映画を観て自分を知る

「『面白き』とは、ことわりで示せるものではございません。感じ入ることを繰り返し、にじみ出てくるもの」


 大好きな漫画、「へうげもの」の中で千利休が言う台詞。

 至言である。

 自分が過去に書いた小説を読み返していると、「ああ、これを書いてた時期はあの作品にハマってたんだな」というのが容易に読み取れる。もちろん意図的なパクリをやらかしているわけではないのだが、その時期に直近で「面白い!」と思ったこと、良いと思った文体や雰囲気が自作に如実に反映されているのだ。

 その元が一つだけだったとしたら、読者の人にもすぐわかるような「特定の何かに露骨に影響を受けた作品」にしかならないだろう。でもそれが多種多様であればあるほど、一方的な「影響」の域を脱してくる。組み合わせ方、取り合わせ方の取捨選択によって、それぞれの元作品のどれとも違うものになってくるわけだ。世にいう「オリジナリティ」というものは、要するにそういうことなんじゃないだろうか。

 まったく何も知らず誰の影響も受けていない状態でぽんと名作を生み出せる人というのはほぼいないだろう。いたとしてもそれは数千人、数万人に一人というレベルの特異な能力を持った人だ。圧倒的大多数の創作者は、複数の作品に感銘を受け、影響を受け、それを自分の中で醸成させることで新たな「オリジナル」になっているのだと思う。

 

 であれば。

 利休のいうところの「感じ入ることを繰り返し」ている数が多ければ多いほど、自らのオリジナリティをしっかりと確立できるのだと思う。

 その仮説に基づき、僕は日々できるだけ多くの作品に触れるようにしている。

 僕のアウトプットの媒体は「小説」だから、なるべく多くの小説を読んだ方がいいのだとは思うのだが、いかんせん小説は長い。僕があまり本を読むのが早くないというのもあるのだが、自由になる時間も限られていることを思えばなかなか多くの作品に触れることが難しい。

 だから、僕はよく映画を観ている。

 映画は長くとも2時間そこそこで終わるし、その中に世界観があり、起承転結があり、登場人物のキャラクター造形がある。そしてカメラワークや演出、音楽といった要素からも意図を読み取ろうとすることができる。

 この映画はなぜ面白いのか。どこが上手いのか。

 この映画はなぜつまらないのか。どこが駄目なのか。

 考えながら観て、観終わってからもう一度考える。そうすると、学ぶべき点がいくつも見つかる。

 

 学生時代には年に100本、できるだけジャンルや制作国に偏りなく観ることを心掛けていた。社会に出てからはなかなか思うように時間が取れなくなったが、平均して月に4~5本は観ている。

 映画館には行かず、もっぱらDVDをレンタルしていた。現在は動画配信サービスに加入しているので、居ながらにして映画を観まくれる環境にある。

 それプラス、最近は「TVで放送している映画を片っ端から録画し、BDに焼きまくる」作業をしている。今までは気になるもののみ録って、観てから記録媒体に焼くかどうか決めていたが、現在はノンセレクションである。当分は動画配信サービスで映画視聴には事欠かないから焼いた映画は観ずに溜めているが、その手段が失われた時、あるいは定年退職(幾十年先のことだが)して時間が膨大に余った時用である。

 焼いた映画はエクセルでタイトルを管理し、データベース化する。面白そうなものを選ぶときに手間がかからないようにするためだ。

 

 どんな作品にも作者の思いがあり、そのために凝らした技巧がある。

 そういったものを少しでも多く吸収し、自分の中に感動を溜め込んで──自分の創作の糧としていきたい。

 面白い、と思った無数の経験が、やがて自作を通じて「自分自身」となって表れるのだ。

 そうした一連の作業が、純粋に楽しい。

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