第23話 嵐、宝物、折り紙

 都が冬を迎えんとする夕方のことである。

 その日、宮中で宴席が催されることとなっていたので、厨房の下級役人、いわゆる包丁衆ほうちょうしゅうが慌ただしく働いていた。

 彼らを束ねる包丁頭ほうちょうがしら蕗縄ふきなわは、この度の宴席で己の名を残そうと心に決めている。

 みかどに百歩までしか近づけないとされている包丁衆である。

 その礼法を覆してしまえるほど極上の料理を用意してみせると、包丁衆の前で宣言した。


 蕗縄の言葉は彼個人のためだけに発せられたものではあった。

 しかして、包丁衆にとって何ら白眼視するものではなく、むしろ彼ら自身にも利のある宣言と感じられた。

 もし、今の包丁頭、蕗縄が成功し、さらに歩みを近づけてよい、という前例ができれば。

 それは、次の包丁頭も同様の礼法を適用されうるに違いなかった。

 いずれは、包丁衆そのものの地位も高まると想像に難くない。


 したがって、包丁衆はこの度の宴席に出す料理をまさに宝物そのもののように取り扱った。

 飾り包丁、色彩、味付け、卓に出す時間、いずれも繊細な計算のもとになされている。

 ために、少しの瑕疵も許されるものではなかった。

 怒鳴り声はない。

 怒り狂う暇があれば手を動かして傷を消すことが肝要である。

 包丁衆の誰しもが然々と心得ていた。


 この宴席について、ある貴族は以下のように記している。


 いかなる料理も天上の物であるかのように思われた。

 包丁衆の働きはまさに神業だったに違いない。

 帝も包丁頭のことに何度か言及していた。

 卓の飾りの折り紙も、これまでのどれより手をかけて作られていたように感じる。


 この貴族のが述べている、卓の折り紙というのは、宴席での献立予定を表す意味でいくらかの実用性があった。

 記録によると、十三種の折り紙が並べられていたという。

 そのうちの八番目、すなわち宴席の目玉ともいえる折り紙は鯛の焼き物だった。


 しかして八番目に出す料理が近づくにつれ、蕗縄の顔は蒼白を深める。

 鯛が届いていないのである。

 包丁衆が別の魚に取り換えることを提案したものの、蕗縄は取り合わなかった。

 鯛以上に優れた魚があろうか。

 言って蕗縄は魚の到着を待ったのである。


 はたして、鯛は届いた。

 宮中に出入りを許された魚飛脚うおびきゃくが言うには、ひと月前の嵐で流された橋がまだ再建し終えていなかったので、ここまで遅れてしまったのだ、と。

 包丁衆はひとまず胸をなでおろした。

 しかして、そこに蕗縄の姿はなかった。


 ある包丁衆が、蕗縄の不在を訝しんだ。

 彼は包丁頭を探し、頭のみが出入りを許される竈神かまどがみの前を通りかかった。

 刹那、鉄錆の臭いが鼻を衝く。

 倉皇として包丁衆内の礼法も忘れ、竈神の間を勢い良く開けた。

 中では、竈神に謝罪するかのように蕗縄が切腹して果てていた。

 

 

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