノルデンの旗がちぎれそうに舞っている。

 「たぶんここは、塔のかなり上のほうだ。」

響かないよう、押し殺した声でレヴィが言う。「ちなみにてっぺんは天文観測所、その直ぐ下は見張り当番の仮眠室。というわけで、この階のあたりが一番可能性高そうなんだがな」

ロードは目を凝らし、廊下の反対側の奥を指差した。

 「…あっちだと思う」

 「何で?」

と、フィオ。

 「やたら強い魔石の輝きが見える。しかも複数。」

 「なるほど。」

レヴィがにやりと笑う。「その眼、ほんと便利だよな。」

 「ま、使いようだってことが最近ちょっと分かってきたとこだ。」

外でヒュウヒュウと風が唸り声をたてているのが聞こえる。先頭にはロードが立って、ドアをノックする。中から返事があったのを確かめてから、ドアノブをまわす。

 「失礼します」

窓辺に立って外を眺めていた老人が振り返り、入ってきた三人を見て、驚いた顔をする。

 「君たちは誰だ」

 「レヴィ、この人?」

こそこそとフィオが囁く。

 「ああ、さっき会議室で黒髭のおっさんと延々やりあってたじいさんだな」

それは、年はとっているが背筋をぴんと伸ばした、貴族然とした男だった。長いカールした白髪と、顔の半分を埋める髭。黒いローブは他の魔法使いたちの着ているものと同じだが、材質や袖口の飾りは上等なものだ。重たそうな首飾りと指輪。それに、机の引き出しの中に、魔石の強い輝きがある。

 「何も持ってないって」

ふいにレヴィが、両手をポケットから出して、ばんざいするように肩先に上げた。

 「捜査の魔法。とっさに身体検査とは恐れ入る。あんた、探知の得意な魔法使いか」

 「…そちらも二人は魔法使いだな。残り一人は、魔法的なものは感じるが少し違う」

 「あー、まあ。おれは魔法使いじゃないですけど…」

 「いや、君ではない。その真ん中の少年だ」

ロードは、目をしばたかせて、ちらとレヴィのほうを見た。自分が魔法使いに数えられたことより、レヴィが違うとはどういうことだろう。

 レヴィは、そんなロードの微かな狼狽は気も留めずに、ポケットに手を戻しながら淡々と続ける。

 「単刀直入にいこう。ぼくらは出身地も立場もバラバラで、あんたらと直接利害が一致することも衝突することもない。特定の国や組織にも所属していない。ただし<影憑き>の発生については多少の関わりがある。」

老人が小さく笑う。

 「謎掛けかな?」

 「いいや。あんたらが、この時期に<影憑き>を言い訳にしてアステリアに侵攻しようとしてるのが気に食わないんで、文句言いに来ただけだ。」

 「おい、レヴィ…」

 「さっき会議室の窓際でちょいと話を盗み聞きさせてもらったからな。だいたいの事情は分かった」

すまし顔で、そんなことを言う。

 「はったりかね? だが、盗み聞きなどできるわけもない。もちろん魔法使いの集まる場所だからな、防御結界はもちろん、防音の魔法も――」

 「”では、アステリア側の抗議を待たずして進軍するおつもりですか、マルティス将軍殿?”」

微笑を浮かべていた老人の表情が、凍り付いていく。

 「主席魔法使いリドワン、あんたは進軍に反対だ。国内の<影憑き>掃討に注力したいと思ってる。それが正解だとぼくも思う。アステリアはいずれ力をつけるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。あんたらの心配しているような厄介なライバルになるかどうかにも興味はない。ただ、子供だましの言いがかりをつけて滅ぼそうとするのは感心しないな。やりたいなら別の言いがかりを考えろ。ぼくらの関わっていることを利用されるのは不愉快だ」

 「一体…なぜ…」

魔法使いの右手がそろそろと左手にかかり、指に嵌めた指輪の石に触れる。

 「やめとけ。ぼくらを拘束するのはあんたじゃムリだ」

老人の手が止まる。レヴィは、小さく何か呟くと、老人に背を向けた。「――話はそれだけだ。さて帰るとするか」

 一体何をしにきたのだろう、とロードは訝しく思った。だが、レヴィがもう帰るというのだから、引き止めても仕方ない。

 小刻みに肩を震わせる老人のほうにちらりと目をやって、彼も踵を返そうとした、その時だ。

 レヴィが手をかけようとしていた扉が、外から開いた。

 「失礼しま――」

書類を手に入ってきた黒ローブの魔法使いが、部屋の中を見てぽかんとした表情になる。その一瞬の隙をついて、老人が叫んだ。

 「曲者だ! 早く捕らえろ」

 「え? あ、は、はいっ!」

書類を投げ捨てて、魔法使いが廊下に駆け出していく。「誰か! 誰か来てください。リドワン様の部屋に―!」

 「ち」

舌打ちして、レヴィも廊下へ走り出す。別の扉を探すつもりのようだ。

 「今の扉から出ればよかったじゃないか」

ロードが後ろから怒鳴る。

 「繋ぐとこは、見られたくないんだよ! 正体バレるだろ」

 「あーそうか、ノルデンの人は”賢者”の力も知ってそうだもんね」

 「暢気なこと言ってる場合か。くそ、ここも鍵かかってるし…」

出口に使えそうな扉を探していると、早くも螺旋階段をばたばたと駆け上がってくる足音が響き始めた。数人の黒ローブの魔法使いたちが行く手に立ち塞がる。

 と、――

 追手のうちの一番端にいた若者が、はっとした顔になってローブを跳ね上げた。

 「ロード?!」

見慣れた、そばかすのある顔が現れる。

 「ユルヴィ、何でここに…」

 「何でって、復帰したんですよ。復帰早々、戦場なんですけど…今度は一体何なんですか?」

 「ああ、その話はまた今度な。ごめん、あんたんとこの上司怒らせた!」

 「えぇ?!」

 「ロードこっち」

フィオが腕をひっぱり、彼はそのまま後ろにあった扉に押し込まれた。背中から床に転がり込み、同時に、足元で扉が勢い良く閉ざされる。

 ほっとして、フィオが大きく息をついた。

 「あっぶなかったー。ったくもう、何あのおじいさん、いきなりキレることないのに」

 「あーまぁ、プライドを傷つけたのは、マズかったかな」

レヴィは頬を搔いている。真っ暗でよく分からないが、どうやらそこは、ロードの自宅の居間のようだ。ロードは、腰から太陽石の短剣を抜いて辺りを照らした。見慣れた調度品、壁、ドア。台所の皿もパンくずも、今朝、家を出た時のままだ。

 「おれたち、一日でジャスティンの町からフューレンの砦まで回ってきたんだよな」

 「そういうことになる。…にしても、妙だなこの天気」

お気に入りにソファに腰を下ろしながら、レヴィは、窓の外を伺い、ふいに真面目な顔になる。「…もしかして呪文の異常と関係してるのか」

 「どういうことだ?」

 「”創世の呪文”は文字通り、この世界を創造した呪文だ。いわば世界の設計図であり、ことわりの塊でもある。呪文自体に何か起きれば、世界にも影響が跳ね返ってくる…かもしれない。ただ、今起きていることは過去に前例のないことばかりだ。ぼくにもはっきりとは分からない。」

フィオがランプを持ってきた。ナイフの輝きに灯が加わり、部屋の中は明るさを増した。

 「いずれにしても、明日で三日目だ。ハルが何か掴んでくれてることを祈るよ」

そう言って、レヴィはソファに深く腰を下ろした。そのままだと、また眠ってしまいそうだ。その前に一つ、聞いておきたいことがある。

 「…なあレヴィ。あのリドワンって魔法使い、なんでおれまで魔法使いだって言ったんだろう」

 「あのじいさんの力は探査だ。しかもかなりの上級者だな。目の前にいるものの所持品や身体的特徴だけじゃない、能力や素質的なものまで確認できるっていう、一見地味だが高度な魔法を使ってた。派手さはないが人の上に立つ立場にはうってつけの力なんだ。」

 「つまり…?」

 「そのじいさんの基準でいくと、素質的な意味では、お前も立派な魔法使いってことなんだろ。まあ、使い方が特殊なだけで、そのナイフ飛ばしてるのも魔法の一種みたいなもんだしさ」

小さく欠伸をする。

 「さて、仕事も終わったし、ちょっと休むよ。晩飯の準備できたら呼んでくれ」

 「……。」

フィオが小さく首を振って、灯りを手に台所のほうへ消えていく。ロードも、短剣を鞘に戻した。

 立ち去りかけて、ふとソファのほうを振り返る。目を閉じて、眠っているように見えるが、きっと彼は起きているのだろう。

 「今日は、ありがとうな。おれの我侭に付き合ってくれて」

返事はなかったが、構わなかった。

 部屋を出ようとした時、後ろで声がした。

 「あれで戦争が回避できたとは思ってない」

振り返ると、レヴィは目を閉じたまま、天井のほうに顔を向けていた。

 「あのじいさんが何を言っても、将軍に押し切られるだろうな。――けど、フューレンの城門が次に開いたとき、繋がる先はシュルテンの広場だ」

そう言って、にやりと笑う。

 「びっくりするぜ、きっと」

 「…ったく、そんなのまで仕込んできたのかよ」

呆れて、ロードは笑った。「そんなインチキされるんじゃ、賢者様は争いごとに首つっこんじゃいけないな。」

 「そう。今回だけだ。もしこれでどうにもならないなら、後は当事者同士でどうにかしてもらうしかない。」

 「分かってるよ」

ドアを閉め、廊下に出ると、寒々とした闇が四方から包み込む。吐く息がわずかに白い。雹でも降るのだろうかと思いながら玄関のほうに視線を向けようとしたときだ。

 「あ痛っ」

ふいに目尻に痛みを感じて、思わず小さく声を上げた。反射的に、指を目のふちに押し当てる。

 ちりちりする、というよりは刺すような痛みだ。ロードは、眉間に皺を寄せた。

 <影憑き>が近づいて来たときよりも、もっと強い何かの気配。これは一体、何なのだろう。


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