第19話 出立

 ガラス窓に叩きつける雨音は、弱まる気配がない。

 窓辺に立って、ロードは、建物に面した細い路地を見下ろした。<王室付き>だけでなく、兵士らしき人影も頻繁に行き来している。時間が経つに連れて警戒はより厳重になっていくような気がした。しばらくは町を出られそうに無い。それに、…今はレヴィも動かせない。

 そこは、ユルヴィの借りている下宿の一室だった。

 振り返ると、机の上に置いた太陽石の短剣の刃がぼんやりと照らし出す部屋の片隅で、ベッドの上に横たわって眠っているレヴィが見えた。ユルヴィとフィオの魔法で傷は癒えたが、一昼夜経っても意識は戻らないままだ。精神力を消耗しすぎたせいだろう、とユルヴィは言っていた。自分の限界を越える大きな魔法を使った反動だとすれば、眠って精神力を回復させれば意識が戻るだろう、とも。

 毛布は、規則正しく上下している。時間が経てば目覚めるはずだ。――それが、いつになるかは分からないが。

 ドアをノックする音がして、ユルヴィが入ってきた。

 「調子はどうですか?」

 「相変わらずだ。悪いな、何日も部屋を占領してしまって」

 「いいんですよ。あなたたちはこの町を救ってくれたわけですし、遡ればフューレンでも私たちを助けてくれたんですしね」

そう言って、ユルヴィはにっこりと笑った。自分からは何も聞かなかったが、彼は、おおよその事情は察しているようだった。窓際の机――それは学習机のようでもあった――の上に、お茶の盆を置いて、一杯をロードに差し出す。

 「外にいる連中、おれたちを探してるんだろ。通報しなくていいのか」

 「出来ませんよ。」

自分のカップにも注ぎながら、彼は小さく首を振る。「あの人たちに理解できると思いませんし、近くで見ていたはずの私自身がまだ飲み込みきれていない話を、信じるとも思えません」

ロードは、一口お茶をすすってから、慎重にユルヴィのほうを伺った。

 「どこまで聞いた? あの時。」

 「ええと。"森の賢者"が"海の賢者"から"創世の呪文"を奪って、"風の賢者"を攻めるためにこの町にやって来た、ってところあたりまでですかね。」

 「……。」

彼は額に手を当てた。重要な部分のほとんど全て、ということか。その様子を見て、ユルヴィが慌てて顔の前で両手を振る。

 「そんな顔しないでくださいよ、聞きたくて聞いたわけじゃないし、誰にも言いませんから。」

 「ああ…そうしてもらえると助かる…。」

再びカップを取り上げながら、ユルヴィは呟いた。

 「でも信じられないですね。"三賢者"が実在していて、ただのお伽噺じゃなかったなんて。ロードも、…関係者なんですよね」

 「成り行きだけどな。おれだって、最近まで知らなかった」

そう、フィオと出会うまでは、子供の頃に誰でも聞くような伝説の類だと思っていた。遠い昔に存在して、今はいないもの。あるいは、存在していても身近に触れるようなことのないもの。


 『お前は、そういうところが先代にそっくりよ』


 『あんたも所詮は人間だ。誰も寿命からは逃れられない』


テセラとレヴィの会話は、それまでロードが朧げに感じていた疑問と推測を裏付けるものだった。そして、ロードより"年上"だというレヴィが何故、今の姿なのかということの説明でもあった。

 多分、"賢者"というのは普通の人間よりも寿命が長い――老化が遅いのだ。そして、三百年以上生きたという"森の賢者"に対し、今の"風の賢者"は、「たかだか二十何年生きただけの若造」に過ぎないのだ。

 考え込んでしまったロードを見て、ユルヴィは小さく肩をすくめた。

 「お邪魔でしたね、すいません。隣にいますから、用があったら声をかけていただけますか」

 「あ。そういや、フィオはどうしてる?」

忘れるところだった。ユルヴィの家に匿ってもらうようになってからというもの、フィオはほとんど姿を見せていない。

 「居間でずっと本を読んでます。あと、私に勉強を見てくれって」

 「…勉強?」

 「ええ。」

ユルヴィの借りている下宿は、居間のほかに部屋が二つと、台所のついている集合住宅だった。四人もいれば狭く感じるが、一人で暮らすには十分広い。その家の中には、修行中の魔法使いらしく魔法書があちこちに山をつくり、いつか地下の道具屋で見たのとは似ても似つかない、実用的な魔法の道具が並んでいる。フィオがいたのは、そんな部屋の隅だった。

 ぶつぶつ言いながら本を捲っていたフィオは、ロードが近づいてきたのに気づくと、期待に満ちた目を向けた。

 「レヴィ起きた?」

 「いや、まだだ」

 「…そう」

がっかりしたように、視線を手元に戻す。

 「それ、何してるんだ」

 「練習。レヴィいなくても一人でやる。次は絶対、役に立ちたいもの」

見ていると、みるみる目尻に涙が広がっていく。少女は、それをぐいっと拭った。

 「落ち込んでなんかないからね。あたしのことは心配しないで。レヴィにちゃんとついててあげてよ」

 「…分かったよ」

これは、彼女なりの方法なのだとロードは思った。かつての自分と同じだ。無理にでも前に進もうとすることで、乗り越えようとしている。慰めの言葉などに意味はない。今出来ることは、ただ、側にいることだけ。

 ドアを閉めようとするとき、背後から、小さな嗚咽が追いかけてきた。ロードは唇を噛んで、閉ざしたドアの前にしばらく、立ち尽くしていた。

 雨音が部屋を満たしていく。二日目の夜が訪れようとしていた。




 明るい日差しを感じて、ソファの上で目を覚ました。

 かすかに鳥の声が聞こえる。雨が止んだのだ。ちぢこめていた体を伸ばし、目をこすりながら体を起こしたロードは、部屋の隅が空になっていることに気がついた。

 「…あれ」

毛布は綺麗に折りたたまれ、ベッドは空になっている。涼しい気配を感じて振り返ると、窓が半分開いていた。そこに、羽音とともに鴉が一羽、舞い降りてくる。ちょんちょんと弾むような足取りで窓の開いたところから首をつっこみ、部屋の中に入ってきたかと思うと、するりと人間の姿に変わって床に降り立った。

 「よ、目が覚めたか。」

 「目が覚めたかって、お前…」ロードは、レヴィの腕を掴んだ。「それはこっちのセリフだ!」

 「どうしたの?!」

ドアが勢いよく開いて、フィオが駆け込んでくる。「レヴィ!」ぱっと明るい表情になったかと思った途端、その両目から大粒の涙が零れ落ちる。

 「良かった…ずっと目が覚めないかと思っ…あたし…」

 「な、泣くなよ…悪かったよ、ごめんって」

肩をすくめて、ロードは窓を閉めなおした。フィオの後ろからやって来たユルヴィも苦笑している。フィオを宥めていたレヴィが、ふと顔を上げてその青年を見上げた。

 「そういや…あんた誰だっけ」

 「え」

 「もう忘れたのか? マフィン買いこんでた時に会ってるだろ。 フューレンで知り合った、<王室付き>のユルヴィ」

 「あー… って、<王室付き>?」

レヴィの表情が変わったのに気づいて、ユルヴィは慌てて手を振った。「いえ、私は確かにそうですが、本部には何も言ってません」

 「そうだぞ。二日も寝込んでたお前を匿ってくれたのは、ユルヴィなんだからな。ここ、ユルヴィの部屋だし」

 「おっと、そうなのか。そりゃすまなかった。」

 「いえ…。お身体は、もう、大丈夫なんですか」

 「ああ。丈夫なほうだしな」

そう言いながら、レヴィは、いつもどおりの小生意気な表情で上着のポケットに手を突っ込む。

 「すぐにも発つ。…と、いきたいとこなんだが、ざっと見て回ったところじゃ、町のあちこち検問が張られてて面倒なことになってる。ぼくはどうとでもなるが、ロードとフィオはどうするかな」

 「まだ、そんなに警戒厳重なのか?」

 「あなた方を探してるわけではないようです。本命は、消えてしまったあの二人組…ですが、ロードたちも顔は見られてますし、見つかったら説明が色々面倒そうですね」

と、ユルヴィ。

 「私に任せてもらえるなら、外にお連れできますが…」

 「本当か?」

 「ええ。ちょっと待っててください」

ぱたぱたと部屋の外へ駆け出していったかと思うと、やがて、手に黒い布を抱えて戻ってきた。

 「これを着てみてください。少しサイズが大きいかもしれませんが」

それは<王室付き>の着る特徴的な黒いローブだった。なるほど、これなら顔も半分隠れる。

 「ああ、ロードは丁度いいですね。それっぽく見えますよ。あとは、この帯も」

 「ちょっとズルズルしちゃうわね、これ…バレないかなあ」

 「フィオのは裾を少しピンで留めたほうがいいかもしれない」

 「なーに、バレたら飛ば…」

 「それはダメ」

 「やめろ」

二人同時に突っ込みを入れられたので、レヴィは黙ってそれを着て、長すぎる裾と袖口を、どこからともなく取り出したピンで留め始めた。ユルヴィも慣れた様子でローブを纏う。しばらくすると、そこには、四人組みの黒ローブの集団が生まれていた。

 「うん、悪くない。<王室付き>は二人一組で動くのが基本ですから、四人なら丁度いいです。黙って胸を張って歩いてれば、誰も何も言いませんよ。」

先頭にはユルヴィとロードが立ち、小柄なフィオとレヴィは、後ろに続く。ロードは、ちらりとユルヴィのほうを見た。ユルヴィは、わざと顔を見せるように辺りを見回して、怪しまれないようにしている。

 黒ローブの威力は絶大で、ユルヴィの言ったとおり、兵士も町人たちも疑いもせず、大通りでもわざわざ歩きやすいよう避けるほどだ。町の出入り口の検問でも、ユルヴィが所属と名前を告げただけで、町を出入りする目的も聞かずに通してくれた。




 坂道を下りきり、町が背後に小さくなったあたりでユルヴィは足を止め、フードを跳ね除けた。

 「巧く行きましたね。」

 「ああ、びっくりだ」

ロードは、振り返って岩山の上のシュルテンの町を眺めた。雨に洗われた青い空にそびえるようにして建つ町は、ここから見ると、ずいぶん大きく感じられる。

 「これから、どちらへ行くんですか」

 「青い森の――」

 「ロード」

レヴィの鋭い声で、彼は口をつぐむ。横を見ると、レヴィが、脱いだローブをユルヴィに差し出すところだった。

 「ユルヴィ、あんたは知りすぎたな。手助けには感謝してる。だが、知らないほうがいいこともある。」

 「…そうでしたね。失礼しました」

はっとした様子で、青年は頭を垂れた。

 「お気をつけて」

それは、自分よりも上位の魔法使いに対する、職務上の礼だったのだろうか。或いは、レヴィの正体に察しがついていたからかもしれない、と、ロードは後になって思った。




 ユルヴィと別れた後、レヴィは振り返ってロードとフィオを見た。

 「さて。こっからは本気の競争だぞ。あんな反則みたいな手に二度目はないからな、追いつかれたら負け。追いつかれる前に塔に戻ることができれば、ぼくらの勝ちだ。」

 「うん、…急ごう」

 「その前に聞いておくことがある。」

と、ロードが片手を上げる。「お前もう、隠してることとか、言い忘れてるとことか無いだろうな?」

 「隠してること?」

 「自分が今の"風の賢者"だって、何で言わなかったんだよ。」

 「…えっ?」

フィオが調子はずれな声を上げる。

 「レヴィが?!」

 「ああ、そうか。テセラが言ったからか……」

レヴィは困ったような頭をかく。

 「悪い。それは隠してたわけじゃなくて、正確には、まだ正式に継いだわけじゃないからだ。」

 「どういうことだ?」

 「"創世の呪文"の管理者として承認されるためには各賢者ごとに定められた手続きがある。…ま、言ってみれば試練というか、条件みたいなものだな。"風の賢者"が管理する呪文の断片に付随する手続きは、他の二人の賢者の住処を周り、塔に戻ること。その道を実線で繋ぐこと。途中、魔法で空間を移動してショートカットすると無効になる。これを満たせない間は"仮承認"の状態だよ。」

 「つまり――これから出発地点の塔に戻ることで、正式な次の"風の賢者"になれる、ってことなのか?」

 「そういうこと。」

レヴィは行く手の空に目を向けた。「もっとも、この役目は本当は、ぼくが継ぐはずじゃなかったんだが――。」

 「……。」

遠い空の上を白い雲が流れていく。地図を広げるまでもなく、ここからの道は何度も確かめて頭に入っている。


 ノルデンの北西に広がる青い森。道さえない、その奥に聳え立つオーデンセの山。目的地はもう、すぐそこだ。

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